視界に入ったその表情は


 太陽のようにニカッと笑う少女がいた。

 中学生くらいの子だ。笑い方は男の子のようだったけど、その子の髪は腰くらいまで伸びていた。
 走ったり跳んだり蹴ったり防いだり振りかぶったり受け身をとったり。
 軽やかに戦うその姿は見ていて飽きないと思った。

 少女が飛びすさり視界から消えた瞬間、場面が切り替わった。
 高校の教室だ。見慣れた制服を着た少女は、誰かと話しているようだった。なんだか妙な質問をされたようで少女は目を瞬かせてから答える。
 至極当然の返答をした少女に対して、話している誰かはひどく驚いていたような気がした。

 そしてふっと、辺りが暗くなる。
 さっきまで夕方だったから夜にでもなったんだろうか。
 それにしては街灯も星も見えない。まっ暗闇だ。なんだか気分も重苦しくなってきた。

 何か明かりは無いかと周りを見渡すと、ある方向に鈍色の縦線がいくつも見える。
 その奥にはあの少女が居た。何やら苦しそうに蹲っている。
 こんな所に居続けては確かに体調も悪くなる。どうにか助けられないかと近づいてみるけど、鉄の格子に阻まれて出来なかった。さっき縦線だと思ったのは檻だったようだ。

 鉄格子の奥を更によく見ればもう一人誰かいる。さっきまで少女と話していた人のようだった。
 その人はゆっくりと少女に近づく。そして膝をつき、少女を抱き起こしてその両腕に閉じ込めた。
 その一連の様子も、なんとなく苦しそうに思えて。
 思わず手前にある鉄格子をぐっと掴んでその先へ手を伸ばそうとした。
 しかし、鉄格子を掴んだ手が弾かれて、その勢いのまま後ろへ転び尻餅をつく。痛くは無かったけど驚いてしまった。

 ハッとして再度檻の奥を見つめると、誰かの腕の中に居たはずの少女はおらず、その人はさっきの少女のように蹲っていた。
 声は聞こえなかったけど、泣いているのだと思った。

 何故だかそれが、ひどく悲しく思えて。
 せめてあの人だけでもと格子の隙間から手を伸ばす。
 自分の今の感情に引っ張られるように身体も重たかったけど。それでも、とありったけの力で手を伸ばした。

 不意にその人が私の方へと顔を上げる。
 今まで見えなかったその人のかおが、ようやく見えるのだと思った。



 目を開けると、視界に入ったのは自分の右手だった。次いで見慣れた自室の天井がカーテンから漏れた光で照らされていることに気づく。

 ゆめだった。

 はぁー、と長い溜め息を吐きながら右手をそのまま自分の顔へと持っていく。目元に当たった手の甲には湿った感触を覚えた。

 着替えて顔を洗おう。
 夢見の悪さによるものとはまた違った怠さを感じながら、ゆっくりと体を起こす。
 どれだけすっきりしない朝を迎えようが、学校は変わらずあるのだから。そう考えながら朝の支度を始めた。

---------------

 夢見が悪かった、ような気がする。

 なんとも後味の悪い光景を見せつけられた感覚はあるけど、詳細は思い出せない。何だったっけ。追いかけられる夢ではなかった気がする。それよりももっとどんよりと、重く薄暗い感じだった気が。
 岬さん?と、鉄分の取れる飲むヨーグルトを啜りながらぼんやりと考え進めていると、不意に真正面から声をかけられる。

「ぼーっとしてるけど大丈夫?」

「……あ、ごめん。変な夢見たから、ちょっと思い出してた」

「へんなゆめ?」

 男子にしては大きめの碧い瞳を瞬かせながら黒崎君は繰り返す。

「そう。内容は覚えてないんだけど、どうにもすっきりしなくて」

「うーん。それはそれで気になるけど、顔色悪いし体調も悪いんじゃない?」

「それは、…まぁ、うん」

 うん、と再び言い淀みながらストローに口をつける。もうほとんど飲み干してしまったけど、パックを潰せばまだ飲める。パックを畳みつつ、ズズッと中身を吸う。
 今日は女子特有のあの期間、2日目だ。お腹は痛くない。その代わりに体が鉛みたいに重いし、眠気がまぁまぁ強い。話を聴いて板書された内容をノートに書き写すだけの授業は正直キツかった。普段飲まないこの飲むヨーグルトも、気休め程度に飲んでいるものだ。

 最後まで飲み干したパックの中にストローを押し込み、ごちそうさまでしたと手を合わせて小さく言う。弁当箱とゴミをまとめた後で改めて黒崎くんに向き直る。

「申し訳ないんだけど、今すごく眠くて。仮眠取りたいから、ちょっと寝るね」

 そう言って机の上に置いた両腕に顔を埋める。えっ、と驚いた声を上げられるけど、伏せた頭を上げるのはもう少し後が良い。

「保健室で休んだ方がいいんじゃない?」

「いつも、こうしてれば良くなるから大丈夫だよ。先に教室、もどってていいから」

 そう告げて体から力を抜く。
 ゆっくりと意識が沈んでいくのを感じながら、黒崎くんがいつも以上にそわそわしているのを何でだろうなと不思議に思った。

---------------

「…さん、岬さん」

 肩の辺りを優しく揺すられている。瞼をゆっくりと開き、重い頭をなんとか持ち上げる。
 カーテンである程度抑えられているとは言え、夏の昼時の光は眩しい。目をぎゅっと閉じ、そしてそっと開けるのを何度か繰り返す。

「おはよう、岬さん」

 瞬きを何度かして思考も少しずつ回ってきた頃に、そう挨拶される。声の方に顔を向けると困ったように笑う黒崎くんがいた。教室、戻ってなかったんだ。

「あと10分で次の授業始まるよ」

「起こしてくれたんだ」

「体調の悪い子を流石に放っておけないからね」

「それは、…ありがとう」

「どういたしまして。それで、体調は?本当に保健室に行かなくても大丈夫?」

 ゆっくりと椅子から立ち上がり、まとめてあった弁当箱やゴミを持つ。少しぼんやりするし怠さはあるけど、保健室にまでは行かなくても大丈夫そうだ。

「うん。大丈夫。教室戻ろうか」

「分かった。でも無理そうならすぐに言ってね」

 普段ならバラバラに教室に戻っているけど、今日は時間もないからと一緒に行くことにする。
 なおも私の心配をしてくれる黒崎くんの表情は、さっきまでの困り笑いから変わって、強く心配しているような、焦ったような表情をしていた。
 前に怪我を手当してもらった時も思ったけど、そこまで気にしなくても良いのに。心配しすぎじゃないだろうか。
 教室への道すがらぽつりぽつりと会話しながらそんなことを思った。





 その後の授業の終わり。
 黒崎くんの心配の甲斐なく、私は、挨拶で立ち上がった拍子に貧血で倒れてしまった。

 聞かれた質問にぼんやりと答え、いつの間にか誰かに抱えられた時にふと黒崎くんと目が合う。
 黒崎くんは元々白い肌をさらに青くして何故か、叱られる前の子どものような表情をしていたから。
 そんな顔しなくても大丈夫だと伝えたくて、上手く力の入らない自分の右手を伸ばしたくなった。
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