皐月の雨が降る。網戸から、雨だれのノイズ音が、ひっきりなしに耳の洞に響きわたった。横たえた体を、冷たいフローリングから起こすと、窓辺に近寄った。雨のせいで、すべては薄いベールがかかったように、輪郭がぼやけて、にじんで。新緑はみるみるうちに溶けていた。コンクリートが打ちっぱなしの、ひなびた、小さすぎるベランダ。人ひとりしか入らないようなスペースに、堂々と、鉢植えは居座っていた。しかし、彼本人の持ち物ではない。

ほったらかしの鉢植えでは、また植物がさかんになっている。深緑の葉々をのばし、固いつぼみはいくつか。まだ一つも咲いていない。薄青みがかった、真珠大のつぼみ。一体どんな花を咲かせるのか。
それは、確かに知っていた。

(知っていたのだ。)

***

彼女の白い指が、咲き終わった花がらを摘み取る。くすんだ青い花弁。小さなベランダの、床の縁に腰掛けて。一つ花がらを摘むたびに、鉢植えいっぱいの青葉がふるえた。それを不思議そうに見つめていると、彼女は振り返って言う。

「残したままにしてるとね、あっという間に枯れちゃうんですって」

だそうだ。

「頼綱さん、お花はあまり詳しくないんですね、意外だなあ」

彼女がすっかり花がらを摘み取ってしまうと、あとは真っ青な花が、何輪か咲くばかりになる。その花の形は、一重の菊に似ていたのだった。瑠璃色の菊花。「かわいい花でしょ」と笑う彼女に、頷いたのを思い出した。そしてそのとき耳の洞に聞こえたのは、彼女の声と、雨の…。

***

(そうだ、確かこれが咲いていたのは梅雨時だった)

網戸をからからと開け放ち、床の縁に座り込む。そういえばこの位置は、彼女が鉢植えの世話をするのに腰掛けていた場所だった。鉢植えを見つめて、顎に手をやる。じっと考え込んだ。植物には、わりと造詣が深いほうだ、しかし。

(なんだったか)

なかなかどうして、花の名前は思い出せない。彼女は果たして花の名前を教えてくれていただろうか。ため息をつこうと、大きく空気を吸い込むと、湿気が肺を満たした。

(名前、)

そういえば、別れて幾日経ったかも、忘れかけている。きっと梅雨に入って、この花が咲いてしまったら。そのたびに彼女を思い出してしまうだろう。咲き終わった花がらは、本当に摘み取らなければならないのか。
湿気と一緒に、ひどくため息を吐いた。


stokesia
(2010 筆)
(14'02'10 前サイトより転載)

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