Anemone
(サンジ視点)
握らされた赤を見つめ、それの名を呟いた。
それに彼は満足そうに笑う。
しかし瞬きをした次の瞬間、彼は赤い海と共に消え去った。
夢を追い掛けることは、いつも馬鹿にされているという印象しかなかった。
勿論それは周りの大人は指を指し声を上げて自分を馬鹿にするからだ。
それでも夢を追い続けたのは、いつか自分の話を真剣に聞いてくれる人間が現れるのではないかという希望があったからだ。
ただ笑って、一緒に夢を追いかけてくれる人が、いつかと。
彼に会った時胸が熱くなったのは、彼が共に夢を追いかけてくれる人間だと直感で感じたからだ。
少しくらい馬鹿でいい。
ただ笑って、美味そうに食べて、一緒に歩んでくれる。
そんな彼が、自分が腕を振るうに値する人間だと感じたのだ。
だから少々の我が儘だって叶えた、フランキーに頼んでキッチンの設備はだいぶ性能が上がっている。
勿論それは自分のためにしたことだが、彼を満足させれば自分の夢に一歩近付くのだと何故か勘違いしていたからだ。残念ながら、夢は今まさに砕けたわけだが。
元々ヘビースモーカーという自覚はある。
体に悪いから止めろと何度か注意もされた。
でもこれが自分にとって精神安定剤なのだ、無理な相談である。
そのタバコを仕切に吸いつづけるのは目の前にある現実にイライラが最骨頂に達したからだろう。
「そんなことしたってルフィは帰ってこねぇんだよぉ!」
見知った旗はやはりと言うべきか、エースが隊長を勤めている海賊団の船だった。
残念ながらエース本人は乗っていなかったのだが、ついてこい、という船員の意図はだいたいわかっていた。
白ひげ海賊団の船に案内されてやってきたのは、色々な草花生い茂る小さな島だった。
人がいない様子の無人島は暖かく春の気候だ。
そんな綺麗な景色の中に不格好に座り込む影に舌打ち以外出来なかった。
ウソップは尚も叫び続ける。
「兄貴なんだろ!?なんで、なんでっ」
座り込み頭をひたすら下げ続け顔を見せようとしないエースの胸倉を掴み、ウソップはがむしゃらに揺さ振った。
ウソップは涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔だった。それでも今までで一番男らしい顔だったかと思う。
ナミさんもチョッパーもロビンちゃんもフランキーも、ただ突き付けられた現実に涙を流して立ち尽くすだけだった。
「すまねぇ!」
顔を一向に上げないエースの声が聞こえる。
もう、タバコは手持ちが切れてしまった。
「俺がいながら……ホント、に……」
表情は見えないがエースはぱたぱたと音を立てて涙を流していた。
そこでとうとう口にしているタバコも終わり、残ったのはただの灰だけで。
手持ちぶたさになったので、そのまま怒りが収まらないウソップの腕を掴む。
今だ怒りが収まらないであろう手をなんとか離すと、そのままエースを見下ろす。
「なぁ、アンタ何してんだ」
次は少し重めのタバコを買おう。
なんだか物足りない気がする。
口寂しいなんて久々だ。
「なんで、そんな格好してんだよ」
地につく下げられた頭。
一度会った時も彼はこうして自分達に頭を下げていた。
ただ今は違う、あの時の様な意味ではない。
イライラする、ニコチン切れじゃなくこの姿に。
「俺達の船長は、そんな簡単に頭下げるような兄貴に命張ったわけじゃねぇ」
「……っ」
思わず振り上げた足はそのまま彼の頭に落とされる。
悪魔の実の能力を使えば避けられる筈なのに、甘んじて受け入れるのがまた腹が立つ。
本当はこんな事したいわけじゃない、でも怒りのやり場がないんだ。
「アンタの事自慢の兄貴だって言ったルフィに恥かかせんなよ!!」
掴みかかって顔上げさせて、情けねぇ顔に向かって叫ぶ。
彼も努力はしたと思う。
自分たちが傍にいてやれなかったのも悪い。
でも、でもこんなのあんまりではないか。
「俺はもっとアイツために飯作ってやりたかった」
「…サンジ」
「俺しか、未来の海賊王の腹を満たしてやれるすげぇコックはいないんだってそう思っていた!」
「サンジ」
「なのになんで兄貴が弟の夢奪うんだよぉ!!」
「サンジ!」
無理矢理ゾロに引き剥がされる。
まだ言い足りない、もっともっと言いたい事はたくさんあるのに何で止める。
自分を止めようとする腕を振り払い、再びエースに掴みかかろうと腕を伸ばす。
「いい加減にしろ!エースにキレるのはお門違いだ。それに……自分の手、良く見てみろ」
「……あ、」
ゾロに言われ初めて気付く。
手のひらに散らばる赤に、なんて事をしてしまったんだと思った。
無意識に爪を立てたのか、爪の間から手のひらにかけて広がる赤。
彼を奪っていった、あの、赤。
「料理人は手が命だろ」
そう言って、前に踏み出るゾロをぼんやりと見つめた。
きっとコイツも自分と同じ気持ちの筈なのに、自分よりずっと冷静だった。
脇に差した刀を抜く事もせずただじっと相手を見る。
誰もがじっと、ゾロの言葉を待っていた。
「本当は、アンタに全部話してもらおうと思った」
「……そうだな。俺にはその責任がある」
「本当は、ルフィを…船長を返してもらおうと思った」
「それは、当然だな」
「でもやめだ。歯ぁくいしばれ」
「え……っぐ!?」
突然繰りだされた拳に吹き飛んでいったエースを、その場にいた全員がただ呆然と見つめた。
仰向けに倒れたエースもよくわかっていないのか、なかなか動かない。
「これでチャラだ」
そう言ってエースに背を向けるゾロに慌ててエースは立ち上がる。
思わず俺も引きとめてしまうくらいのあっけなさに、心が付いていかなかった。
「おいゾロ、お前」
「アンタの顔は二度と見たくねえ!」
「ゾロ…」
涙を流しながらナミさんがゾロを見上げる。
背を見せているせいで自分からはやはり顔が見えない。
「これから俺たちはアンタに今後一切関わらない。それでアンタも俺たちに関わらない。これでこの話は終わりだ」
そう吐き捨てて、ゾロはあっさり船に帰ってしまった。
それを追うように皆船に戻っていく。
こんなに簡単に諦めてしまっていいのだろうか。
自分は諦めたくなんてないのに、皆、皆……
「すまねぇ」
その声に顔を上げる。
エースは謝罪の言葉を紡ぐが、顔は先程までの情けない顔なんかではなかった。
赤く腫れた頬に、少しだけ、本当に少しだけ笑顔が浮かんでいる。
まっすぐ見つめて、発せられた言葉は俺に向かって飛んだ。
まだまだ言い足りないなんて思っていたのに、彼の顔を正面から見てそんな思いは吹き飛んでいく。
「……ブルック」
「はい?なんでしょうサンジさん」
「一曲、引いてくれないか?」
船に戻ろうとしていた音楽家を呼びとめる。
最後に一つ、あのムカつくほどカッコいい兄貴にひと泡吹かせてやろうと思った。
「俺たちの船長が好きだった曲を、一曲頼む」
最後の別れにざまあみろ。
感動して悔しくて涙なんか流して兄貴なんて思えないような、ルフィに二度と会えないような顔でここに立ちつくしてしまえばいい。
奏でられたヴァイオリンの音。
それを耳にし、エースは目を見開いた。
どうだバカ野郎、懐かしいだろ。
その思いに答えるように、エースは声にならない声でこう伝えてきやがった。
『ありがとう』
その時の笑顔が、ルフィにそっくりで。
血なんか関係ない、本当に兄弟なんだって見せつけられて。
ぐるぐる渦巻いていた嫉妬の渦が、ぐちゃぐちゃに混ざって泪となって溢れてしまった。
「クソ恥ずかしいな、ちくしょう!」
見ていますか、我らが船長。
私たちはこんなにも貴方を愛しています。
だから、どうか。
Anemone
(You must believe and be waiting for us.)
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