花嫁衣装を着た人形





 くるりくるりと布を巻きつけ花をつけ、うんと可愛く着飾りましょう。あなたへたむける、おひいさま。


 


 暗がりに小さな灯がひとつ。隠れるように浮かんでいた。

「旦那」
「おお、佐助か。して、得たものは」
「いんや、これといって。けど、奴さんも明日が決戦になるだろうって」
「やはりか」

 その灯の下にいたのは武田が家臣、真田幸村である。自軍の陣より少し離れた、敵軍の陣幕の直ぐ傍に身を潜めていたのだ。無論、闇討ちをするわけではない。夜襲を危惧してのことである。
 幸村に声を掛けたのは真田忍隊が長、猿飛佐助。戦が一時の収束をみせた折、密かに敵軍へ密偵として潜り込んでいたのだ。しかし、得るものは何一つなく。誰もが明日が決戦の日となるだろうと、そう話しているだけである。敵軍というのも、越後の上杉である。義軍を称する上杉が、卑怯な策を弄するはずが無い。それも、決戦となる明日だ。幸村の主である武田信玄との勝負を待ちわびている筈だ。

「明日の戦が、勝敗を決めるだろう」

 幸村は、噛み締めるように低く、呟いた。これ以上、兵を消費することは出来ない。信玄の上洛にはまだまだ兵力が必要なのだ。ひとりでも生かさなければならない。だが、天下に名を轟かす上杉だ。兵を抑えた状態で勝てるわけもない。しかしそれでも、成さねば成らぬ。

「……旦那」
「明日は、心して掛かるのだぞ」
「はは、誰に言ってんの?」

得意げに、笑って言うと、幸村も満足げに笑んで深く頷いた。
 その笑顔を見てから佐助は、腰にぶらさげていた握り飯を差し出した。それから、懐に忍ばせていた物に手を伸ばすが、どうにも戸惑われて、そのまま手を引っ込める。幸村はそれに気付いた様子はない。
 握り飯を受け取ると、穴が空くかと思うほど見つめている。それは普段となんら変わりのないものだ。もしや毒を疑われているのか。否、この恐ろしくも純粋な主に限ってそんなことは。そう考えていると、拍子抜けしてしまうような言葉が投げかけられた。

「これはお主が作ったのか?」
「そんな訳ないでしょうが、普通に給仕さんが作ったやつだよ」
「……そうか」

 先ほどの笑顔から一転して、幸村は心底残念だと言わんばかりに肩を落とした。
 給仕と忍、比べるまでもなく、どちらが作ったほうが美味いかなど解っているだろうに。

「なんでそんな残念そうなのさ」
「いや、佐助の握り飯を食うてみたかったのだ」
「きっとまずいよ、作ったことないしさ」
「かまわぬ」

 幸村は泥のついた手を装束で乱雑に拭った。握り飯の包みを開き、軽く頭を下げる。「頂戴仕る」と一つ呟いて、汚れた手で握り飯を鷲掴んだ。そして、そのまま口の中へと放り込んだ。戦場では、いつもこうだ。皆、汚れた手で飯を渇食らう。白米も、これでは勿体無い。

「……明日、作るよ」
「明日か」
「うん、明日」

 そうか。そう、頷くと残った握り飯も全て、詰め込むように口の中へと放り込んだ。包みに付いていた米粒も残さず食べた。包み紙だけ、佐助に押し付けた。佐助は文句も言わずにそれを受け取り、懐に仕舞う。

「佐助」
「はいよ」

 手首を掴まれた。佐助は、その掴まれた手をじい、と見つめる。幸村の顔を、見ない為である。恐らく、死を覚悟した、そんな顔をしている。見なくても手に取るように解った。

「死ぬな」

 掲げた六文銭より遥かに重い、死を覚悟したそんな顔をして、何を言うのだろうか。
 佐助は掴まれたままの手首からそっと逃れて、一歩半、距離を置いた。

「旦那」

 先の言葉には何も答えず、顔を俯かせたまま、懐からあるものを取り出した。

「あげるよ」
「……おなごの、人形か?」

 佐助が取り出したのは、女の人形だった。纏う布は所々ほつれている。髪の毛などざっくばらんで、結い上げているのが辛うじて解った。その頭の上には白い布が被せられている。
 白無垢を着た、人形だ。

「なにゆえ、このようなものを?」
「お守りだよ、あんたが無事に帰ってきて、お嫁さんが貰えますようにっていう」
「よ、嫁など……い、いらん!」
「いらん、じゃないでしょうが。このまま真田家を断絶させるつもり?」
「しかっ、しかし……おなごは、苦手だ……!」

 そろりと、伺い見るように佐助は顔を上げた。そこには、顔を真っ赤にさせて顔を顰める幸村がいた。
 ほうと安堵の息をついて、佐助は笑った。そうすると幸村は肩を怒らせて口を開いた。だが、今居る場所が敵陣近くだということを思い出し、留まる。

「旦那、俺、もういくよ」
「お館様のところか」
「そ、偵察結果を報告しないといけないからね」

 佐助が飛び上がろうとしたときだった。

「佐助!」
「旦那、静かに……」
「死ぬでないぞ!」

 もう一度、釘を刺すように言う幸村の顔を、思わず凝視してしまった。
死んでいく人の顔で死ぬなという、その残酷なこと。佐助は泣きたい心持になって、言葉を詰まらせた。喉に詰まった黒い塊を静かに飲み下して、搾り出すように言葉を返した。

「……旦那も、ね」

 それだけ言うと、佐助は暗闇に消える。その去り際に、花嫁衣裳を着た人形を握り締めて眺める幸村の姿が見えた。
 佐助は、あれの意味を、幸村が知ることが無い様にと。心の内で只管に願った。


 はなにあかぬなげきはいつもせしかどもきょうのこよいに、にるときはなし。




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花を見て、名残惜しいと思う嘆きは何時もするのですが、今日の今宵ほど名残惜しいと思うときはありません。

≪20101105≫








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