花にも種にもなれません



ネネリが未明の間で賢人たちの体の様子を見ていると、広間のほうからタタルの叫びにも似た声が届いてきた。

「ぼぼぼぼ、冒険者さん!? 本物の冒険者さんでっす!?」

タタルの前にたびたび現れる、第一世界から遣わされたと思しき妖精から、あちらの状況は聞いていた。第一世界と原初世界とでは時の流が異なり、例えば原初世界の数日が第一世界の数年にあたることもあるらしい。その影響か、冒険者はまた並々ならぬ旅してきたようだが、そのわりには早い帰還となった。ネネリも冒険者の姿を見ておこうと、広間に顔を出した。
そうこうしてるうちに、タタルが原初世界の現状を伝えていた。帝国軍と同盟軍との睨み合いが続いてはいるものの、特段目立った動きはないこと。それから、最も警戒すべき帝国軍の兵器「黒薔薇」については強力な助っ人を呼んだこと。

「ふふふ……私とクルルさんとネネリさんとで、「あの人」を一生懸命に探したのでっすよ」
「本当……手を焼かされたわ……」

当時のことを思い出してげんなりするネネリ。事情を知らない冒険者は首を傾げるしかなかった。

「会ったらきっと、冒険者さんも驚くでっす!」

どうやらタタルは、すぐにネタバラシをするつもりはないようだ。


――そんな会話をしていたのも、もう何日も前のこと。

「まだ、連絡が取れない……?」
「そうなのよ……エスティニアンさん、無事だといいのだけれど……」

クルルが言うには、帝国領に向かったエスティニアンからの音信が途絶えたとのことだ。そう簡単にくたばるとは思えないが、危険な任務なだけに不安は募る。

「エスティニアンさんのこともそうだけど、心配なのはこっちもよ……」

この日ネネリは、クルルと二人で賢人たちの様子を見ていた。いつもなら交代で看病をしているが、そうしなかったのは理由があった。

「やっぱり、サンクレッドが一番わかりやすい……」

ネネリは恩人の身体を前にして、苦い顔をしていた。

「あなたもそう感じるというのなら、私の勘違いではなさそうね。ほんの少しだけ、生命力が揺らいでいる……」
「そろそろ限界だというの……?」
「……まだ、猶予はあるはずよ。なにせ、ほんの小さな揺らぎだもの」

これまで変化が見られなかった身体だが、ここに来て異変が生じていた。むしろ魂のない状態の肉体を、今までよく保ってきたほうなのだろう。
今すぐどうこうなるものではなさそうだが、かと言って放っておけるものでもない。

「とにかく、みんなにも知らせておいた方がいいわね。あの人も帰ってきているのでしょう?」
「あ……私、探してくる!」
「待って、私が行くわ。ネネリはみんなを見ていてくれるかしら?」

今やこの状況は、いくら幻術士として経験を積んだと言っても、ネネリの手に負えるものではなかった。もちろん、手に負えないという点ではクルルとてそれは同じ――いや、この世界の誰ひとりとして、生命を扱いきれることはない。
そうだとしてもクルルには、ネネリと違い、シャーレアン魔法大学で身につけた知識がある。この揺らぎが、「魂と肉体の結びつきが弱まったため」だと推測したのもクルルだ。マトーヤ老の助言を得るため、低地ドラヴァニアまで足を運んでくれているのだって。学のないネネリでは、かの偉大な魔女と相対したところでまともに話すらできないかもしれない。
ネネリは、役に立てない自分自身に歯痒さを感じ始めていた。それでもクルルは、少しでも仲間の側にいたいという、ネネリ本人ですら自覚していなかった思いを尊重してくれた。

冒険者やタタルへの説明もクルルが済ませ、冒険者は再び第一世界へと旅立った。手遅れになる前に、皆の魂を原初世界に帰還させなければならない。そのためには、あちらの世界にいる水晶公の力が必要だった。





「ふぅ……。ネネリ、あとは私一人で大丈夫だから、あなたは少し休んできて?」

マトーヤからの助言を実行に移すのは、ネネリにとっては大変な作業だ。やはり、頭を使うのはまだ苦手だ。素直にクルルの気遣いに甘えて、ひとまず外の空気を吸おうと石の家を出た。
街灯付近のベンチに腰掛け、レヴナンツトールの中央で輝きを放つエーテライトと、妖霧で紫色に染まった空を見上げる。一点を見つめているようで、どこも見ていない。行き交う人々の気配などものともせず、ただ無心で、自転する大きなクリスタルをその目に映し続ける。そして、ああ、疲れているなと自覚する。
しばらくすれば、そろそろ動こうか、いやもう少しだけこのままで……ぼんやりと、そんな思考を繰り返すようになってきた。

「こんなところで、何をやっているんだ?」

そんなところに、聞き慣れない声が降ってきた。
声のした方向を見やると、そこにいたのは大きな槍を背負った男。

「あ、あなた!」

ここ最近、連絡が取れなくなっていた「暁」の助っ人、エスティニアンだった。見たところ、無事に帰ってきたようだ。慌てて立ち上がるが、結局は長身の彼を見上げなければならないことに変わりはない。

「よかったわ、給料を持ち逃げされたんじゃないかと心配してたのよ」

ネネリが冗談めかしてそう言うと、エスティニアンは肩をすくめた。

「受け取った報酬分は、きちんと働くさ。もう追い回されたくはないんでね」
「逃げなければ追われることもないのに」
「よく言う……」

どうせタタルやクルルに報告をしに来たのだろうから、ネネリはここでは何も聞かず、彼を石の家に招き入れた。

驚いたことに、石の家には早くも第一世界から戻ってきた冒険者の姿があった。エーテライトを利用して転移してきた冒険者はネネリに気付くことも気付かれることもなく石の家に直行し、歩いてやってきたエスティニアンだけがネネリに気付いた、ということのようだ。

「折よく来てくれていたか。話が早くて助かる」

こちらを振り返った冒険者は、エスティニアンの姿に目を見開いていた。タタルの目論見通りだ。そのタタルは会うなり軽口を叩いたネネリとは違って、純粋に彼を心配していたようだ。

「動乱の帝都から脱出して、帰還しようとしていた道中で、リオルとかいう「暁」の密偵と出会ってな……」
「帝都で動乱って……いったい何があったのでっすか?」

エスティニアンの口から語られたのは、単なる帝国兵器の調査結果ではなかった。
とある魔導工場で彼が遭遇したのは、「影の狩人」と名乗る、ガイウス・バエサル。かつての仇敵が、今は共通の敵を追っている。以前ザ・バーンでガイウスと再会した冒険者からの報告でも聞いていた。あのときは次々と昏倒する仲間たちのことがあり、ガイウスのことを気にしている余裕はなかった。改めて話を聞くと、なんとも複雑な気分だ。
だが、本題はそこではなかった。潜り込んだ魔導城にて二人が目の当たりにしたのは、己の肉体を取り戻したゼノス・イェー・ガルヴァスが、父親である皇帝ヴァリスを殺害するという、あまりに衝撃的な光景だった。

「あっ……!」

ここで、超える力が発動した。冒険者とクルルも、同様に頭を押さえている。この能力にまだ見慣れていないのだろう、エスティニアンが慌てた声を上げているのが聞こえるが、この異能はそんなことで止まってはくれない。


一連の過去を見終えたときネネリが感じたのは、なんという人間離れした強さなのだろう、ということだった。ゼノスにしても、エスティニアンにしてもそうだ。いくら混乱の最中とはいえ、数で勝る相手を蹴散らし、魔導兵器をも破壊して、帝国の中枢から難なく逃げ果せるとは。

帝国は侵略戦争どころではなくなり、「黒薔薇」はゼノスが使用を禁止した。ガイウスも、どこかで自分の為すべきことを見つけたらしい。
ゼノスという、新たな超越者。彼が今後、どう動くのか。不安は残るものの、何も手がかりがない状態では、こちらもそれを気にしている場合ではない。

報告を終えると、契約は終了したとエスティニアンは石の家を去っていった。タタルは引き止めようとしていたが、ああいうタイプは情だけでは動かないものだ。クルルのように、一言でも礼を伝えるべきだったのかもしれないが、何を言っても違う気がして、結局は黙って見送るだけになってしまった。

その後、クルルとタタルから、ネネリが聞きそびれた冒険者による報告を共有してもらった。
第一世界ではベーク=ラグという魔道士の助力を得て、賢人たちの帰還方法についての研究を進めているのだという。
白聖石――不滅なるアシエンの魂を捕える檻。ネネリが「暁」を不在にしている間に、賢人ムーンブリダによりもたらされた魔器。ネネリは後に話を聞いただけで、彼女と顔を合わせることは叶わなかった。ネネリが復帰するよりも少しだけ早く、彼女は命を散らした。これまで誰も成し得なかった、アシエンを消滅させる方法を確立して。
とにかく、その魔器を利用して賢人たちの魂を原初世界に運んでくるという作戦のようだ。

「さて、エスティニアンさんも大仕事をこなしてくれたし、ラハくんたちも第一世界で頑張っているようだし! 私たちも、もうひと踏ん張りしないとね」
「ええ、そうね……」

どれだけ無力を痛感しようと、どれだけ気の遠くなるような現実であろうと、一人だけ立ち止まることはできないのだ。





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