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 部活を引退してからの仁王はすっかり気が抜けてしまったようで、授業中も寝ていることが多かった。仁王は友達が多いほうではなかったから、休憩時間になったからと言って誰も彼を起こさなかった。周りがざわざわと雑談を始めると、その音でゆっくりと目を覚ます。しかし目を覚ましたからと言って、仁王は特に何をするわけでもなく窓の外を眺めるだけだ。
 窓からは桜の木が見える。冬になって、すっかり元気をなくした木が自分に似ているようだと仁王は考えていた。引退をしてからはそれぞれが別のものに必死になっていった。仁王はそれがつまらなかった。
 ブン太の声が聞こえる。「それ俺のだろうがよ!」と声を張り上げている。部活を引退してからもブン太の食欲は変わらず旺盛だ。ブン太の周りにはよく人がいるが、仁王は集団行動が得意ではなかったから教室で二人が行動を共にすることは少なかった。
 仁王は目を閉じる。始業のチャイムが鳴る。意識は深くへ落ちていった。


「仁王くん」

 その声で仁王は目覚めた。窓の外が橙色に染まっていて思わず目を細める。

「……なんじゃ、もう放課後か」

 久しぶりに発した声は乾いていて喉が引っ付いた。ン、と軽く咳払いをすると、仁王を起こした人物――柳生が呆れたようにため息を吐いた。
 それでもやはり柳生は心優しい紳士だから、仁王が眩しそうにしているのを見抜いて軽くカーテンを引いた。

「耳にしましたよ、仁王くん。貴方学校へ来ても始終寝ているようではないですか。丸井くんが心配していましたよ」
「ほー、あいつが?俺ンことなんか知らんふりしてるようじゃが」
「丸井くんは貴方が気を遣わなくてもいいようにと配慮しているんでしょう。その証拠に仁王くんは集団行動が苦手ではないですか」
「ン、まあな」

 仁王はむくりと身体を起こした。長時間机に伏せていた身体は所々がぎしりと痛んだが、そのまま大きく伸びをした。あたりを見回すが、B組の教室には仁王と柳生の二人しかいなかった。黒板の上にある時計をさりげなく確認すると、すでに十七時を回っていた。
 部活を引退してからひたすら無気力に過ごしてきた仁王は、柳生のクラスとの合同体育の授業は休みがちだった。そのせいか、柳生と会話するのも久しぶりなような気がしてならない。

「よう、柳生。久しぶりじゃな」

 改めて仁王がそう言うと、柳生は「全くです」と首を縦に振った。

「部活も引退してしまってから仁王くんは体育の授業にほぼ居ませんでしたし、会おうと思えば会える距離なのに、なんだか不思議な感覚ですね」
「ほんまじゃ」

 仁王はずっと勿体ないと思っていた。
 幸村から聞いた話によると、柳生は大学進学を考えて高校からは部活動はしないと言っていたそうだ。高いレベルの大学を目指すのなら一年生のうちから勉学に励まねばならない、といかにも柳生らしい考えであった。そうなれば仁王が柳生とテニスをすることはもうないだろう。あれほどまでに必死になった夏はもう来ない。仁王はそれが勿体なくて仕方なかった。

「のう、お前さん」
「なんでしょう」

 微かに笑みを浮かべた柳生を殴ってしまいたい。仁王はこんなにも自分を無気力にさせた犯人を殴り倒したい衝動に駆られた。

「……おまんが居らんと、」

 それなのに仁王はまるで違うことを口にしていた。柳生は驚いたように目を丸くしているのが眼鏡越しにも分かる。

「おまんが居らんと、……人生がつまらなくて仕方ない」
「……可笑しいですね、私如きが仁王くんの人生に干渉出来るのですか?貴方はいつでも掴みどころがない雲のような人だったのに」

 柳生は首を傾げてそんなことを言う。わざとらしい笑みは紳士のそれではなく、明らかに仁王をこんな風にしてしまった人物のそれだった。仁王は素直に頷く。いつの間にかこんなにも毒されていた。
 柳生がゆっくりとした優雅な歩みで仁王に近づく。橙色の教室に、柳生の影が伸びた。

「私の人生もつまらなくて仕方ないですよ、仁王くん。貴方がいないので」
「……よく言うたもんじゃ」
「私は本気なのに」

 くす、と笑った柳生はそのまま仁王に顔を寄せた。



毒性|0322
意地が悪い。