花片と落丁



あるとき、ネネリは砂の家で不意に声をかけられた。
下働きとして新しく「暁」に加入したリアヴィヌという女性だった。
一見気の強そうな女性だったが、彼女の声はどこか力がなかった。

「あなたは、優秀なヒーラーなのね」
「どう、なのかな……」

周りの人たちは、ネネリの癒し手としての能力を評価してくれている。だが一方で、待つだけのネネリとは違い、自ら戦いに赴き最前線で仲間を守っている幻術士だっている。
役割は人それぞれで、「暁」のメンバーは全員が全員戦闘能力に長けているわけではない。だからネネリが肩身の狭い思いをしているわけでもない。戦いたくないと言ったのはネネリ自身だ。だというのに。

本当のところは「違う」と、否定したくなってしまう自分がいた。

「私ね、ここに来る前は冒険者だったの」

ネネリの心境を知ってか知らでか、リアヴィヌは静かに語り始める。

「当時組んでたパーティで、そこのリーダーに惚れてしまったのよ。でもね、彼が戦闘中に亡くなったの。私たちみんな駆け出しの冒険者で、どうにもできなくて」

失意の中、ここで下働きの募集を知ったそうだ。
余計なことを考えないためには、体を動かすのが一番いい。その行動原理は、ネネリにも心当たりがある。

「あの時、回復が間に合っていれば……」

彼女が背負っているのは弓だった。彼女自身が回復役ではないと思われる。となれば、彼女は別の誰かを思い浮かべているのだろう。
どうしても、当時の回復役に思うところがあるようだ。

「あなたみたいなヒーラーがいたら、彼も死なずにすんだのかしらね……」

そう言いながらも、ネネリにその問いの答えを求めているようではなかった。
もしもの話をしたところで意味などないことは彼女もわかっているはずで、それでもなにか消化しきれない想いをネネリにぶつけたのかもしれない。
あるいは、ネネリに自分と似たなにかを感じ取ったからこそ打ち明けたのかもしれない。

答えを欲したのは、むしろネネリのほうだった。

「悪いわね、おかしなことを聞いたわ」

ネネリは何も返事をできずにいた。それはリアヴィヌにとっては予想通りのこと、困らせるのは承知の上での問いかけだった。

だが、そうではない。なにも言えないのはネネリ自身の問題であって、リアヴィヌの問いのせいではないのだ。それを伝えることさえできなかった。


――伝える機会は、二度と訪れなかった。


突如として、砂の家に銃声が鳴り響く。
そしていくつもの足音と怒号、そして悲鳴。

「ここに、蛮神「イフリート」と「タイタン」を沈めた冒険者がいるはずだ! 出てこい!」

ガレマール帝国軍の襲撃だった。

多くの盟員が待機している倉庫にも、帝国兵が攻め入ってきた。
蹴破られた扉の向こうに、表で警備をしていた者たちが倒れているのが見える。

「何事だっ……」
「その鎧はまさか!!」
「なぜここに……」
「なにしに来たっ……ぐぁぁぁッ!!」

ネネリはいつものようにアレンヴァルド、アバ、オリと、それとなく集まっていたところだった。

「どうやってこの場所を嗅ぎつけたっていうの!?」
「ベスパーベイの警備はどうしたってんだ!」
「とにかく、みんなを守らないと!」

三人とも、動揺しながらも、すぐに武器を構えて帝国兵と交戦する。

それから、阿鼻叫喚の地獄が始まった。
帝国兵たちは一切の容赦なく、盟員たちの命を踏みにじっていった。
この襲撃はなんの前触れもなく、敵が近づいてくる気配もしなかった。戦う準備などしていなかった盟員たちは次々と斃れていく。目的はあの冒険者のはずであるのに、彼らは目の前の「蛮族」を蹂躙することしか頭にないようだった。

「だめ……ッ」

少しでも回復をするため、ネネリは魔法の詠唱をした。
しかし、全体的に回復しようとするとどうしても回復量が足りず、一人ずつ確実に回復しようとしても次から次へと負傷者は増えていき、回復の手が追いつかない。
命はどんどんその手から零れ落ちる。

「あの女から狙え!」

戦闘において、回復役から倒すのは鉄則だ。当然、すぐにネネリは狙われた。
幻術は全て詠唱を必要とする魔法である。詠唱無しに魔法を放つことができる技もあるにはあるが、そう何度も連続で使えるわけではない。
逃げなければ。でも、詠唱を止めてしまえば救えるものも救えない。

「やらせるか!」

ネネリの前に滑り込んできたのはアレンヴァルドだった。いつも背負っていた盾で、ネネリを凶刃から守っていた。おかげでネネリは詠唱を続けられる。彼を信じ、一歩も動くことなく治癒魔法を唱え続けた。
帝国兵の攻撃を凌ぎ続けるアレンヴァルドだったが、次第に数で押されていく。

「誰か、こっちを手伝ってくれ!」

そう叫んでも、返事をする力が残っている者はいない。

「クソッ……!」

もういい――ネネリはアレンヴァルドにそう言いたかった。しかし、癒し手である自分は最後まで生き残らなければならないことも理解していた。だから言えなかった。

「小僧、危ないッ!」
「アレンヴァルド、ネネリ!」


その声は誰のものだったか。
ネネリはどこまで魔法を唱えられたのか。

もうわからなくなっていた。


気が付いた時には辺りが静かになっていて、こんなにも人がいるというのに、息遣いさえ僅かにしか感じられなかった。

目の前にはアレンヴァルドと、アバ、オリが倒れていた。
アレンヴァルドはまだ息がある。
だが、アバとオリは……。

――あなたみたいなヒーラーがいたら、彼も死なずにすんだのかしらね。

リアヴィヌの言葉が脳裏をよぎった。
それを発した彼女でさえ、近くで横たわって動かなくなっていた。

ネネリは、自分が息をしているのかどうかもわからなくなった。

「こいつも連れて行くのか?」
「そうらしい」

帝国兵が座り込むネネリの腕を掴み、乱雑に立ち上がらせた。そして砂の家の外へと連れ出される。
その途中で、タタルやパパリモ、ウリエンジェも連行されているのが見えた。暁の間では、ミンフィリアが白い鎧を着た帝国兵――声からして女だ――と対峙していたが、すでに拘束されてしまっているようだった。
その鎧の女がこの帝国兵たちの長なのだろう。攻撃を止めるように指示していた。
どうやら、ようやく目当ての冒険者がここにいないことに納得したらしい。
無我夢中で回復魔法を詠唱し続けていたせいでネネリの魔力は底をついており、息も絶え絶えでろくな抵抗もできなかった。もっとも、抵抗するべき状況ではなかったのだが。

そのあとは、目隠しをされて飛空艇に乗せられた。
慌てふためくビッグスとウェッジの声も聞こえてきて、彼らは生きていたのだと把握する。

あまりに多くの喪失に、心が追いついていなかった。

アバとオリ――アレンヴァルドが任務を与えられたことをいたく喜んで、一緒に彼の未来に期待したばかりなのに。
リアヴィヌ――ミンフィリアに声をかけられ、ようやく誇れるものができると、明るくなっていく表情が見られたばかりなのに。

彼らだけではない。砂の家でネネリは、多くの仲間の一喜一憂を見届けた。
それがこんな形で終わりを迎えるなど、誰が予想できただろう。

――お前に、悲しむ資格などあるのか。

心の内側から、ネネリを責め立てる声がする。

――多くの人を傷つけてきたお前に。
戦うことをやめ、人を救う側になったというのに、肝心な時に誰も救えなかったお前に。

「やめて……やめて……」

思わず耳を塞いだ。それでも声は止まない。

――戦うことも救うこともできないお前は、一体なんのために生きている?

そうやってネネリを責めるのは、他でもないネネリ自身だった。





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