ヤブレター
はい、と差し出されたものは、細かく千切られた紙の残骸だった。紙には何かしら書かれていたのが見えるが、もはや文字として意味をなしていない。ただ、辛うじて読めたのは「佐」という字だけである。恐らく、助と続くに違いない。だが、それだけで何が書かれていたのか判断できるわけもなく。一頻りそれを眺めた後、幸村は佐助をみた。佐助はにこにこと笑みを浮かべるばかりで何も言わない。
「……佐助」
「なあに、旦那」
「これはなんだ」
手に乗っているものを指さしながら問えば、佐助は幸村の指先を確かめ、瞬きする。それから、傷ついたような、悲しい表情を浮かべた。笑みは消え、眉間には浅く皺が寄せられ、薄い唇はきゅっと引き締められている。佐助がそんな顔をするのはめったに無く、それこそ小学生以来のことである。
「さ、さすけ……」
幸村は困惑した。何が佐助を傷つける原因になったか解らなかったからだ。
「……旦那が要らないなら、捨ててくるよ」
正にしょんぼりいう擬音語がつきそうなほど、落ち込んでしまった。そして、ゆっくりとした足取りで開けっ放しになっている窓際へと寄っていく。手のひらに乗っている紙屑を捨てようとしているのだ。それは不味い。その窓の真下には、生徒指導長で、生徒に「鬼の小十郎」と呼ばれている片倉小十郎の畑があるのだ。そんなところへ紙屑を捨ててしまえば、佐助はころされてしまう。
「ま、待て!」
腕を掴んで引き寄せる。その瞬間、佐助は手に持った紙屑を守るように、ぎゅっと握り締めた。ざわりと首筋が熱くなる。こんな紙屑如きが、そんなに大事なのか。
「佐助」
捨てるといった紙屑を、大事に握り締めて離さない佐助を、壁際へと追いやった。一瞬、佐助の瞳が愉悦に歪んだ気がしたが、見ない振りをする。
「これは、なんだ」
「旦那が要らないって言ったものだよ」
「要らぬとは一言も言っておらぬ」
握られていた手が再び開いて、紙屑が姿を見せた。握ったせいで幾つか丸まってしまっている。益々不可解なものへと変わっていた。だが、佐助にはそうではないらしい。
その紙屑を見つめていると、佐助は恥らうように顔を俯かせた。
「これは俺様の心臓」
「なにを、」
ばかな。言葉を断ち切って、ぎりぎりその言葉を留めたが、聡い佐助は気づいてしまったらしい。俯いた顔がどのような表情をしているか知れないが、どうやら機嫌を損ねてしまったらしい。
「ラブレター」
次いでくる言葉を待ち受けていると、予想打にしていなかった言葉が、ころりと落ちてきた。だが、声量が小さかったためか、床に落ちて直ぐに四散していってしまった。
幸村がその言葉を理解するのを待ちきれないと、佐助が再び口を開いた。
「俺様が人生初めて書いた、ラブレターだよ」
今度ははっきりと、先ほどより大きな声で、言った。そして、俯いていた顔が此方をみて、正に花も綻ぶような笑みを浮かべていた。
「それは、俺への……ラブレターなのか」
「うん、俺様の愛の結晶」
ラブレターと名のついた紙屑は、入り込んでくる風に煽られ、手のひらの中で揺れている。飛ばされてしまいそうだ。
それが愛の結晶というのなら、何物にも渡すわけにはいかない。
「ならば、貰い受ける」
佐助の手からラブレターを奪うように攫めば、そのまま口に放り込んだ。かさかさとしていて、口の中の水分が奪われていく。味はしないし、歯応えは抜群に悪い。ラブレター、もとい愛の結晶は、なんと不味いことだろう。誰の手で作られたかも知れない、コンビニで売られている甘味のほうがよっぽど美味しい。
しかし、それでも、吐き出すことはしない。土にも風にも、ましてや焼却炉などに、この愛をくれてやるわけにはいかない。佐助の愛は、永久、幸村のものなのだ。万物全て、それに触れることは絶対に許さない。
取りこぼしたラブレターも一つ残らず食べ終えると、顔の前で手を合わせて今日一番の笑顔で言ってやった。
「ご馳走様」
ラブレターを咀嚼する様子を呆然と眺めていた佐助も、幾度か目を瞬かせ、笑った。佐助の笑顔は、何よりも美味そうだ。衝動のまま、紙屑だらけの唇で噛み付くように口付けた。ぎちりと唇を噛んでは舐める。
愛を喰らうたのだから、次はその存在だ。正直、ラブレターよりも、そちらのほうが喰いたかった。しかし、喰らうてしまえば幸村は愛すべき総てを失うのだ。それはいただけない。ならば、腐敗を待つしかない。
ころしてと請うその喉仏を食い破り、骨までしゃぶってやろう。皺だらけのその身は、やはり不味いに違いない。しかし、それこそが幸村の人生の中で、一番のご馳走になるのだろう。
未だ遠い未来を夢みながら、幸村はぬらりと絡む舌を強く噛んだ。
≪20100630≫