色褪せてはじまる鮮明


その手の感触に慣れるまで、少し時間がかかった。

第七霊災以降、ネネリの生活は苛烈を極めた。
ただの貧民でしかなかった頃は、これ以上の最悪が待ち受けているだなんて思ってもみなかった。
何もかも失った。味方はいない。たったひとりで、あらゆる脅威から身を守りながら生きてきた。出会う人はといえば、悪人か、敵か。はたまた斧の餌食となる、哀れな標的か。
人の手がネネリに向かって伸ばされようものなら、それはつまり、攻撃されるということに他ならなかった。

「っ!」
「おっと、悪い。驚かせたな」

その手がネネリの頭に触れようとして、咄嗟に飛び退いてしまった。サンクレッドの手が、行き場をなくして宙を彷徨っていた。

「ち、違う! その……」

サンクレッドに触れられるのが嫌なわけじゃない。その手は、ネネリを救ってくれた。嫌がる必要がどこにあるというのだ。ただ、無意識というものは簡単には直らない。決してサンクレッドを拒否するつもりでは……そう弁解をしようとして、はたと気がつく。そもそも、なぜ彼の手がネネリの頭上にあるのか。所用のためグリダニアに立ち寄り、そのついでにネネリの様子を見に来た、という話をしていただけだったのに。

「えっと……?」
「あぁ、イダとパパリモから聞いたんだ。幻術士の修行、頑張ってるってな」

彼の手は、己を労おうとしてくれていたのだ。ネネリはようやく理解した。
サンクレッドは気を悪くするでもなく、むしろ申し訳なさそうにしていた。 申し訳ないのは、こちらのほうだというのに。

「ん?」

身長差のせいで、いつもネネリはサンクレッドを見上げることになっている。つい先ほどまでもそうしていたのに、突然俯いてしまった。それも、少し前のめりになり頭をサンクレッドに差し出しているような状態だ。その身体は少し強張っている。
やや間を置いて、その不自然な動作の意図を汲み取ったサンクレッドは、思わず笑みをこぼした。

「お前……」
「い、いいから……」

要するに、「続けろ」ということだ。
触れることを許されたその場所へ、今度は慎重に手を伸ばす。
やはり、怖いものは怖いのだろう。触れる瞬間はぴくりと肩を跳ねさせたが、それでも逃げなかった。そして、ぐしゃぐしゃと髪を掻き乱す手を甘んじて受け入れている。

人の温もりを忘れて久しい彼女が、自らそれを取り戻そうとしている。彼女の生き方を変えた張本人であるサンクレッドにとって、それがどれだけ嬉しいことか。

――なにも、サンクレッドは自身がそれを与えられる人間だと思っているわけではなかった。行く先々で女性に愛を振り撒きながらも、いちばん大切な存在にはそれをできないでいる。事情があってのことだとしても、不器用にも程がある。
ネネリはこれから多くの人と関わり、愛される存在になっていけるだろう。暁のメンバーだっている。自分じゃなくたっていい。きっとそのほうが幸せになれる。
ただ、一歩踏み出すための手助けならば惜しまないつもりだ。





「任務帰りか? お疲れ様」

この日もまた、サンクレッドはネネリの頭を撫でる。
もうサンクレッドの手を怖がることはなくなったが、調子に乗りすぎたのか、いつの間にか「やりすぎだ」と目で訴えてくるようになった。それですら、ネネリが次第に強かになってきたのを感じて嬉しくなる。
この様子では、人慣れのためだなんて言い訳はもう通用しない。これでいい。
嫌われては元も子もないので程々にしようと努めてはいるのだが……ネネリの頭が手の置きやすい位置にあるのがよろしくないのだ。

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