彼方なる火をつけて



服を着替え、ウルダハの民に紛れる。
第七霊災以前からネネリはザナラーンの辺境で貧民として育ったため、演技すらする必要もない。昔の自分と同じように、貧民に扮して街に溶け込んだ。
あれから、何度夜を越えただろうか。

街の様子には不可解なところがあった。
女王の突然の訃報に、ウルダハは混乱を免れない――と思いきや、あの事件についてはいつまで経っても公表されず、ナナモ陛下の公務欠席の理由は「病欠」ということになっていた。
未だ逃亡中の「暁」についても、女王暗殺という大罪をなすりつけてきたわりに、さほど執拗に追っているわけではなさそうだった。
銅刃団や不滅隊の空気がいつも以上に張り詰めていることを感じ取っている民衆も中にはいるが、その理由までは伝わっていない。
祝賀会であれだけの騒動を起こしておきながら、不気味なほどに今まで通りなのだ。

木を隠すなら森の中。ネネリは人通りの多いサファイアアベニューで人々に紛れ込んでいた。

「君は……」

ふと、声をかけられた。そこにいたのはララフェル族の剣士。明らかに、ネネリを見てなにかを考え込んでいる。
とうとう見つかったか。
そう身構えたが、しかし相手が身に纏っているのは銅刃団の甲冑でもなければクリスタルブレイブの制服でもなかった。

「君は、そうか……君があの斧使いだったのだな」

背筋に冷たいものが走った。
想定していたものとは別の恐怖がネネリを襲う。
「暁」として追われることは覚悟していたが、久しく忘れていた事実を突きつけられるとは思いもしていなかった。
謂れのない罪を着せられた「暁」とは違う。
――斧使いは、正真正銘の罪人だ。

だからといってここで「暁」を捨て、捕まるわけにはいかない。もう、以前のように囚われの身になるのは御免だ。
逃げるなら今のうちだと身を引こうとしたが、やんわりと腕を取られ引き止められた。

「すまない、脅かすつもりではなかったのだ。私は不滅隊少闘将、ピピンと言う。今は君の敵ではない」

彼の名に覚えはあった。その言い聞かせるような声やネネリを制止する手が存外優しいもので、ネネリは幾分か落ち着きを取り戻した。

「ピピン……ピピン・タルピン少闘将……」

思い当たる名前を呟けば、彼は頷いた。
不滅隊局長、ラウバーンの養子。不滅隊を敵に回していた当時のネネリにとっては、あまり聞きたくない名であった。が、言葉通り彼に敵意は見られなかった。
ラウバーンは砂蠍衆唯一の王党派。ナナモ陛下との絆は、誰よりも強かったはずだ。彼は「暁」の潔白を信じてくれているのだろうか。

「冒険者殿とアルフィノ殿は、無事ウルダハを脱した。だが、私は義父を助けなければならない。そのため、ウルダハに戻ったのだが――」
「待って。助けるって、ラウバーン局長を? 一体、なにが……」

ウルダハで情報収集をしていても、ラウバーンに関する話はなにも出てきてはいなかった。
というのも、女王暗殺の件と同様、ラウバーン投獄の件もまた伏せられていた。現場を見ていなかったネネリは、ラウバーンの身になにが起こったのか知らなかった。

ピピンは、冒険者やアルフィノから伝え聞いた内容をネネリに告げた。
ラウバーンのことももちろんだが、賢人の皆やミンフィリアまでもが行方不明だという事実も、ネネリはここでようやく知ることとなった。
「暁」はこれまでそうしてきたように、今度もまた皆が知恵を出し合い、いずれ嫌疑を晴らして再起するのだと信じていた。だが、この状況はどうだ。絶望的と、言うのではないか。

それでも、あの冒険者ならば進み続けられるのだろうか。

あの人は強い。しかしネネリまでその強さを持っているわけではない。踏ん張らなければと思う自分と、心が折れそうな自分とがせめぎ合う。
動揺するネネリを案じ、ピピンはおもむろに話を続けた。

「……彼らをブラックブラッシュまで送り届けた後、ひとつ頼まれごとを引き受けた。まだ他の仲間がウルダハに取り残されているかもしれない、もし見つけたときには手を貸してほしい、とな」

冒険者やアルフィノは、ネネリがまだ拘束されず逃げ延びている可能性に賭けていた。
王宮を脱出する際、サンクレッドが「あいつなら大丈夫だ。少なくとも、ウルダハでは捕まりはしない」と言っていた。他ならぬ彼がそれほど信頼を寄せるのであれば、きっとそうなのだろう、と。

そしてピピンは彼らから、ウルダハで身動きが取れなくなっているかもしれないというネネリの特徴を聞いた。ラウバーンの救出が第一目的ではあったのだが、思うように進展せず、それならばとネネリを捜していたのだ。

「それがまさか、今になって斧使いを見つけることになるとは」

ネネリは貧民に紛れるため、普段は整えていた髪も無造作に乱していた。それは斧使いだった頃のネネリを彷彿とさせる風貌で、それ故にピピンは捜索中の「暁」の仲間と斧使いとが重なることに気が付いた。
当時ピピンは不滅隊として斧使いの存在に頭を悩ませていたひとりだったが、結局ネネリと相見えることはなかった。もし、サンクレッドより先にピピンと遭遇していたなら、今頃どうしていたのだろうか。

「事の顛末は聞いていた。君が「暁」に掬い上げられたのなら、どんな形であれ、歩むべき道を歩んでいけるのだろう……そう思ったものだ」

窃盗団は壊滅し、斧使いに全てなすりつけようとした不届き者もお縄についた。甚大な被害を出した斧使い当人が捕まらなかったことに、不滅隊では賛否両論あったものの、ピピンはさほど不満ではなかった。
斧使いが真の悪人であったなら、あの「暁」に拾われることはなかったはず。彼らの元で、あの斧使いは真っ当に生きていけるのだろう。

「君は幻術士になったのだな。……君は、君なりに歩み続けて来た」

あのときの予想は正しかったのだ。ピピンはそう確信を得た。

「そして、これからも歩んでいけるのだろう」

じっと耐えるように、ただ俯いてピピンの話を聞き続けていたネネリが、ようやく顔を上げた。

今やるべきは、過去を悔いることでも、ひとり寂しさに打ちひしがれることでもない。
ネネリを信じてくれた「暁」を、今度はネネリが信じなければ。
斧使いの罪を贖いたいと思うのなら、尚更。ネネリの背を押したのが、過去を知るピピンだということも彼女にとっては大きかった。

「……ええ、こんなところで立ち止まってはいられないわ」

その力強い返事に、ピピンも安心した。
さしもの「暁」も、今回ばかりはそう簡単に立ち直れはしまい。それでも、希望の灯火は消えてはいないことを彼は知っている。その火は今、目の前でも燃えていた。小さくても確かな光だった。





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