夢を泳ぐはやさで



かの冒険者の次なる冒険の舞台は、十三ある鏡像世界の一つ、「第一世界」。いくら飽くなき探究心を持つあの人とはいえ、世界を飛び越えてしまうなど誰が想像できようか。
ある日タタルの前に不思議な妖精が現れ、冒険者が無事に世界を渡ったことや、賢人たちの魂もあちら側へ渡っており、第一世界――ひいては原初世界を救うために活動していることを伝え聞いたのだとか。突如現れた妖精が、そんな都合のいいことを語るとは。そうであってほしい反面、疑いもした。だがタタルが言うには、それは冒険者からの言伝で、とても絵空事には思えなかったらしい。

ここ原初世界に残された「暁」は、賢人たちの肉体の維持をしながら、帝国軍の動向も気に掛け、さらには既知の蛮神へも目を光らせている。普段「暁」を牽引してきた賢人たちが不在となり、残された者達はその大きな穴を埋めようと、いつも以上に張り切っていた。
一時は帝国軍が再び押し寄せる恐れもあったギムリト国境地帯の戦線は、現在は膠着状態にある。
冒険者がゼノスを退けただけでなく、サンクレッドが倒れる直前に提案していた策が奏功し、自ら軍を率いていた皇帝ヴァリスまでもが本国へと撤退。帝国軍は勢いを削がれていた。
目下、脅威となるのは帝国が開発した新兵器「黒薔薇」の存在だ。ある属州では、その兵器によって反帝国勢力が一夜にして全滅したという。
まだ第一世界へ召喚される前のアルフィノが、影の狩人と名乗る人物――それが以前エオルゼアを侵略せんとしたガイウス・バエサルだというのだから驚きだ――とともに、精製工場へ侵入。黒薔薇は全て投棄したのだが、ヴァリスの指示のもと、新たに増産が進められている。
サンクレッドに代わり、帝国への潜入任務を担ったリオルからの、確かな情報だった。


「ネネリさん、クガネに行ってみたくはないでっすか?」
「……え?」

にやりと笑うタタル。
相も変わらず、賢人たちの体の看病を続けていたある日のことだった。
彼女のことだから、「暁」のための発案であることは疑うべくもないのだが、それにしても何か企んでいる顔をしている。問いかけのようでいて、その実、選択肢は一つしか用意されていなさそうだ。
リムサ・ロミンサの港でクルルとも合流し、三人での旅が始まった。
タタルのツテで東アルデナード商会の船に乗せてもらえることになり、向かうはひんがしの国の玄関口、クガネ。冒険者たちが初めてクガネへと渡った時には、イシュガルドで知り得た情報を餌にして、海賊相手に船を出させたという。「暁」の受付嬢は、強かだ。

タタルがクガネでの活動拠点にしているウルダハ商館で支度を整えた後、夜のクガネの街へと繰り出す。
タタルは桃色の和服に身を包んでいた。この土地における彼女の勝負服のようで、とてもよく似合っている。

「見つけたでっす……!」

クガネで最も賑わう酒場「潮風亭」にて。タタルは勇ましく立ちはだかり、クルルは笑いを堪えていた。
ネネリは、目の前の光景を――噂に聞く元蒼の竜騎士エスティニアンが、子竜に炙らせた干しイカをつまみながら客引きをしている光景を、どのように受け止めればいいのかわからなかった。ばつの悪そうな顔をするあたり、本人としてもこの状況は不本意なのだろう。
よほど嫌われているのか、それとも何かを察したのか。彼は用件も聞かずに持ち前の跳躍力であっという間に上階へと飛び上がり、子竜を置き去りにしてこの酒場を出て行ってしまった。流石の身のこなしだと感心する。
しかし、何も彼をここから追い出すために来たわけではない。
おそらく彼は今、油断している。「暁」の非戦闘員など簡単に撒けるはずだと。
そうはさせない。
エスティニアンが去った方向へ、ネネリも走り出す。彼のように高く跳ぶことはできないが、街中での鬼事はネネリも得意もするところだ。ただし、そのまま追いかけるだけでは追いつけない。別の道から、彼の行き先を推測し、塀や屋根を登って近道をしながら追いかける。
無論、初めて訪れる土地で、ウルダハのように自由自在に駆け回れるわけではない。最強の竜狩りと呼ばれたエスティニアンの脚力に敵うとも思っていない。
だが、ネネリのバックには頼もしい味方がいる。

「彼、クガネ大橋に逃げるつもりだわ!」

随分と距離は開いてしまったが、かろうじて視認できるその姿は、予想外の場所へ向かっていた。リンクパールで、二人のそのことを告げる。
クガネの地図は、ここへ来る船の中で頭に叩き込んでいた。国交を閉ざしているひんがしの国で、唯一開かれた街がクガネである。その先にあるシシュウ本島は、異国の者が許可なく立ち入ることはできない。それを知らずに逃げ込まれたなら厄介だったが、その心配は杞憂に終わり、橋の途中で佇んでいるのを見つけた。ここまで追ってこないと踏んでのことだったのだろう。
おかげで入国許可証を持ったタタルとクルルが追いつき、それをエスティニアンに突きつけた。彼は驚きで目を見開いていたので、してやったり、と思わないこともなかった。

しかしながら、ここで諦める男ではなかった。逃げ場のない橋の上であったというのに、彼は易々と通りがかった船に飛び乗ってしまった。
必要とあらば海に潜れないこともない。船はさほど速くないため、あの距離なら泳いで追いつけるか――。

「大丈夫、私に任せて。エーテルなら、海の上だって辿れるんだから!」
「ではでは、私はあの船の航路から、目的地を割り出せないか当たってみるでっす!」

この二人が、味方で良かったと心底思う。
彼女たちの執念で、エスティニアンを再び見つけ出した。
ネネリはその脚で、クルルはエーテルの痕跡で、さらにタタルはクガネでのあらゆる人脈で。三重の追跡というわけだ。これが「暁」の残存メンバーだけで、あの大物を捕まえるための作戦だった。

港街を一望できるクガネ城の天守。その頂上に彼は立っていた。タタルが協力を取り付けてくれたことで、赤誠組の隊士に城の中を案内してもらえることになった。まさかの機会に恵まれ、少し胸が躍った。平時であれば城内に入ることはできないのだと聞いたが、できることならもっとゆっくり見学したいものだ。
庭園の景色に惹かれながらも二の丸を駆け抜け、いよいよ本丸を目指すが、そこで彼が屋根から飛び降りるのが見えた。この暗がりの中、灯りを持ちながら走っていたものだから、いくら距離があるとはいえ気付かれたようだ。ネネリは急いで方向転換をし、あらゆる壁も道であるかのように走り出す。

途中、何度か障害物に視界を遮られ、そうしているうちにエスティニアンの姿を見失ってしまった。
最早どこを走っているのかもわからなくなっていたが、まだクガネ城の敷地内ではあるようだ。どこまで逃げられただろうかと思案しながら、目の前の屋根にひょいと飛び乗る。

「あれっ……」
「なっ……はぁ!? お前は……!」

足場になるそこには羽休めでもしていたのか、今まさに追っている標的、エスティニアンその人がいた。
彼は信じられないものを見るような目をしていたが、ネネリ自身も驚いていた。その一瞬、二人の間の時が止まる。
ここで彼を引き止められるような言葉が出てくればよかったのだが、生憎ネネリは口が達者ではない。交渉はタタルやクルルの役目で、ネネリはただ追いかけることしか考えていなかった。
当然、彼はすぐに我に返っては屋根から飛び降り遁走した。

クガネ城はここ一帯で最も高い場所である。どこへ逃げるにしても、あとはただ下って行くのみ。クガネの夜景を見下ろしながら、屋根から屋根へ。海のある方へと向かって次第に小さくなっていく後ろ姿を、なんとか見失わないよう追いかける。自分よりも速い相手に引っ張られるように、どんどん加速していく。風になったような気分さえして、妙に心地がよかった。
それにしたって彼は今、自分がなぜ追われているかもはっきりとはわかっていないだろうに、よくまあここまで逃げるものだ。

追われれば逃げたくなる、逃げられれば追いたくなる。そんな意地の張り合いが終結したのは、船着場でのこと。
エスティニアンはなんとかネネリを振り切って、朝の出航を待つ商船「黒母衣丸」に身を隠した。このまま密航し、クガネを出ようという魂胆だ。
彼は知らない。ネネリの追駆は逃げた方向を絞り込むためのものであり、彼女の視界から消え失せたとしても、その裏では消すことのできない意思の残滓で居場所を掴まれていることを。
しばらくの後、彼はふたたび「暁」の三人衆に追い詰められることとなる。

クルルの機転と演技力のおかげで、エスティニアンに依頼を受けさせることに成功した。帝国の新兵器「黒薔薇」の調査と破棄。ギムリトの戦場にて、頭痛に倒れる冒険者を、ゼノスの前から間一髪のところで救い出したこの男にならば、危険を伴う大役も任せられる。
それにしても。

「さ、流石に……疲れたわ……」

斧使い時代でさえ、ここまで走ったことはない。ネネリは息も絶え絶えだった。

「ネネリさん、お疲れ様でっした!」
「無茶をさせてしまったけど、よく食らいついたわね……!」
「その分、潮風亭の美味しい料理で、たっくさん英気を養ってくださいっす!」

勝利の美酒を求め、彼女たちは潮風亭へと歩き出した。
冒険者たちが帰ってくるまで、この世界を守らなければならない。そのために使える手は全て使ってみせる。それが、戦えない者達なりの戦いだった。


――後に竜騎士は語る。

「あの女、あれでただの幻術士だとか抜かしていたが……忍びか何かの間違いじゃないのか……」





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