誘蛾灯





 ぱちん。

 小さな破裂音を立てて電気をつけた。身体が重い。六畳一間の中央、敷かれたままのふとんに倒れ込んだ。
 全身が怠惰に包まれている。思考までもそれに浸り始めていた。駄目だ、情けない。三成は自分を叱咤して、天井を見上げた。天井には染みが黒く浮かんでいる。何時だか、「この天井の染みはぬしの様よな」と言っていた気がする。誰が言っていたのかも思い出せない。理解も出来なかった。誰が言ったのか思い出すことも出来ない。
 独特の喋り方、白い瞳、そして――。

「……蛾か」

 視界の端に小さな羽虫が飛んでいた。よく見るとそれは蛾のようだった。恐らく、米櫃に住み着いていた芋虫の成虫だろう。
 三成はあまり自炊をしない。食事に時間を取られるのが嫌なのだ。それに時間を取られている暇があれば、仕事がしたかった。そのため、米櫃に虫がわくのも何時もの事で、殺すのも面倒で放っておいたのだが。ぱたぱたと飛び回るそれは、少し鬱陶しい。
 殺すか。
 身体を起こして、飛び回る蛾に手を伸ばした。握り潰そうとしたのだが、ひらひらと指の間をすり抜けてしまう。そのときだった。直感的に「これは殺せない、殺してはいけない生き物だ」そう思った。

「私は、貴様を知っているような気がする」

 目の前を飛び続ける蛾に向かって、独り言のように呟いた。無論、蛾が答えるわけもなく。素知らぬ風に飛んでいる。
 その様に自然と気持ちが和らいだ。久しぶりに空腹感もある。冷蔵庫にたまごがあったはずだ。賞味期限が切れていたような気もするが、少しくらいは大丈夫だろう。たまごかけごはんを食べるか。
 三成が立ち上がると、それに合わせてか蛾も高く舞い上がる。ついてくるのかとおもったら、部屋の窓の方へと飛んでいく。薄情なやつめ、と心の内で毒づきながら米櫃の蓋を開いた。
 米櫃の中は散々たるものだった。うようよと芋虫が這い回り、だまになった米があるとおもえば蛹へと成長しているものもあるといった具合だ。ここまでくると米櫃に虫が湧いた、というより米櫃で虫をかっているようなものである。
 三成は暫く米櫃の中を見ていたが、直ぐに蓋を閉めた。そして、米櫃の中に入れっぱなしにしていた軽量カップを取った。それで一合分、虫ごと米を救いあげるとそのまま横にある釜の中へと移す。それから米櫃を片すと、いつものように米を洗い、炊飯器にセットした。
 殺すのは戸惑われるし、かといって排除するのも面倒だった。食らうのは、特に何も感じない。たかが虫だ。それも毒をもっているわけでもない、ただの。それならば頓着する必要はない。
 米が炊けるまで書類の整理をしていようと思い立ち、机に向かった。机と言っても炬燵机だ。長時間仕事をするには不向きだが、三成は集中している時に疲労を感じる事はない。字を書ける、平坦なものであればなんでもいい。

「……おい、邪魔だ」

 ふ、と書類に蛾が降りてきた。先ほどまで部屋の隅で羽を休めていたはずなのだが。紙面をちょろちょろと歩き回っている。思えば、蛾がここまで近くにきたことは無かった。いつも少し離れたところを飛んで――……違う。そうではない。いや、そうなのだが。そもそも、この蛾を認識したのは今日だ。たしかに、これまで生きてきた中で蛾をみたことはあるが。そうではない。それでは、ない。頭の隅に嫌なとっかかりが出来て苛々した。

「どけ、邪魔だ」

 蛾に言葉を発したところでどうにかなるはずはない。だが、コレは、解かるはずだ。頭の裏側で自分とは違う、それでも自分と同じものが言う。
 いいや、あの時は解からなかった。何を言っても言う事を聞かなかった。いつも、自分の言うとおりにすればいいと言っていたのに、あの時だけは駄目だったのだ。
 ぐあん。鈍痛が頭に響いて視界が揺らぐ。眠気が唐突にやってきて机に突っ伏しそうになるが、かろうじて耐えた。机に、書類にはまだ蛾が止まっている。潰してしまってはよくない。
 すぐ横にある布団に身体を横たえる。自動のシャッターみたいに直ぐ目蓋が降りてきた。

 ねむりやれ。
 ぬしが眠らねば、われが眠れぬ。


「私は、貴様を……」

 知っている。独特の喋り方、白い瞳、それから。
 その先を考えるより先に、意識が途切れる。それでも、暗闇の中で同じ声が聞こえた。不明慮で何を言っているか解からない。ただ、心地よく。夢も見れないほど深い眠りに落ちた。

 三成が眠ると蛾は静かに飛び、少し離れた壁に止まって、僅かに羽を揺らした。














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