意外と余裕はありません


「あのさ、」

「んー」

別に気にしてないけどさ、という前置きと共に、横で私の歩幅に合わせて歩く松川は言葉を続けた。

「最近バレー部の奴らと仲良くしすぎじゃない?」

バレー部の奴ら、とは。多分松川と同い年のあの3人のこと。

「え、そう?廊下で会ったらちょっと話すくらいだよ」

「だからそれよ、それ」

そもそも及川くんや岩泉くん、花巻くんを紹介してきたのはそっちのくせに、何を言ってるんだろう。

気にしてないからさ、という前置きは既に意味をなしていなくて、いやいや、気にしすぎでしょ。

表情を読み取ろうと下から顔を覗き込んだのに、鼻から下をマフラーの中にすっぽりと入れているせいでまったくわからない。

「世間話しかしてないもん」

「じゃあさ、」

これも別に気にしてないけど、って。絶対嘘に決まってる。

「俺の下の名前、知ってる?」

「へ?」

思わずアホみたいな返事をしてしまった。そりゃあ知っているに決まってる。付き合って2年近く経っているのに、彼氏の名前を知らない女がいるだろうか。

「下の名前、俺の」

「うん、知ってるよ」

「はい、さんはい」

「松川一静」

「………そういうことじゃないんだよねぇ」

じゃあどういうことだと言わんとしていると、気にしてないからね?と念押しされた。はいはい、何をそんなに気にしてるんだか。

「俺はさ、付き合い始めた時からなまえのことなまえって呼んでんじゃん」

「そうだね」

「ね?」

目線だけをチラリと下に向けて、私の方を見ながら言う松川。ね?、と言われましても。

「もう松川で慣れちゃったし。それに、恥ずかしいからまだ苗字でって私が言った時、少しずつでいいよって言ってたじゃん」

そう、付き合いたてのあの時。いきなり下の名前で呼ぶなんて高度な技は私にはできない。松川もそれをわかっていてくれたし、許容してもくれていた。

「あれからもう2年経ってるんですけどね」

「今更呼び方変えらんないしー」

「……………」

あ、ちょっと拗ねちゃったかな。

いっつも見た目通り大人っぽいけど、たまにこうやって可愛い時があるんだよなぁ。

「まつか、」

「あとさ、これはすっごい気にしてるんだけど、」

松川拗ねんなよー、って馬鹿にしてやろうと思ったら遮られた。そしてすっごい気にしてるらしい。気にしてないって言って相当気にしてそうだったから、次のはどれだけ気にしてるんだろう。

「なまえって、俺のこと好きって言ったこと、なくない?」

「………うっそだぁ」

いや、嘘だ。さすがにそれはなくない?今となっては確かに付き合いたての初々しさみたいなのもないかもしれないけど、好きって言ったことがないことはない。と思う。

「嘘じゃない。本当だったら俺、絶対覚えてるし」

……そうやって改めて言われると、あれ、確かにはっきり言ったことないかも、なんて思ってしまう。

「そんなに気にしてんの?」

「……気にするでしょうよ」

そんなに気にしてるんだーへぇー、なんて相槌を打ちながら、私は足を止めて松川の方をじっと見つめた。

「どうしたの」

私のできる限りのとびっきりのあざとさを出してみて、しっかりと目を合わせながら言う。

「一静のこと、大好きだよ」

「………ごちそうさまです」

今日学んだこと。松川は余裕がある大人っぽい奴に見えて、意外と嫉妬だってするし子供っぽい。あと、好きって言われると余裕がなくなるらしい。

「ふふ、」

「恥ずかしいから、笑うのやめなさい」

こんな姿の松川は、私だけが知っていればいいのだ。

mokuji