ここで会ったが3週間目
少しずつ募っていた黒崎君へのモヤモヤが腹立たしさに変わりつつあったとある日。
教室へ入り確認した黒板の右端にある日直の氏名欄。そこには私と黒崎君の名前が書いてあった。
そうか、日直。
考えていなかったけど、日直であれば黒板消しだとか日誌のやり取りだとか、諸々話す機会が増える。そうすれば少なからず雑談をすることもあるだろうから、今までの黒崎君の行動の理由についても聞けるだろう。そう考えて内心でよし、と意気込んだ。
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「起立、礼」
「ありがとうございました」
今日の最後の授業を終える号令をいつもよりも小さく言い、「着席」の声の後で力無く席に着く。
結果として言えば、黒崎君とは全く話せなかった。
一時限目が終わって休み時間に入った時。黒崎君はいつものように女子達に囲まれて身動きが取れないでいた。
黒崎君は日直だからとその女子達を説得しようとしたけど、今話さなきゃいけない事があるからと断られ、結局その時は私と手伝いに来てくれた桐崎とで黒板消し作業をした。
さっきの授業は世界史で少し板書量が多かったのを見兼ねてか、ちょうど黒板の上の方の文字を消している時に桐崎が手伝いに来てくれた。こうして並ぶと、自分よりも背が高いし腕も長くて、ふと桐崎も男子なんだなと普段意識していないことを思った。
二時限目以降は黒崎君も流石に駄目だと思ったのか、きちんと黒板消し作業に来てくれた。
けれど、いつも黒崎君と話している女子達も一緒に付いてきた。作業の邪魔にならないように教卓の辺りで黒崎君に話しかけてくれたのは有り難かったんだけど、私が黒崎君と話す機会は結局無かった。
声をかけるタイミングを見計らい、何度か彼の方を見てみたけど、まぁ目が合うはずも無かった。
そうして、落胆と苛立ちをふつふつと抱えながら迎えた帰りのホームルーム。
最後の挨拶の手前で今日の日直、つまり私と黒崎君の名前が呼ばれた。
「運んでほしい資料があるから、日誌書き終わったら二人で職員室に持ってきてくれ」
「分かりました」「…はい」
先生からのお願いに、黒崎君は気まずそうに返事をしていた。
ひとまず、今日の日誌の当番は私だ。帰りのホームルームが終わってから、日誌のまだ書き終わっていない項目を確認する。
一応、チラッと黒崎君の方を見てみたけど、帰宅部の女子達と話しているようだった。……逃げられるかと一瞬思ったけど、大丈夫そうだ。
日誌にまだ書いていないのは六時限目の項目と、今日一日の感想だ。ざっと今日のことを思い返しながらさらさらと当たり障りのないことを書いていった。
日誌を書き終わり黒崎君の方へ行こうと席を立つと、さっきまで黒崎君の周りにいた女子達が私の方へ歩いてくる。何だろう。
「あ、岬さん。日誌書いた?」
「うん、終わったよ」
「そっか!さっき先生が行ってた資料運びだけど、私達が黒崎君と行くからっ」
だから日誌ちょーだい。
……なるほど。黒崎君の周りにいる女子は、このクラスの子や他クラスの人、上級生の人達も皆押しの強い人だと分かっていたけど。ここまでぐいぐい来るとは思って無かったな。
「ごめん、有難いんだけど先生に頼まれたのって日直だから。行ってくるね」
少し早口になりながら断って黒崎君の席へ向かう。断って日誌を奪ったりするとか、そんな幼稚なことを高校生にもなってするとは思えないけど、念のため早歩きで行った。
黒崎君も私達の様子が気になっていたのか、若干戸惑ったような表情を浮かべながらこちらの方を見ていた。
「お待たせ。行こう」
「えぁ、う、うん」
日誌を右手で胸の前に抱え、左手でピッと扉の方を指差して言った。急いでいる様子の私に黒崎君は驚いていたようだけど、そのまま席を立って廊下まで来てくれた。後ろに置いてきた女子達のことを考えると早く出たかったから、素直に一緒に来てくれるのは正直に言うととても助かった。
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職員室へ行くまでも、職員室へ行って資料を受け取って特別棟にある教室まで運ぶ間も、終始無言だった。
話したいことは山とあるはずなのにどうにも切り出せない。そういえば、黒崎君と昼休みに話す時は大半が黒崎君から話しかけてくれていた。
あぁ、どうしよう。気まずい。
初めて黒崎君と昼休みを一緒に過ごした時に言われた気まずさってこういうことだったんだと、今更になって理解した。
あの時も黒崎君の方から指摘されたけど、今回は私がする番なんだろう。ただ、言葉にしようとすると喉が詰まったような感覚になる。口を開いては閉じて、意を決してまた口を開いても、そのまま何も声を発さずに閉じてしまう。
廊下を歩いているのだから当然前を見る必要はあるんだけど、気まずさを覚えてからは黒崎君の顔を見るのも何となく憚られた。
そうこうしている間に目的地の特別棟の教室まで辿り着いてしまった。
職員室で先生に言われた通り、教卓の上へ資料を置く。
「っあの!」
今しかないと思って上げた声は、広い教室に思った以上に響いた。
資料を置いていた黒崎君の手がびくりと強張るのが見える。
勢いよく顔を上げて黒崎君を見れば、彼はまた戸惑ったような様子で目を見開いていた。
「黒崎君、話があります」
「えと、オレは」
「黒崎君」
もう一度そう声をかければ、気まずそうに揺れていた碧い瞳を横へと逸らされた。
感情豊かなように見えるけど、どこか上部だけの表情だと感じていた今までと違い、本当に困っているような顔をしていた。
黒崎君の後から教室へ入って良かった。これなら教室の扉へ向かう前に私がいるから、黒崎君が教室の外へ出ようとしても少し手間取らせることができる。
「最近、私のこと避けてるけど、なんで?」
少しの間待ってみたけど、返答は無い。黒崎君は横を向いて少し俯いたままだった。
話す気が無いんだろうか、それとも私と話すのが嫌なんだろうか。どちらだろうと、もうこの際だから言いたいことを言ってしまおう。
「言いたく無いなら、いいよ。言わなくて良い。ただ、今だけは逃げないで聞いて」
案の定、じり、と足を動かし出していた黒崎君に語気を強めて言う。
「私が倒れた日。黒崎君は心配してくれたけど、その気遣いを無視してごめん。でも、私が倒れたのは、私の自業自得だから黒崎君が」
「違う!それはオレがっ……」
気にすることでは無い、と言おうとした所で黒崎君に遮られた。当の本人は「しまった」と言い出しそうな表情をしている。
それに対して確かめるように問う。
「何が、違うの?」
「それは……。いや、何でも無いよ。
そうだね、次に体調が悪い時はすぐに保健室へ行ってね」
「それはそうする。で、何を言いかけたの」
「岬さん、さっき言わなくて良いって言ってなかった?」
「言いたく無いなら、言わなくて良いよ。
でも途中で口を挟んだってことは、何か言いたいことがあったんでしょ」
ぐっと体の横で両手を握りながら、前へ一歩踏み出す。それに伴い、黒崎君は後ろへ一歩退がった。
教室の窓から差し込む夕日で逆光となり黒崎君の表情が少し見えづらくなっていたけど、その綺麗な碧い瞳が苦く歪められているのが分かった。
「黒崎君」
一歩。
「黒崎君がもし、あの日のことを自分のせいだと思っていても、」
また一歩。
「もしも、本当に、黒崎君が悪いって事実があったのだとしても、」
もう一歩。
「私は、黒崎君のせいだなんて、黒崎君が悪いなんて、全く思わない」
とん。軽い音が聞こえる。
だいぶ大股で歩いていたから、窓際まで到達したみたいだ。
「さっき言いかけたこと、教えて」
じっと黒崎君の顔を見据える。私の言いたいことは言い切った。今の私の問いに答えてくれるかどうかは、黒崎君次第だ。今更ながらに緊張してきた心臓がどくどくと駆け足で動き出す。
どれくらい時間が経っただろう。そんなに長くは無かったのかもしれないけど、静まり返り張り詰めている空気も相まって10分くらい経ったような気がする。
ずっと気まずそうな表情をしていた黒崎君が、不意にくしゃりとその綺麗な容貌を更に歪めると、重く長い溜め息を吐きながらしゃがみ込んでしまった。
しゃがみ込んで体育座りになってしまった黒崎君が心配になり、私も黒崎君の真正面に腰を下ろす。
「……岬さん、意外とぐいぐい来るんだね」
「黒崎君の周りにいる子達ほどじゃないよ」
「そうかな?」
「そうだよ」
小さく顔を上げてそう言ってきた彼の表情は、苦笑いではあったものの一緒に昼ご飯を食べていた時の表情だった。