13.5


「月島〜!!久しぶり!入学おめでとう!!」

中学生になって2日目。
僕たち新入生は少しの不安と期待を胸に、二、三年生はこれから始まる長い対面式に嫌気を覚えながら、それぞれ体育館に向かう。

もちろん体育館の入り口の広さは限られていて、扉の前には様々な学年の人たちが入り混じっている。誰が誰かもわからずひしめく人混みの中から声をかけてきたのは、知り合い、程度の人物。

「ああ……、どうも」

みょうじ先輩、だったか。
小学生だったある日を境に、廊下や下駄箱で会うたびに執拗に話しかけてくる人物。確か僕のお隣さんの親友。下の名前は……、あ、なまえって呼ばれていたかな。

それくらいの認識でしかなかった。

「背が高いからすぐわかったよ〜!!やっと会えた!!」

へらへらとして馬鹿そうな、嬉しさが滲み出ているような笑顔で話しかけてくる。

「こいつ、月島に早く会いたい〜って入学式行こうとしたんだよ。本当頭おかしいわ」

「入学式の日は2年と3年休みなんだもん。1日でも早く月島に会いたかったの!!」

何て返事をしたら良いかわからなかった。小学生の時から、この人は僕に好意があるのかと考えたことはある。しかしまだ幼い僕たちの“好き”なんて所詮、背が高いから、とか、足が速いから、くらいのものだと思っている。

いつまで小学生みたいな頭をしているんだ、と言うセリフは、人混みに紛れ、体育館の中にずんずんと流されていきながら消えていった。


それからというものの、みょうじ先輩はまるで一年間の空白がなかったのように僕に話しかけてくる。
いつもかなりハイテンションなみょうじ先輩は、僕の近くに常にいる山口ともすぐに打ち解けた。
どう考えても一つ上には見えないし、僕たちよりも明らかに小学生の頃のあどけなさが残っている気がする。



「えっ、ツッキー!!バレー部入ったんだ!!」

バレー部の僕とバスケ部のみょうじ先輩が、半面体育館で出会うまでに時間はかからなかった。

「ああ、まあ……」

「バスケ部入ってよかったー!!新奈もいるよ。まあ新奈が入ったから私も入ったんだけど」

じゃあ練習始まるから、月島も頑張ってね!、体育館を半分に区切るネット越しに手をブンブンと降るみょうじ先輩は、またあのへらへらとした笑顔を浮かべて、馬鹿そう、そんな印象を着実につけている。


まだまだ他人に近い僕たちの関係が少し、近づいたのは、それから数週間程たってから。


「ツッキーにお願いがあります」

「何ですか急に」

部活も終わり山口と帰ろうとしていると、恐らく同じく部活終わりであろうみょうじ先輩と朝倉先輩がいた。

朝倉先輩のことは小学生の時や幼い時は呼び捨てにしたが、中学入学を機に呼び方を変えた。それは変な勘違いをされたくないから。
先に言っておくけど、僕はこの人が苦手だ。ついでに僕にとっての山口みたいに朝倉先輩にいつもひっつくみょうじ先輩も、顔見知り程度の知り合いという肩書きから苦手な人へと変化した。

そしてそのみょうじ先輩からのお願い。嫌な予感しかしない。

「バスケのゴール、使わせて!!」

「……はぁ?」

何でも、僕の家にバスケットゴールがあることを朝倉先輩から聞いたらしい。余計なことを言いやがって、朝倉先輩の方をチラリと見ると、私は悪くない、とでも言うように目をそらされた。やっぱ、僕はこの人が苦手だ。

「……どうぞ、ご勝手に」

そして僕は断れない。それはみょうじ先輩のバックに朝倉新奈という人物がいるからだ。いや、正しくは、みょうじ先輩のお願いを僕が断ったことを朝倉先輩が朝倉先輩の母に言い、そこから僕の母に話が巡り巡るからだ。

「ありがとう本当助かる!!!」





「……で、何で今こういう状況なんですか」

「まあまあいいじゃんツッキー!大人数の方が楽しいし!」

「そうだよツッキー」

「そうだよ蛍」

事の発端は、みょうじ先輩が僕の家のバスケットゴールを借りると言い出したところから。じゃあさっそく今日から!と意気込んだみょうじ先輩。

「別に、四人で仲良く足並み揃えて帰る必要ないと思うんですけど」

「えーだって月島の家は新奈の隣だし、私はいつも新奈の家の前通って帰ってるし、こうなるのは必然だよ〜」

ほらまた、へらへらと笑う。多分この表情も、僕がみょうじ先輩が苦手な理由の一つ。こうやって笑われると調子が狂う。

「ツッキー、朝倉先輩、みょうじ先輩また明日!」

一番最初に別れるのは山口。できれば今日は僕の家まで一緒に帰って欲しかった。
っていうか、また明日じゃないでしょ。何で明日も一緒に帰る前提なわけ?

山口と別れて数分、月島と朝倉の文字が並ぶ家々が見えてきた。

「じゃ、なまえ練習頑張ってねー」

「ありがとう、ばいばーい」

どうやら練習するのはみょうじ先輩だけらしく、二人きりの気まずい空間になる。

「ごめんねー!!30分くらいで帰るから!」

いや、勝手に気まずく思っているのは僕だけで、みょうじ先輩はいつも通りの馬鹿っぽさが滲み出ている感じだった。



「蛍、あの子彼女?」

洗い物をしながら庭を覗く母は、何とも検討外れなセリフを呟く。

朝倉先輩の友達で、バスケ部だということを伝えると、あーなるほどね、と納得したみたいだ。本当、僕からしたらいい迷惑なんだけど。





みょうじ先輩が僕の家でバスケの練習をするようになって1ヶ月程たった。
毎日ではないが、バレー部とバスケ部の体育館練習がかぶった時はほぼ毎回謎の組み合わせの四人で帰り、みょうじ先輩だけが僕の家で自主練をする形が続いていた。

4人で帰る帰り道は騒がしい。とくにみょうじ先輩は、部活終わりだというのに小学生みたいにいつもキャッキャとはしゃいでいる。
この前だって前から歩いてきた小学生男子達と何故かお互いノリノリでハイタッチをしてすれ違っていた。知り合いですか?と山口が尋ねると「んーん、なんか目があったから」と、普通の人ならありえない答えが返ってきた。


そんな普段からは全く想像できないが、バスケの練習中はいつもとは違いあまり話さないみょうじ先輩が、ある日珍しく口を開いた。

「この前顧問にね、お前最近になってようやく試合で使えるようになったなって言われたの。褒めてんの?貶してんの?って感じだよねー」

へらへらと笑いながら放たれたボールは綺麗な弧を描き、ポスッといい音を鳴らしてネットをくぐった。

「でもね、それは月島が練習させてくれてるおかけだよ、ありがとう」

「貶されてるんだと思いますよ」

いや、違う。この人は本当に、確実にバスケが上手くなってると思う。きっと先輩の顧問も僕と同じことを思っていてのセリフだったのだろう。

バスケはあんまり詳しいわけじゃないのに、「せっかく練習しに来てるんだから近くで見ててあげなさいよ」という母の面倒な言葉のせいで僕はみょうじ先輩の練習中、縁側に座って見ることを半ば強制されていた。

そこで気づいたのは、1ヶ月前とは比べものにならない程に上達しているみょうじ先輩。

「私はバスケ興味ないけど、新奈が元々ミニバスやってて部活もバスケにするって言ってたから」

こんなことを言っていた1ヶ月前のみょうじ先輩は、まだバスケを始めて一年と少しというだけあって基本的な動きができる程度だったと思う。
レイアップシュートのゴール率はそこそこで、いや、むしろお前今まで結構適当に練習してただろと突っ込みたくなる程のゴール率だった。

しかし1ヶ月の練習成果か、レイアップシュートはほぼ確実に決めるようになったし、所謂スリーポイントシュートというのか、それくらいの距離から投げられたボールはまるでネットからの引力に吸い込まれるように綺麗にゴールする。

元々が上手かったというわけじゃないから単に伸び代が大きかっただけ、そんな風には見えなかった。


「……何でそんなに頑張ってるんですか」

所詮部活。しかも自分で興味がないと言っていたバスケ。急にどこからそんなにやる気が出てきたのか僕にはさっぱりわからない。そんなの、無駄なだけでしょ。

「月島に、言うわけないじゃん」

いつものへらへらとした笑顔ではなく、にやりと、挑発的な笑みを浮かべるみょうじ先輩がそこにはいた。そしてその表情は、今まで一度も見たことがないものだった。






「あんたさ、なまえに何でバスケ頑張るか聞いたんだって?」

あれから数日、みょうじ先輩の自主練に始めて朝倉先輩も付いてきた。けれど朝倉先輩は庭に出て練習をすることなく、縁側にボーッと座る僕の隣でみょうじ先輩を眺めているだけだった。

「聞いたけど、それが何」

「教えてもらえなかったんでしょ?」

「別に、そんなに知りたいわけじゃないし」

「あの子はねー、」

だから知りたいわけじゃないって言ってるのに、どんどん話を進められる。何で僕の周りの先輩たちはこうも自分勝手なんだ。

「ただ私に付いてきただけで、バスケそんなに興味なかったし、練習もまあいい感じに手を抜いてたわけよ」

「……へえ」

僕だって、みょうじ先輩の部活事情とか全くもって興味がない。

「まあ元々運動神経いいからねー、それでも普通にバスケができるくらいにはなってたけど」

「……へぇ」

どうでもいい、と言わんばかりの僕の返事もお構いなく話を続けていく朝倉先輩。一体この人は僕にこれを言ってどうなると思っているのだろうか。

「で、蛍が入学してきたら急に練習張り切りだすし、自主練とかしだしてさ。何でだと思う?」

「だから、教えてもらえなかったってさっき言ってたでしょ」

「はいはいごめんね、怒らないでよー怖い怖い」

怖いとなんて少しも思っていないくせにわざとらしい。さっきからこの人が何を言いたいのかさっぱりわからない。

「月島にかっこ悪い所見せられない!って言ってたよ」

「は?」

考えもしていなかった言葉に、思わず声が出る。何でそこで僕が出てくるわけ?

「あの子はさ、負けず嫌いなくせに自分の興味ないことはぜーんぶ適当なの」

蛍に似てるよねー、と言いながら、僕たちの話題がまさに自分であることを知らずに黙々とバスケットゴールにボールを入れていくみょうじ先輩を見つめている。
別に、僕は物事を適当にやっているわけではない。あの馬鹿な先輩と一緒にしないでほしい。

「でもね、好きなことはとこっとん頑張るし、好きな人のためなら何でもしちゃうんだよ」

「……何で僕のためにバスケを頑張るのか意味わかんない。検討外れもいいところでしょ」

そもそもそれ、僕に関係ある?
みょうじ先輩が僕のことを気に入ってくれてくれているんだろうというのは、普段の生活から安易に想像できる。充分なくらい。ただ“好き”っていうのがいまいち僕に理解できないし、先輩の好きがどれだけ本気で言っているのかもわからない。

「そこがなまえの馬鹿なところだよねー。バスケ頑張ってれば、半面コートでいつかは月島が私のことみてくれるかも、その日のために鍛え抜く、ってはりきってるよ。いやもっと他にやることあるでしょって」

みてくれる、って……。呆れる。いつも会うたびに嫌でも視界に入り込もうとしてくるくせに。

僕の中でもやもやとした何かが生まれてきていると、朝倉先輩は立ち上がり、なまえー、そろそろ帰るよ、と言う。

「あんたが思ってるよりずっと、なまえは蛍のこと大好きなんだよ。全て月島蛍基準なの。気持ち悪いよね、ふふっ」

気持ち悪いよね、言葉とは裏腹に、その顔には「私の親友、可愛いでしょ」とでも言いたげな表情だった。



これが、僕がみょうじ先輩を意識し始めた日。
苦手なみょうじ先輩、から僕の彼女のなまえさん、になるまでは、まだもう少しかかる。


mokuji