うめがめ
おまえは処女か。
その胎は、純真無血か。
囁く声がした。たゆたう夢枕、否、これは頭が揺れているのか。安定しない枕だ、明日には下郎に頼んで変えて貰わなければ。今は夜の色も深い、今夜ばかりは我慢するしかない。
枕が無ければ寝づらいが、腕を枕にして寝るか。
枕を退かそうと身体を動かし、そして薄く目を開いた。だが、何故だろう。動かそうとした身体はひどく重く、動かせない。視界には暗闇が沈んでいるばかりだ。はて、今日は暗月だったか。いや、月見酒を主として、その後眠ったのだ。てっぺんに輝く満月。いまもまだ瞼の裏にこびり付いている。ならば、この暗闇は。
そこで初めて、目を手で覆われていることに気がついた。暖かい、手だ。逆剥けだらけのがさがさした、歪な形をした手。熟知した、あのお方の手だ。
「政宗さま」
ぼんやりとした声が出た。寝起きとはいえ、なんと情けない。
申し訳ございませぬ、そう無礼を謝るが、視界を塞ぐ手は離れない。それどころか、手の力が増すばかりだ。掌に、じんわりと汗が滲んできた。
荒い息が、前髪を掠める。
熱い手が寝間着の合わせを暴き、腹部へと伸ばされた。そして、何度も擦る。
そこは、空だ。幾ら労られようとも意味が無い。
「この胎は、オレのものだよな。な、小十郎」
「小十郎には、胎など、御座りませぬぞ」
「あるじゃねえか、此処に」
声が暗闇に落ちて砕けて、肉に刺さる。腹部に触れる掌から熱が沸いて、腹が、熱くなる。
閉ざされたままの右目が、酷く痛んだ気がした。
目を覚ますと、夜の影はなく、すっかり明るくなっていた。寝間着が酷く濡れている。汗と、ねばついた粘液が下半身に纏わりついている。夢精か、年だ年だと思ってはいたが、要らぬ元気ばかりは残っているらしい。元服前の童でもあるまいに、朝勃ちしていないのがせめてもの救いか。
布団をはぎとり、改めて下腹部へ目を遣った。そこでふと、違和感を覚える。なんだ、これは。白濁が、着物の上に散っているのだ。寝ぼけて、手淫でもしたか。
そこまで考えて、小十郎は頭が鈍く痛んだ気がした。
住み込みの下男が、与えた部屋で自慰をしていたところを一度みたことがあった。小十郎には理解しがたい行為である。女を幾度か相手にしたことはあるが、そこまで夢中になるほどのものなのだろうか。確かに、心地いとは思う。だが、それだけだ。頻繁にするものでもない。快楽に依存するほうがおかしい。色事にはとんと興味がなかった。
物思いへ耽っていると、どたどたと足音が近づいてきた。こんな大きな足音を立てるのは城に一人だけだ。下腹部を隠すよう、瞬時に布団を被せる。
「ヘイ、小十郎。グッドモーニン!」
南蛮語で軽快に挨拶するのは、主・伊達政宗である。こうして毎朝挨拶しにくるのが彼の日課なのだ。小十郎は下々の者どもに示しがつかないと何度も諫めるのだが、一向に止める気配がない。最近では、呆れ半分あきらめかけている。
「政宗様、廊下は走られませぬよう。以前、手酷くこけたのをお忘れか」
「シャラップ!早歩きだ、走っちゃいねえ」
「どちらも変わりませぬ」
まるで母と子のやりとりのようだ。だが実際、政宗と小十郎は主従関係にある。諫め道を正し、主を正しい方向へ導かなければならない。その御身を守ることも、従者として絶対に怠ってはならないことだ。
政宗は小さく舌打ちすると南蛮語で何事かを呟いたが、南蛮語を知らない小十郎にはなにを言っているか理解出来なかった。やはり、南蛮語を学んでおくべきか。そんなことを考えている時、布団に重みが掛る。政宗が布団の裾を踏んでいるのだ。
「政宗様、寝具は足蹴に致すものではございませぬぞ」
「てめえこそ、主を前にして何時まで布団に入ってやがる」
凶暴な笑みが突きつけられて、布団を鷲掴みにされた。引きはがされる。そう思った時には布団を抑えそれに抗っていた。
主を前に布団に入っているなど、主に抗うなど、言語道断。それでも、布団を掴む手を放す事は出来ない。
「小十郎、」
「申し訳御座いませぬ、政宗さま」
言葉を発する前に謝罪する。そして、下腹部を隠すようずるずると布団を引き摺りながら正座した。それから、深く体を折り、布団に額を擦りつけて土下座した。やましさが背筋を擦る。同時に、どこかで同じような感覚を味わったことがあるような心地がした。無論、やましさなど山ほど感じたことがある。だがそれとはちがう、何か。
「この歳にして、粗相を……とても、政宗さまの眼前に晒せるものでは御座いませぬゆえ……何卒、なにとぞご容赦を……」
がつん、と頭に何かがぶつかった。いや、ぶつかったというよりは、乗っている。視線のみで確認すると、それはどうやら足のようだ。
「粗相、なあ?」
頭を踏みつけている足が肩へ移り、軽く蹴り上げられた。顔を上げろと促されていると察して反動を殺さずそのまま顔をあげる。視線の先には先ほどと変わらず、凶暴な笑みを浮かべいる政宗がいた。
「夢精か?それとも、ほんとうに粗相でもしたのかよ」
答えろと、有無を言わぬ視線が刺さる。その中には好奇に満ちたいやらしさを含んでいた。
「……夢精を、」
半ばで言葉が詰まる。羞恥心が後から後から湧いてきて、声が出てこなかった。頬が焼けるように熱い。自分よりも年若い主に、自分の深部にある浅ましさを暴かれてしまった。いっそ腹を切りたい。
「小十郎」
真摯に見ていられず、目を細めた時だ。名前を呼ばれて、右肩を掴まれた。関節をぎしぎしと軋むほど掴まれて、痛みが走る。頑なにその痛みを殺していると今度は、左手が腹を強く抓る。そこは筋肉ばかりで、皮もろともそれを掴まれてしまえば、殺し切れなかった呻き声が口から零れた。
「痛い、政宗さま、まさむねさま……」
拒絶は言葉ばかりだ。身体が動かない。律されている。掴み制されているのは肩だけだ。腕を突き出せば退かすことなど容易い。体躯はこちらのほうが立派なのだ。
それが出来ないのは、やはり律されているからだ。目の前の存在に、己の総てを律されている。
彼は俺の総て。総ては彼に捧げるためにある。
「最高にCuteだな、おまえは」
「まさむねさま」
拙い語調で名を呼ぶ。だが、許しはなく痛みも消えない。ああ我があるじは怒っているのだ。
嫌だ、おこられたくないきらわれたくないすてられたくない。夢精など、したから。主以外のなにものにも心を揺らしてはならない。総てを捧げる。それが武士!小十郎の生き様!
痛みと恐れで涙が出そうだった。だが、目の前のあるじが怖ろしく慈愛に満ちた目で微笑むので、満ち足りた気分でくしゃりと笑ってみせた。実際に顔面にあるのは酷く不器用な笑みだ。あるじのように上手く笑うことはできない。口元はひきつっているし、眉間には皺が寄っている。とても笑っているとはいえない。
それでも、やっぱりあるじは慈愛に満ちた声で褒めて下さるのだ。
「こじゅうろう、」
今夜も月見酒をしよう。きっと、最高にいやらしい月が昇る。おまえにぴったりの。
耳朶を強く噛まれ、外耳孔から脳髄へと吹き込まれる。頭のてっぺんから足の爪先まで熱くなって、はい、と頷いた。
もう痛みは失せていた。
暗闇があった。光は何一つみえず、何一つ自分達を隔てるものはない。うつくしい闇ばかりがおのれらをみている。
「小十郎」
名前を呼ばれて、芋虫のように身を捩じらせて、名を呼ぶ声がした方を向く。朝から敷いたままの布団に、小十郎は横たわっていた。服装も寝巻きのままだ。だが、それは大きく割り開かれていて、帯をしていない。帯は、小十郎の腕を後ろ手に縛り付ける枷となっていた。
「まさむねさま」
「見ろよ小十郎、でけえ月が見えるぜ?」
政宗が指差す方向には闇が沈んでいる。月など、ましてや星の輝きすら見えない。可笑しなことだ。満月の次は十六夜だ。突然新月になることはまずありえない。ともあれば、雲が重たく重なっているのか。どちらにせよ、小十郎は食い入るように政宗の指先を見ていた。
月があるというのならば、月があるのだ。政宗様が嘘をおっしゃるはずがない。彼は清き存在、小十郎の総て、汚れは小十郎が総て請け負う。彼に、汚点など、あってはならない。あるはずもない。
「うつくしい、月にござりますな」
「白が闇に浮かんで、おまえみたいだ」
ずっと月を指差していた手が、すっとこちらへ向けられる。小十郎の腹には白濁が幾重にも散っていた。真っ黒な小十郎に散る白は眩い。だが月は政宗の象徴であり、それを侵すことはできない。
「恐れ多きこと、小十郎は泥でございます」
「おまえが泥なら俺はなんだ、畜生の糞みたいなものか」
「まさむねさまは清き存在なれば、まさむねさまこそがあれに浮かぶ月にございます」
ああなんとうつくしいことか。
暗闇のなかでさえ、政宗さまは輝いて見える。
ぬばたまのやみに、光ひとつ。
神仏のなんたるが信ずるに足る。なにも信用ならない。だが、目の前の存在はどうだろう。彼の存在ほど信じられるものはない。
政宗さまこそが小十郎の神仏なのだ。
「小十郎、お前は血に濡れた、マリアだな」
「まりあ?」
「そう、マリアだ。処女懐胎したおんなだ」
「……小十郎めは、男にござりますぞ」
腹の奥が、ざわりと騒ぐ。あるはずのない胎が、じくじくと、ざわめく。ああ、闇に光が浮かんでいる。たったひとつの、ひかり。
「ま、さ、むね、さま、ぁあ」
名前を呼ぶのと同時に、横向いていた身体を仰向けに転がされる。一向に闇に慣れるけはいのない目はそれを捉えることができなかった。
皮膚の上から、優しく撫でられただけだ。だとういうのに、まるで胎に直接触れられているような。いや、胎など、小十郎にはない。ではこの腹に潜むものはなんだ。
違和感は確かに存在している。
「小十郎は、おんなだろ、な?」
そうだまさむねさまの言葉は絶対なのだ。
ああそうだ、こじゅうろうはまさむねさまという存在をしってからずっとおんなだった。
「最高にCUTEな、オレのマリアさま」
昼間、抓られた箇所に爪を立てられて鋭い痛みが走る。ぎゅうと音がしそうなほど、痛みを与えてくる。それも仕方がない。彼はそうやって愛されてきたのだ。
肉を削ぐように深く爪を立てられたまま、ぎじりと陰茎に向かって引っかかれる。仄かに血の臭いがする。皮膚が破けてしまったのだろうか。そうでなくても、赤い線が腹から陰茎に向かって引かれているのだろう。
爪は陰茎の根元で止まり、離れていった。そして、今度は陰茎の尖端の窪みへ、爪を立てられた。びりびりと背筋が焼け焦げる。
「こじゅうろう、勃起してる」
指摘されて初めてそれに気がついた。いつのまに、勃起などしていたのだろうか。
はずかしい、こじゅうろうはいやらしい人間だ。
「申し訳ありませぬ、このような、こと」
身体が震える。目尻が濡れる。陰茎も濡れる。身体が、勝手に、反応する。腹の奥が、あつい。
「あっ、あっ、ああァ」
ぼたり、と、腹に白濁が散る。先端には爪が立てられていたので、鈍く零れていった。
何もされていないのに、ひっかかれて、尖端に爪を立てられただけだ。いやらしい、こんな自分を恥じる。
すん、と鼻を啜る。涙に同調して鼻水まで出てきた。汚い、汚い。
「オレのマリアさまは、Bitchだったか」
びっち。
耳に馴染みのない言葉だった。だが、政宗さまは飽くまで穏やかな声で言っているのだ。きっと悪い意味ではないのだろう。政宗さまはお優しいから、小十郎を慰めて下さっているのだ。
「まさむね、さま……まさむねさま、こじゅうろうめは……」
「小十郎はBitchだからな、こうなるのも仕方がねぇ」
「仕方がなきこと……」
「Yes」
ゆっくり、尖端から爪先が離される。白濁が糸を引いて、音もなく途切れた。陰茎はまだ勃起したままだ。
ぬるりとしたものが鼻の下を這う。蛆虫か何かが這っている様なくすぐったさがある。唾液の香りがして、それが舌であるとしる。舌は鼻水を舐めとり、鼻腔までも擽っていった。
「きたのう、ござりますぞ」
「おなじだ、みんな」
同じ汚いを持っている。それのなにを厭うことがあるというのだ。小十郎とて、政宗さまの鼻水ならばいくらでも啜る自信がある。
そうだ、同じなのか。
「まさむねさま」
「Ah?」
名前を呼んで、顔を近づけた。政宗さまは目を閉じて唇を差し出してきたが、それは無視した。そのかわり、右目にかかる眼帯にあまい口づけを。そして、紐を噛み強く引く。緩く結ばれていた紐ははらりと解けて、痘痕が顔を出した。ずっとみてきた、傷痕。暗い、暗い闇。
幾度も接吻した。この傷が、この闇がいとしい。その存在がただただ、言い知れぬほどいとしい。舌を伸ばして、醜く寄った皺ひとつひとつをなぞろうとしたときだ。肩を押されて拒絶された。
「Whait、まだだ」
口を手で掴むように塞がれて、呼吸が苦しい。ふうふうと鼻で息をして命を繋ぎながらその顔貌を見つめる。不躾なことだ、そう判っていながらもやめられなかった。
「まさ、むね、さま」
僅かな衣擦れの音がした後、ひたりと、下腹部にあたる熱。それが何か、言うまでもない。
浅く忙しない呼吸音が耳を擽る。ぞっとした。
「小十郎」
身体の下敷きになったままの手が痛い。手が当たる背中も痛い。だが、痛みは甘味を帯びて胎内を駆け巡る。このあとにくる痛みもまた、それ以上の甘さをもって襲いくるのだろう。
「い、ぁあ、あ……ア!」
めりめりと抉じ開けられていく。胎が切り裂かれて、ひしゃげた蛙のような声がでた。聞くに堪えない、酷い声だ。
あつい。痛みが熱に変わって、あつい。どろどろと溢れてくる。凝り固まっていた甘露が、溶けて、出る。
引きずられるように絶頂した。幾度も、白と赤が視界の端で迸る。
「アァ、まさむね、さま……!」
右目からは血が出ていた。ぽたぽたと落ちてくる。痘痕で塞がっていたはずの目が、ぱっくりと開いて、血を吐き出している。充満する鉄臭い香り。それに青臭さと汗の臭いも混じって臭う。それらは鼻腔を通り、脳髄を強く揺さぶった。戦場で散々嗅いできた臭いだ。沸いてくる唾を飲み下すと同時に、ずん、と突き上げられた。刃で人を貫いた時と、同じ感触だ。
「おまえはオレのマリア。伴天連なんざ信じちゃいねえけど、ああいやだからこそ、おまえがオレのマリアなのか」
血を溢しながら、擲たれる命を雲の上から笑うひと。天かける竜は、小十郎の唯一無二のかみさまだった。
あなたのためなら、この地を地で濡らしましょう。いやらしく光るそれを舐めるあなたをみて、幸せを噛み締めよう。咀嚼して噛み砕くほどに。
「まさむねさまは竜、こじゅうろうの、崇め奉る、唯一の、」
どろりと腹の底に熱が吐き出された。うえつけられるその種子。その内、便と共に流れいずるもの。胎が熱い。擦り続けられた孔も、ずくずくと痛む。
くたりと力を失った陰茎が、小刻みに震えている。胎に横たわって、そこから産まれるのを待っている。
「小十郎」
「はい、まさむねさま」
「血溜りに浮かぶ月で、オレのこどもをうんでくれ」
「はい、まさむねさま」
狂気を吐き捨てた。彼が託した、そうして植えつけた狂気を、吐き捨てた。一国の主としては上等で、ひとりの人間としては欠落した。
右目から抉り出したら、血が追ってきた。痘痕で塞いでみたけれど、性懲りもなく沸いて来た。一つ欠いただけではもはや抑えられないソレを、いま、託されたのだ。
「政宗様」
今度こそ、舌を伸ばして、眼窩を舐めた。血と膿と瘡蓋の味。かさかさとしたものが舌を擦って、ねとりとした血。そして、奥から、ああ抉ったはずのアレがやってきた。
ころりと、口腔に転がりこんでくる。そして、喉を揺らして飲み込んだ。
「うまいか」
「美味しゅう御座いますぞ」
「嘘つきは舌を抜かれるんだぜ」
「抜く舌など、もう御座いませぬ」
目の前の顔が闇を湛えた眼窩と、きらきらと光る左目を歪めてにんまりと笑った。
目を覚ますと、夜の影はなく、すっかり明るくなっていた。寝間着が酷く濡れている。汗と、ねばついた粘液。下半身に纏わりついている。夢精か、年だ年だと思ってはいたが、要らぬ元気ばかりは残っているらしい。元服前の童でもあるまいに。朝勃ちしていないのがせめてもの救いか。
そこまで考えて、小十郎は頭が鈍く痛んだ気がした。