君の側にいたい 4
「それで、遺体は?」
「見つからないんです」
「見つからない?そんなわけないだろ、あの男は自白したんだ」
「そうなんですけど、でも証拠の死体が出てこないんです」
突然警察に現れた男は、弟を殺したと言った。
いや、本人は弟を愛したと始めは言った。
意味不明な言動に、最初は署内の誰もが悪戯だと思いまともに取り合わず追い返した。
しかし次の日も男は現れ、また次の日も、その次の日も同じ事を言う。
ついにそれが二週間も続き、頭のおかしくなった、薬でもやった人間ではないかと事情聴取をすることにしたのは三日前。
そしてその日、とうとうそれが事件だと発覚した。
「それにおかしいんです」
「何が」
「あの男、弟なんていないんです」
戸籍上に血縁関係の人間は既になくなっている両親しかいなかった。
親戚と呼ばれるものも調べたが、今現在の情報では該当する少年はいない。
「やっぱり飛んじまってるんじゃねえのか?」
「いえ、反応は出てないそうです」
「ったく、なんなんだよ」
イライラした時に物に当たるのは良くない癖だとわかってはいるが、こうも先の見えない事件に抑え切れない感情を吐き出す。
ガツンと思わず蹴飛ばしたのは、死体があったと思われるベッドだ。
「確かにあの男はここに弟の死体を置いてあるっつったのになぁ」
初めからそこには誰もいなかったとでも言うように、綺麗に整えられ皴ひとつないシーツに苛立ちしか湧かない。
「もしかして、食べてしまったんじゃないですかね」
「あぁ?ふざけた事言ってんじゃねえよ」
「でも最近多いみたいですよ。カニバリズムっていうんですが」
「人間を食べるなんて恐ろしい事できるか!」
「そうですよね……やっぱりそう思いますよね」
「当たり前だ」
「ではもっと詳しく調べますので、シャンクス警部は戻っていて下さい」
「おお、後は頼んだ」
話しが終わると、男はガクリと膝を付いた。
その身体を側にあったベッドに座らせ、肩を揺すり起こす。
「エースさん、エースさん」
するとピクリと瞼が揺れ開かれた瞳は、虚ろをさ迷っていたが声に反応しこちらへ意識を向ける。
そして顔を見るなり眉間に皴を寄せ、嫌そうな顔つきでこちらを見つめた。
「先程警部とこの部屋を調べましたが、弟さんは見つかりませんでした」
「見つからない?嘘をつくんじゃねえ、俺はルフィをここに寝かせておいた」
「ええ、でも見つからないのです」
「あの男、シャンクスとか言ったか。いい加減な野郎なんじゃねえのか?」
「警部の腕は確かですよ?」
「会ったこともない野郎を信じられるか!いいか、俺はルフィが見つかるまで何も話さない、話すこともない。それまで声をかけるな」
「……わかりました」
そしてエースは瞼を下ろす。
再び開いた瞳は、少しだけ別の色を持っていた。
「ルフィは見つかりましたか?」
「サボさん、すみませんまだ……」
「何をグズグズしてるんですか。俺言いましたよね?弟はエースに連れ去られたんです、早くエースを探して下さい!」
色を変えた男、サボは優しい面持ちに反し癇癪を起こすように騒ぎ立てた。
ルフィは前からエースに暴行を受けていた、兄の皮を被った最低な人間だと。
「早くルフィを見つけて下さい。心配で眠ることも出来ない」
「わかりました。何か情報が見つかり次第、すぐにご連絡します」
その言葉に納得したのか、サボは瞼を閉じるとそのままばたりと倒れた。
恐らく暫くは誰も目を覚まさないだろう。
間も開けず、部屋の扉が開かれ新たな人間が顔を出す。
「終わったか?」
「今眠ったところです」
「そうか」
横たわる身体を一瞥して、それからすぐにこちらに視線が向けられた。
白衣であるいも関わらず具合いの悪そうな顔つきに思わず心配をするが、これが彼の通常なのでもう慣れてしまった。
「で、こいつはお前の事もわからなくなったのか?」
「はい」
「もう敬語はやめろ、今は通常勤務の時間だ」
「うん」
着慣れないスーツに堅苦しさを感じ、ネクタイを外し上着を放り側に掛けてあった着慣れた白衣を羽織る。
ワックスで整えた髪もなんだかむず痒くて、手でぐしゃぐしゃと崩してしまった。
ベタついた手が気持ち悪い。
「あれだけ愛してるとほざいた割には、もう弟の顔すらわからないなんて呆気なさすぎるな」
「エースもサボも、混乱してるんだよ」
「しかしとうとうシャンクスなんて新しい人格まで作っちまった。これじゃあ完治なんて無理なんじゃないのか?」
「治すよ、治してみせる。エースがこうなったの、俺のせいだから」
心理学にのめり込み、学業ばかりで兄を放り出してしまったのは自分だ。
最初はやりたいことをすればいいと応援してくれた兄だったが、目に見えてわかる独占欲は我慢の限界を見せ始めていた。
そんな兄を研究対象にした自分は、今思えば兄達を言えないほど狂っていたのかもしれない。
ジレンマに揺れ、手が伸ばせないでいる兄を観察することに興奮が収まる事がなかった。
日に日に現れる症状はいつしか度を越え、逃げる為に兄は自分の中に人格を作っていた。
それはもどかしさに耐え兼ね、自分の臆病な部分を信じられなかった結果なのだろう。
誰か、違う人間で埋める弟との時間は、兄を満たしてくれていたのだろうか?
否、それが再び限界を迎えた為にとうとう自分を監禁し、最後には殺そうとしたのだろう。
「しかし、あの時俺がいなかったらお前死んでたな」
「でもまさか車でひかれるとは思わなかった」
「そう言うなよ。お前が怪我したお陰でこうして兄弟揃ってうちで面倒見てやっている」
「そういう面では、ローには感謝してる」
もしあの時、中々顔を出さない自分を心配して様子を見に来たこの男が現れなければ、間違いなく死んでいた。
混濁した意識の中で、兄の名を呼ぶこともできず転がった自分を拾い上げてくれたのはローだ。
ローは同じ医大生ではあるが、専攻は精神医学の自分とは違い外科学専攻だ。
しかし元々クラスも同じだったため、性格は反するがそれ故に親しい仲になった。
勿論、自分が兄を対象に研究を始めていたの事も知っていた。
この自宅に似せた部屋を病室に作れたのも、協力してくれたローがこの病院の跡取りだからだ。
「感謝か。なら、兄貴が良くなったら、恩返ししてくれ」
舐めるような視線は既に見慣れたものだ。
あぁ、今度はこの男が研究対象なのかも知れない。
それもいい、きっと彼はまた違う結果を見せてくれる。
医者の神経なんて人より図太くないとやっていけない。
それを、ぶつりと、切ってやる。
兄を愛している。
この感情は、残念ながら兄弟のそれをいつしか超えてしまっていた。
それは兄も同じである。
ただその愛情のベクトルが、互いに合わなかったのだ。
どこかで捻じれて絡まって、すれ違うことなく互いを求めた結果が今なのか。
それともこの先にまた違う結果がまっているのか。
最後はわからない、もしかしたら最後なんて来ないかもしれない。
ただ。
伏せられた瞼が開いた時、それがどの人格であったとしても。
兄達が、弟の事も自分の事もわからなくなっていたとしても。
兄が純粋に、一番に見つめるのは。
己ただ一人である。
君の側にいたい