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「―俺からは以上だ。今日は良く休めよ」

「ハイ!!」

監督の言葉に、いつもより幾分か気合の入った調子で部員が答える。そんなみんなとは対照的に、私はソワソワとした気持ちにかられていた。それはなにも私だけでなく、潔子先輩もである。

「よし!じゃあこれで、」
「あっちょっと待って!もうひとつ良いかな!?清水さんとみょうじさんから!」

何事だと言いたげなみんなの表情。田中とノヤに至っては清水さんという言葉に過剰反応しているけど。恐るべし潔子先輩パワー。

その潔子先輩と目を合わせ、代表して先輩が口を開く。


「激励とか、そういうの、得意じゃないので……」

潔子先輩の言葉を合図に、私はこっそり後ろに隠してあった紙袋から例のあれを取り出し、武田先生へと託す。

「先生お願いします」

「任せて!!」

よっ、ほっ、と壁によじ登る武田先生は危なっかしいったらありゃしない。

「先生、運ぶのは私が……」

「いや潔子先輩にやらせるわけにはいきません私が……!!」

「いいのいいの!」

なんだなんだという周りをよそにセット完了。

「せーのっ」

武田先生がバサッと大きな布を広げる。

”飛べ 烏野高校男子バレーボール部OB会”と書かれた横断幕。

「こんなのあったんだ……!」

「掃除してたら見つけたから、なまえと一緒にきれいにした」

「全部潔子先輩のおかげなんですよ!!」

「うおおお!!燃えて来たァァ!!」

「さすが潔子さん!!良い仕事するっス!!なまえもありがとうな!!」

こんなに感激してもらえるとは思ってなくて本当に嬉しい。よかった。先輩と一緒に頑張った甲斐があった。

「よっしゃああ!!じゃあ気合い入れて……、」

「まだだ、多分、」

田中と西谷の気合注入を遮る大地さん。

「まだ終わっていない」

そうです大地さん、そうなんです。みなさんよくお聞きください。耳をお澄ましください。

「……がんばって」

はーーーい!!!聞きましたか?!?!潔子先輩の頑張っていただきましたー!!!

そしてここで涙を流し始める三年の先輩方ー!!!プラス田中西谷ー!!!

潔子先輩のがんばってのお言葉により、まさにこの体育館は混沌というべき状況になった。
いつもみんなをまとめる大地さんまでもが涙を流しているので仕方がない。田中と西谷に関してはもう昇天に近い。

「ちょっと収拾つかないんですけど!」

「……うっ」

月島の嘆きも叶わず、何故だか私まで涙腺が崩壊してきて変な声を出してしまった。

「ちょ、みょうじ先輩まで泣くのやめてくれませんか?!」

「や〜ま〜ぐ〜ぢい〜!!!」

とりあえずそこにいた山口の肩を借りた。ついでに鼻水と涙も添えて。ごめんね山口。





「本当、勘弁してくださいよ。僕もポケットティッシュ一つしか持ってないですからね」

「ごめんごめん、もう鼻水止まったから大丈夫」

部活も終わり今日は金曜日。いつも通りなまえさんと僕は二人で帰路に着いた。

相も変わらずへらへらと笑いながら僕に答えるなまえさんの鼻と目は未だに少し赤い。
まず何でこの人が泣くわけ、意味がわからない。そもそもあのタイミングで先輩たちが泣き出したのも僕からしたらよくわかんないけど。

「涙と一緒に鼻水出るとか幼稚園児じゃあるまいし」

「そういう体質なのかな〜泣くと鼻水も止まらないんだよね」

もうそれは病気だからさっさと医者に診てもらった方がいいと思う。馬鹿じゃないのと言うように30センチ下にある顔を見下す。

へらへらせずに黙ってれば多分可愛い部類のはずなのに、この馬鹿全開の笑い方と馬鹿全開の話し方と馬鹿全開の言動のせいで損してるところがあるんじゃないかと度々感じることがある。

「なに、照れるから見つめないでよ」

「……鼻水、たれてますよ」

「え?!?!嘘?!?!」

自転車を器用に自分の方へもたれかけさせ、持ってるティッシュを使い切ったからと僕から無理やり奪ったティッシュを鞄からもう一度取り出しながら、鼻をこれでもかというほどに擦るなまえさんはやはり馬鹿全開だ。

力かけりゃいいってわけじゃないでしょ。もともと鼻水なんて付いてないからただ赤くなるだけだ。

「うん、嘘」

「……最悪、ティッシュ無駄にしちゃったじゃん」

だからそれ、僕のティッシュだし。

心の中でつっこんでいると、なまえさんは再び自転車をひいて歩きはじめた。そして僕はそのなまえさんのハンドルにかかった手に目をやる。
朝に会ってからずっと気になっていたのだが、その指に貼られた大量の絆創膏は何なのだろうか。

実際は、昼休みに来た一通のLINEと、さっきティッシュを取り出すときに鞄の中にチラリと見えた『アレ』で大体の見当はついていた。

しかし、ここで一回つついてやる方が面白いのを僕は知っている。なにが面白いって、主になまえさんの反応だ。

「そういえば、その手どうしたんですか」

「え、手?!?!どうもしてないよ?!?!」

ほら、やっぱり僕に何か隠したいことがあるんだ。必要以上に慌てながら否定するなまえさんだが、何でもなかったら指に絆創膏を貼るわけがない。

そしてここでもこの人の馬鹿なところは、地味な普通のものを付ければいいのに無駄にカラフルな絵とかが描いてある絆創膏をつけているところだ。恐らく幼稚園児並の思考回路だから、こういうものを付けることが楽しいのだろうか。

「ふーん」

「あ、そ、そういえば今日体育でね〜、」

そのまま他愛のないいつも通りの会話を続けて、いつも通り僕の家の前を通り過ぎてなまえさんの家まで送る。
いつも通りならここでなまえさんは自転車を定位置に止め、明日も部活で会うというのに名残惜しそうに別れの挨拶をする。

しかし今日は自転車を止めると、手を鞄の中に入れては何も持たずに手を出して、また鞄の中に入れてはを繰り返すという妙な動きを繰り返す。いや、まあ、いつもだいたい妙な動きをしているけど。

「はぁ……」

盛大なため息をつき、これまたいつも通り変なところで普段の勢いが出ないなまえさんに救いの手を差し伸べてやる。僕がこんなに優しくしてやるのなんて、なまえさんくらいんだからねと言ってやりたい。

「ほら、僕に渡すものあるんですよね。何でもいいから早くください」

「え?!なんで?!」

「……なんとなく」

実際は朝倉先輩が昼休み送って来たLINEがあったからだ。

『なまえから変なもの渡されても、馬鹿にしちゃだめだよ。あの子なりに色々考えて頑張ったみたいだから。あと渡さないつもりでいたら絶対なんとかしてももらってきなさい』

一体何のことかと思っていたが、なまえさんがティッシュを探している時に鞄の中に見えたのは、透明な袋に入ったフェルトの人形がついたストラップ。ご丁寧に袋の口はリボンでラッピングされている。一瞬で、ああこれのことだな、とわかった。確かに変。変というか呪いがかかってそう。

そして朝から気になっていたなまえさんの手をみて、大体は把握できた。
この馬鹿な不器用は僕にあげるために呪いの人形ストラップを作ったのだ、と。多分本来の目的は呪うことではないんだと思うけれど。


「え、っと、これ……、一応お守りのつもりなんだけど……」

なまえさんが差し出してきたのはやっぱりあれだった。改めて見てもどこか禍々しいオーラを放っている気がした。

「……どうぞ」

「どうも」

袋の中から取り出してしっかり見てみても、どこか禍々しいオーラ。しかし面倒なことが嫌いなこの先輩が、自分の手を絆創膏だらけにしてまで作ったと考えると口元が自然と緩むのがわかる。

「……っふ」

「ねえ笑わないで!!何も言わないで!!感想はいらない!!」

「ちょ、夜なんだからそんな大声出さないでくださいよ。それに、」

今笑ったのは馬鹿にするとかそういうんじゃなくて、ただ単に嬉しかったから。なまえさんのこういうところ、すごく好きだなぁと思ったから。

そうやって素直に伝えようにも伝えられなくて、僕は目を逸らしなまえさんの頭の上に右手をポンとおく。

「……ありがとうございます」

僕が視線を戻すと、どういたしまして、赤くなった顔をうつむかせて小さな声で呟くなまえさん。やっぱり前言撤回、黙っていてもいなくても充分この先輩は可愛い。

「じゃあ、明日早いんで。失礼します」

家までの一人の帰り道、手の中のお守りの、お世辞でも綺麗とは言えない刺繍で書かれた“かいうん”の文字を見つめる。

言葉のチョイスからも、なまえさんらしい。

きっと明日の僕は、僕より強い相手に勝てないのは当たり前だけど、僕より強い相手よりも少しは運がいいのかもしれない。


mokuji