永久に眠れ魅の闇よ

 ミッドローアーテル(鉱物・天然鉱物顔料)
 小規模な露天掘り鉱山であるデザライト鉱山でのみ採れる鉱物。この鉱山で発掘される主な鉱物はデザライトとされているが、実はそれを上回る数のミッドローアーテルが眠っていると見られている。しかしミッドローアーテルに鉱物としての価値はほとんどなく、デザライトが採れなくなったことにより鉱山は衰退した。
 ミッドローアーテルはフェリシナという画家が顔料として愛用したが、鉱物を独占するため顔料に関する情報は頑なに秘密にしていた。死後、妻がミッドローアーテルについて公開したが、使い方を間違えればその色だけが浮いて見えてしまい、使いこなすのが難しいと人気は出ず、現在は知る人ぞ知る顔料となっている。ミッドローアーテルから生まれる色は鉱物の名からそのまま「ミッドローアーテル」と呼ばれる。暗闇のなかに青と赤を秘める、美しい色である。
 クロロがミッドローアーテルの存在を知ったのも、勿論と言うべきか、やはりフェリシナの絵からだった。フェリシナは必ず絵のどこかにミッドローアーテルを潜めていたので、フェリシナの四点目の絵を鑑賞する頃には、もうクロロはその暗闇の名前を把握していた上、かなり気に入っていたのである。他の画家がこの色を使えばどのような表現になるのだろうかという期待からあれこれとミッドローアーテルを使用した絵、画家を探してみたが、少なくともクロロが探した範囲では、やはりフェリシナ以外にはいないのだった。しかもデザライト鉱山は近いうちに閉鎖し、埋め立てられてしまうという話ではないか。
 クロロはパソコンを閉じネットカフェを退出すると、その足で二つ隣の美術館へ向かった。この美術館は一ヶ月程前から「あと一歩有名になり損ねた画家たち」の絵を集めた展示を行っていたが、それもあと三日で終了する。特段気に入った絵があるわけではない様子だったが、クロロはここ数日毎日足を運んでいた。この展示の雰囲気そのものを好んでいるように、何より展示会の終了を惜しむように。もしくはフェリシナの絵も二点、飾られていたためかもしれないが、クロロはこの絵を盗るつもりはないようだった。フェリシナの絵全てを無条件に愛しているわけでもないのだ、確かにこの二点の絵も魅力的ではあるのだが、彼が手元に置いておきたいと思うまでかと問われれば、そうでもないらしい。いや、しかしやはり、この展示会が気に入っているからこそ、そうしなかっただけかもしれない。
 昨日と違い館内は閑静だった。端に座る監視係の女もぼうっと視線の先にある「踊る子」を眺め、この寂に浸っているようだった。女は前日も勤務しており、クロロは珍しくそのことを覚えていた。彼女が最近読んだ小説の登場人物の容姿と、非常によく似ていたからだった。かつ、なかなかその登場人物に好感を抱いたからである。女を通りすぎ、クロロはフェリシナの「月明かり」の前で立ち止まった。考えるのはミッドローアーテル、そしてデザライト鉱山のことだ。やはりこの色が失くなるのは惜しい。鉱山を買い取る予定の男はリゾート開発に力をいれているはずだ、デザライト鉱山もその候補地であろう、少なくとも、鉱石としての価値は生憎高くないミッドローアーテルの採掘をするべく金を出す人物ではないとクロロは思う。鉱山を盗むか、否、土地をかっさらかったことなどない、掌中に納まるものとは違うのだ、どうしたものかと頭を悩ませていると、隣にひとりの若い男がやって来た。無論ここは美術館なのだから、男の目当てはクロロではなく、クロロの目の前にあるフェリシナの「月明かり」である。このひとけのない美術館でわざわざ先客がいる絵画を共に鑑賞するというのも珍しい話だが、この男の目的は最初からフェリシナの絵で、そして実はクロロが絵の前から退くのを待っていたのだが、しばらく待ってみても一向に退く気配がなかったため、こうして肩を並べることにしたというわけだ。が、もちろんクロロに男のそんな理由など知る由もなく、立場柄というべきか職業柄というべきか、パーソナルスペースの決して広くないクロロからしてみれば、他に鑑賞対象などいくらでもありそうな美術館内わざわざ隣に来る男に少なからずの警戒心を抱いてしまうのは、仕方ないことであろう。男をちらりと一瞥するが、男の意識が完全にフェリシナの絵に向けられていることを察するとクロロはようやく警戒を解いた。
「ミッドローアーテルは知ってるか」
 と、クロロが男に声を掛けたのは、その男の袖に絵の具がついていることに気付いたからである。カバンのなかからはスケッチブックがはみ出しており、胸ポケットからは芯の長く削られた鉛筆が覗いている。
 男はクロロに顔を向け、やや戸惑いながら「え、ああ、まあ」と二度頷いた。二人の声は館内の絵画たちを驚かさないようにと遠慮されたように密やかで、その響きで静寂を脅かすことは決してなかった。
「フェリシナ以外でミッドローアーテルを使っている画家なんだが、他に誰か知らないか?」
「いや……オレ、あ、私も、フェリシナの作品でしか知らないです。なので、第二号になれたら良いなとは思ってるんですが」
「ミッドローアーテルを使ってるのか」
「はい、一応。でもまだ使いこなせてないので」
 フェリシナの死後にその存在が知られて以来ミッドローアーテルを使う画家は少なからずいる。正確に言えば、いた。興味本位で使ってはみるもののやはり使いこなすのが難しく、他者に公表出来る作品として完成させるまでに至った画家は素人やプロ問わずいなかったのである。そしてこの若い男はまだ絵で稼いだことのない素人だろうが、なんとかミッドローアーテルを使いこなさんとしているようだ。途端にクロロは愛想の良い笑みを浮かべた。その微笑のまま、もし良かったらキミの絵を見せてほしいとクロロがお願いすれば、男は明日この美術館前の広場で何枚か絵を売る予定だから、そのときに是非と返す。どうせ明日も来るつもりだったのだ、広場に足を運ぶくらいなら容易い。クロロは二つ返事で承諾した。
「ミッドローアーテルを使ったものはないですよ。まだ誰かに見せられるような作品は出来ていなくて」
「そう簡単にいかないことは理解してるつもりだ。フェリシナでさえ自身が満足する仕上がりになるまで五年掛かったらしいな。毎日のように色と向き合って五年なんだから相当だ」
 残念ながら最近の画家は忍耐力がないらしい、とクロロは付け加えた。もちろん彼が知らないだけでミッドローアーテルを自由に操ろうと努力している画家はいるのだろうが、今のところ作品として発表されていないのであればいないも同然である。画家は本当に小さく首を振り、難しい色ですからねと呟いた。二人の背中を監視係はやはりぼうっと見つめていた。
「こんなに魅力的な闇もそうそうないと思うんだがな。デザライト鉱山が埋め立てられる話は知ってるか? ミッドローアーテルが採れなくなると知れば長い年月をかけてこの色と向き合う画家も今以上に少なくなるんだろうな」
「最近記事を読みました。今売られている分のミッドローアーテルは買い占めとこうかなって、ハハ、オレ……あ、私にお金があったら、鉱山ごと買うんですけどね」
 バカなことを言ったなという気持ちで男は頭を掻きヘラリと笑った。男の言葉を聞いてすぐクロロは口元に指を添え、黙りこんだかと思うと「なるほど」と呟いた。
「普段大物はいかに盗るかと考えがちだからか……こんな単純なことも思い付かなかった」
「?」
 クロロは携帯を取り出して自身の銀行口座にログインすると残高を確認し、またすぐに携帯をポケットに突っ込んだ。その間、男はつい画面を覗いてしまいそうな己の好奇心を抑えるため顔を背けており、なあ、と声を掛けられたところでようやくをクロロを向き直る律儀さを見せた。
「明日は無理になりそうだ。よければ今から絵を見せてくれないか?」


「あっ団長、最近デカい獲物何か盗った?」
 と、今回の仕事の拠点となる自動車工場跡地に現れたクロロに対して開口一番シャルナークが尋ねたのは、クロロが到着する直前まで、その話で盛り上がっていたからであった。隣からフィンクスがクロロを見て「本当に来たぜ」と幽霊でも見るような珍しさで声を発し、さらにそのとなりからウボーギンが「連絡ついた時点で奇跡だっただろ」と酒をぐびぐびと飲んでいる。一六時。酒にはやや早い時間かもしれないが、彼らにはあまり関係ない。ウボーギンのとなりでちびちびと酒を飲んでいたパクノダが缶から口を離した。
「団長が来たからには仕切るのも団長ですよね」
「いや、これは旅団ではなくフィンクス個人の仕事だろ。オレも参加者だ。フィンクスの指示に従うさ」
「オイオイ嘘だろ。団長がいんだから団長してくれよ」
「いない前提だったんだろ」
「そうだけどよォ」
 フィンクスがもごもごと口を動かし、まあやるけどさと溜め息を吐く様子にクロロが満悦に頷く。それからウボーギンから酒を受け取り、横たわったタイヤに腰を下ろしプルタブに指を引っかけた。この缶ビール美味いな新商品らしいぜという話をしながらクロロは一本目を空にした。二本目の半分くらいまでを飲んだとき、ふと思い出したように「そういえばデカい獲物が何とか」とシャルナークに顔を向ける。酒を飲む。ぐいっと顎を上げたとき、クロロの耳飾りがライトの光を受け鈍く光った。
「ああ。団長が来る前、ここ三ヶ月で誰の獲物が一番デカかったかって話になってさ。個人活動限定で。今んとこウボーなんだけど」
「たまにゃワインが飲みたくなってな」
「話聞いて軽く計算してみたんだけど総額約二億だね。ハハハ、お店カワイソー」
 そんなことは微塵も思っていない笑顔である。
「二位はシャルだ。最新型のパソコン、七〇万だっけか」
「違うよ。七三万」
 大差ねェだろ四捨五入だとフィンクスが無い眉を寄せるうしろで、クロロは「盗ってはないが金も盗品扱いならオレが一位だな」と缶ビールのラベルの文字を読みながら微笑んだ。原材料名麦芽ホップ、内容量三三〇ミリリットル、賞味期限(年月)は缶底中段に表示…………。「金出したのかよ団長」ウボーはあり得ないといった表情をみせるが、他のメンバーは純粋に何を買ったかだけが気になるようだ。「何買ったの?」「いくらですか?」という問いにクロロはまず「山」と答え、次の疑問に答えようとしたところを「山ァ!?」というフィンクスの声に遮られたので口を閉じる。ラベルから目を離し時間を確認する。一八時。まだ雑談をしていられるが、もう少しすれば仕事の話に移ったほうがいいだろう。
「ハイキングでもするつもりかよ」
「語弊があった。山というより鉱山だ」
 どちらにしろ山ではある。
「採掘でもする気かよ……?」
「で、その鉱山はいくらだったんですか」
「八〇〇億だったかな」
 お宝採掘か楽しそうだなと豪快に笑うウボーギンに対し、シャルナークは「宝石なんて加工済みのものを盗る方がよっぽど手っ取り早いのに」とやや呆れたようにビールを煽る。デザライト鉱山を買い取った目的は確かに鉱物だが宝石ではない、ミッドローアーテルに鉱石としての価値はほとんどないがアーテルからつくられる色が素晴らしいのだと語るクロロに、一同は揃って信じられないという顔をした。たかが絵の具のために鉱山を買ってしまうという行動が、絵画を愛でる趣味の無い団員にとっては理解しにくいことだったのである。
「ふうん……まーでも、もしかしたら原石も埋まってるかもね」
「あってもおかしくはないがオレの知るところじゃないな。もう手放したし」
「え、どういうこと?」
「絵を描く人間が持っているべきだろう。絵と引き換えに土地の権利を渡したよ」
 ミッドローアーテルを使った傑作が生まれるのが楽しみだよと、本当に楽しみなのだろう、クロロはクスクスと愉快そうに笑いながら酒を飲み干した。まだまだ粗さはあるものの確かな才能を秘めたあの若い男の絵は、クロロからすると先行投資の価値に十分値したらしい。三本目のビールを上機嫌に飲みながら、しかしクロロにはその行為にも言葉にも縁のない人生を送っていたがため見落としていることがひとつあった。彼は連絡先を交換していなかったので、貧しい若い画家が金に困った際、それを察することが出来ないのだ。つまり、税金という問題を。
 一年後、若い画家は多額の固定資産税が支払えず結局デザライト鉱山を泣く泣く手放すことになるのだが、子供のような無邪気さでミッドローアーテルを使用した傑作誕生を待つクロロがその事実を知る術は、酒を飲んでいるこの時点では、残念ながら無さそうである。

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