作品 | ナノ




じりじりと追い詰めるかのように、七月半ばの太陽が容赦なく照りつけている。どこまでも果てしなく続いているアスファルトの道には、蜃気楼がゆらゆらと揺れていた。それに沿って、さとうきび畑も、延々に続いている。耳朶を打つのは鬱陶しい蝉の鳴き声だけだった。徐々に湧き上がってくる苛立ちを紛らわそうと、鞄の中から音楽プレーヤーを取り出して、両耳にイヤホンを付ける。両耳から流れた曲はフランツ・シューベルト作曲―――ピアノソナタの21番変ロ長調。計算された美しい旋律の中に情緒的なメロディ取り入れることで、高く評価された彼の作品でも、もっとも最高傑作と謳われたこの曲はいつ聞いても心の奥深くに響き渡ってやまない。

「…さて、そろそろですかね」

一人ごとを呟いたちょうどその時だった。ズボンのポケットに入れていた携帯が震える。手を突っ込んでそれを取り出すと名字名前と表紙された文字と共に番号が並んでいた。ほんの小さな微笑を浮かべて、片方のイヤホンを取ると、ボタンを押して耳元に押し充てる。

「もしもし、木手ですが――」
「あ、永四郎」
「…あと十分もあればそちらへ着くでしょう」
「分かった。正門前で待ってるねー」
「くれぐれも熱中症にならないようにこまめに水分補給を取ってくださいよ。倒れられたら面倒ですからね」

彼女の返事をろくに聞かずに、木手は何のためらいもなく、一方的に切ると画面を閉じた。どうせ返ってくる答えは決まっているのだから、返事は聞かなくとも、分かり切っているのだ。一息ついてから、片方の外したイヤホンを付け直す。

「そういえば…」

名前には偉そうに言っておきながら、自分は水分補給もおろか、汗すら拭いていないことに、今になって、気付いた。完全に熱さにやられてしまっていたらしい。もしこの暑さにやられて、倒れでもしたら、それこそ元も子もないだろう。彼は鞄の中からタオルとペットボトルを取りだすと、少し足早に目的地へ向って、歩き出したのだった。

▽▲

正門の前でしゃがみこんで携帯をいじる名前の姿を見つけてしまった木手は頭が痛くなるのを感じて咄嗟にこめかみを抑える。どうしてなのか理由は定かではないが、長期休暇の最初の二日間だけ休暇を取る職員がほとんどで、それに合わせて休みを取る部活動が多い。現にテニス部の部長の彼もその二日間だけは休みを取っている。そもそも、我がテニス部は休みを取る予定はなかった。しかし、顧問の早乙女晴美に予定表を提出しようと、教室を出た所で、ずっと待ち伏せていた甲斐裕次郎と田仁志慧に泣きつかれて仕方なく休みを取ったのである。休みにする代わりに交換条件として、彼らが苦手とする、ゴーヤを丸ごと五本食べさせたが、後悔などしていない。しかるべき制裁を下したまでである。

「まったく困った子ですね…」

今や無人と化している学校の前で堂々と携帯をいじり続けてる彼女は確か長期休暇になる一週間も、その一週間前も、ことごとく没収されていたのが、印象的で、記憶の片隅に残っている。いくら注意しようとも性懲りもなく持って来ては没収されるのだ。教職員がいないからといって、必ずしも安全とは言い切れないのに、まったくもって学習能力がないらしい。

「こうなっては仕方ない」

木手は右手で眼鏡の左側を上げるとゆっくり名前に近付いた。よほど集中しているみたいで、目の前に立ちふさがっても、気付かないとは流石は違反物常習犯だけはある。そんな鈍感過ぎる彼女に彼は哀れを通り越して滑稽だとせせら笑う。片膝をついて、しゃがみ込むと、両手を広げた。そして顔の前で思いっきり手を叩けば、名前はびくりと肩を揺らして、瞬時に顔を上げる。見開かれた鳶色の瞳を至近距離でじっと見据えていると、我にかえった目の前の少女は、苦笑いを浮かべて携帯をぱたりと閉じれば、傍にあった鞄に仕舞い込んだ。

「まったくいい度胸していますよね。私をここまで呼びだしておいて――さて、どうしてくれましょうか…?」

にっこりと微笑むと顔を引きつらせて小さな悲鳴を上げた彼女は必死に首を横に振る。しばらくの防衛戦の結果――今回だけは大目に見てやることにした彼は目を逸らして徐に立ち上がった。ついでに強引に手首を掴むと、無理やりに立ち上がらせる。

「それで、私を呼びだした用とは何ですか?」
「あぁ、えっとね…――」

名前は土が付着して汚れた後ろを手の平で叩きながら、地面に置いたままの鞄を手に取ると、その中からとある物を取り出して、木手に差し出された。それは近所の小さな神社に販売されている身体健全を願うお守りだ。満面の笑みを浮かべて、得意げに差し出した彼女に、彼はわざわざこんな物のために呼び出されたのかと思えば、それだけで頭が痛くなった。頭の中で駆け巡る気持ちをなんとか抑えようと、軽く崩れかかった絶妙な髪型を、櫛で整える。

「受け取ってくれない、の…?」

不安げに小首を傾げて見つめる彼女に痺れを切らした彼は差し出されたそれを乱暴に受け取った。

「ありがとう、永四郎」

腕に絡みつこうと手を伸ばした手前で名前の足を思いっきり踏みつけた木手は一つ深呼吸をする。

「…二つほど質問します。いいですか?」
「え、まぁ…い、いいよ」
「どうして勝利祈願じゃなくて身体健全のお守りなんですか?それと一つ互いの家が隣同士なのにどうしてわざわざ学校に呼びだしたんですか?あと渡す時期が違いますから」

そして木手は彼女に視線を向けると――思ったよりも力強く踏みつけてしまったらしい――しゃがみこんで踏みつけた方の足をさりながら彼を見据えた名前は声を出す。

「絶対に負けないから」
「は、」
「比嘉中テニス部は全国に行くために、それこそ、死ぬ思いで、頑張って来たのを、私は知ってる。次の試合で全国へ行けるかどうか決まるけど、永四郎達は絶対に負けないのも、私は知ってる。だから、私に出来ることと言えば、これくらいしかないもの」

そう言って笑った彼女に、彼は喉元まで出て来た言葉を、飲み込むしかなかった。

「…帰りますよ」
「え、」
「だから、家へ帰りますよ」

背を向けて歩き出せば、遅れてついて来た名前は腕を絡ませて、お互いの手が繋がれた。普段なら振りほどくものの、今日だけは特別に、許してやろう。まさかあそこまで考えてくれていたなんて思わなかったのだから。口が裂けても嬉しいだなんて言葉―――たとえ明日死んだとしても口にすることすら出来はしないのだ。













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