件名:福城聖の近況について



服部平次様

ご無沙汰しております。
厳木菊です。
以前、五稜郭を巡る事件ではお世話になりました。
突然のご連絡で失礼いたします。

既にご存知かもしれませんが、福城聖の処遇についてお伝えしたいと思います。
聖の判決は執行猶予付きとなり、ふたたび日常生活を送ることができるようになりました。
ですが、これまでと同じ生活には戻れません。
多額の賠償金を払っていかなければならず、大学は中退、家も手放すこととなりました。
それでも、医者になる夢を諦めてはいないようです。今は私の祖母の店でバイトをしていますが、いつも鞄に医学書が入っています。
こうして聖がまた夢を見られるようになったのは、服部くんが聖を止めてくれたおかげです。
いくら感謝しても足りません。本当にありがとうございます。

ここでひとつ、不躾ではございますがお願いしたいことがあります。
どうかもう一度、聖に会っていただけないでしょうか。できれば、遠山さんも一緒に。
本人はおくびにも出さないのですが、聖にとって今の状況はとても苦しいはずです。
服部くんや遠山さんは、聖にとっての光です。お二人と会えれば、きっと元気が出ると思います。
私ではこのような方法しか思いつかず、他力本願になってしまい大変申し訳ありません。
承諾いただけるのであれば、こちらから大阪に伺うつもりです。

もし難しければ、このメールは見なかったことにしていただいて構いません。
どうかご一考のほど、お願いいたします。





「和葉!」
「なんやの平次、朝から急に……」

大阪にある、私立改方学園。
西の高校生探偵と称される服部平次も、ここでは普通に制服を着て、普通の学生生活――近くで事件が起きない限り――を送っている。

「見てみい、これ!」

服部は上機嫌でスマホの画面を和葉に見せる。
初めは怪訝そうな顔をして覗き込んでいた和葉だったが、表示されていたメールの内容を読み進めていくうちに表情を明るくさせていった。

「えっ、聖さんと菊さん、大阪来るん!?」
「そうらしいな。こらぁ断らへんやろ?」
「当たり前や!」

初めこそ服部にとって福城聖は、和葉に急接近する悪い虫のようなものだった。あくまで振る舞いはスマートで、和葉も特に嫌がる様子を見せなかったことが、余計に服部の敵対心を煽った。
しかし、軽飛行機セスナ上での決闘を経て、彼の抱えるものを知った。だからといって和葉に馴れ馴れしくすることを許すわけではないが、彼が前を向くために協力できることがあるなら惜しむつもりはない。

日本は犯罪が身近でない分、犯罪者やその家族への当たりが強い傾向にある。周囲にいる人間だって、簡単に手のひらを返す。
聖の父は人を殺め、聖自身もまた法を犯した。あの日、聖が破壊したのは斧江圭三郎の遺した宝ではなく、聖自身がこれまで積み上げてきたもの、そしてこれから歩むはずだった未来だ。
彼にはまだやり直す時間がある。だが、既に母を亡くしており、唯一の家族であった父は刑務所暮らし、忘れかけていた夢を思い出した頃にはそれを目指すどころではなく、一目惚れをした相手は――渡すつもりはない。
時間以外のものが、なにも残されていないも同然だった。それでも彼はまだ、完全に見捨てられたわけではなかった。メールを見て、服部はそう確信した。

幼馴染のことを、子どもの頃からの単なる知り合いだと言ってのけた聖。そんな彼にも、幼馴染がいた。服部は奇しくも、その幼馴染本人とも邂逅した。
ふたりの間になにがあったのか、とやかく言うつもりはないが、彼は今「幼馴染」という存在になにを思うのだろうかと、考えずにはいられなかった。





『件名:Re:福城聖の近況について

ええで!
いつこっち来るんや?
あと、和葉があんたの連絡先知りたい言うてんねんけど、教えてええか?』

スマホの画面を見て、菊は思わず頬を緩めた。
本当に、気のいい人たちだ。

聖はこれからなにをするにしても、ただ生きていくだけであっても、まずはお金が必要だった。
幸いなことに世間の目が向いているのは、斧江財閥の跡取りである斧江拓三や、投資家として有名なブライアン・D・カドクラの逮捕、そして今回なぜかビッグジュエルではないにもかかわらず刀を狙った怪盗キッドの話題だった。一連の事件の裏で、ひとりの弁護士が殺害されたことは、あまり取り沙汰されていない。
おかげでマスコミが家に押しかけてくることもなく、聖はひっそりと近くのアパートに引っ越しを済ませることができた。
しかし執行猶予が付いたとはいえ、前科は前科。加えて、殺人犯の息子というレッテル。就職活動は当然、難航した。
見かねた菊の祖母が「うちで働かないか」と声をかけ、聖は菊も働く本屋でのバイトを始めることとなったのだ。

閑話休題、菊は感謝と肯定の返事を送り、スマートフォンをポケットに押し込んで仕事に戻る。

「んん……と……」

目当ての本に、指先が届くか届かないか。踏み台を持って来ればいいものを、横着してしまうのはよくない癖だ。

「まったく、背伸びなんてしてないで僕を呼んでって言ったのに」
「あっ」

伸ばされた長い手が、いとも簡単に菊の獲物を掻っ攫っていってしまった。本を手にしたのは、菊と同じエプロンをつけた聖だ。
やりづらい。とてもやりづらい。
前科持ちだとか、父親が殺人犯だとか、そんなことは菊にとってどうでもよかった。ただ菊にとって初めての後輩とも呼べる存在が、数年間距離を置いてきたこのハイスペック幼馴染になろうとは、誰が予測できただろうか。

「取りたかったのはこれだけ?」
「えっと……あとこれと、あっちのも」
「これと、これだね」
「あ、ありがとう……」

頭上から、穏やかな声が降ってくる。
わだかまりなんて、まるで初めからなかったかのように。
これが本来の聖なのか、同僚としての距離感だからこそなのか、それすら気にしていられないからなのか。菊にはわからなかった。菊は今でも、この幼馴染との距離を測りかねている。

「他に手伝うことはない?」
「……こっちの本をそこの棚、上のとこに戻してほしくて」

背が高くて、力もある。どちらも菊に足りないもので、菊にとって聖は強力な助っ人のはずなのだが、どうも彼に頼るということに慣れない。
それでは、ダメだ。
これからは聖のことも上手く使って効率良く仕事を捌き、出来ることを増やして、店に貢献しなければならない。聖を雇ったのは、なにも慈善活動というわけではないのだから。互いにとって利益にならなければ、どちらも苦しくなるだけだ。
そう、頭ではわかっているはずなのに。

そもそも聖は、ここにいるのが嫌ではないのだろうか。
菊は昔、理由も話さず一方的に聖を突き放した。そのことについて、まだ謝れてもいない。そのことを聖がどう思っているのかはわからないし、あまり考えたくはないが、もしかすると面倒が減って清々していたかもしれない。いずれにしても、菊のしたことは褒められたものではない。
いくら彼ら自身の罪とはいえ、償う意思があるのなら、支えてやりたいと思ったことは事実だ。なにせ菊は幼い頃、福城家に支えられていたのだから。それが、ここまで直接的な方法になるとは。
祖母が嬉々として「ちょうど男手が欲しかったのよねぇ」と言い出したことも驚いたが、聖がそれに乗ったこともまた驚きだった。
函館を離れたほうが、聖は静かに暮らせただろう。なんでも上手くやってのける聖のことだ、ここでバイトなんてしなくたって、誰も彼のことを知らない土地で、もっと安定した職を見つけられたかもしれないのに。そうしなかったのは、父を置いて行きたくなかったからなのか。

「――菊?」
「えっ」
「どうかしたの、心ここにあらずって感じだったけど」
「ごめん、なんでもないよ」

まさか「あなたのことで気がかりがあります」なんて、言えるはずもなく。
こうして普通に話していること自体、菊にとっては不思議なのだ。

「そう? 気をつけるんだよ、菊はいつもそうやって気を抜いて怪我を増やすんだから」
「うん……」
「これからは男手があるんだから、ひとりで無理はしないように」
「……なんて生意気な後輩」
「ははっ、仕方ないだろ?」

不思議な不思議な、日常が始まった。

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