『はい、これでおしまい』 「ししっサンキュー。さっすが名前だよな、手際だけはいいっつーか」 だけってなによ、だけって。 救急箱の蓋をぱちんと閉めキッと睨み付けてみたけれど、当のベルは既に違うことに興味がいっていた。ラフなタンクトップに夏使用の半ズボン、隣町のお菓子屋さんのおいしいクッキーを手土産に治療を受けにきたベルはここの常連の1人だ。 書類を記入している間、手持ち無沙汰となったベルは机の上に置かれた怪我の書類、病気の記録を捲りながら一枚一枚に感想を述べている。 「なんだよ、スクアーロばっかじゃん。だっせー」 『スクアーロ隊長のは別、任務で怪我してるんじゃなくてほとんどボスの機嫌が悪いときに作ってくるものなのよ。ほら、打撲でしょ、それからワインガラスで作った切り傷とか……』 「だせぇもんはだせぇもんだろ」 記録に興味を失ったのか今度は丸椅子でぐるぐると回り始める。年なんてさほど変わらない筈なのに落ち着きのないヤツ。回ることでベルのさらさらの髪がふわっと浮き上がったものだからもしかしたらちらっとでも目が見えるんじゃないかって、そんな期待を抱いてその様子をじっと見ていたらさすがに不審がられた。不満気に動きを止めたベル、髪はくしゃっと乱れている部分もあるが元通り。ちょっと残念、心の中で軽く落胆しながら机に向き直る。 「なんで見てたワケ?」 まさか目が見えるかと思ったなんて言えるわけもない。 『椅子が古いから壊れないかなって』 「ボスに買ってもらえばいいじゃん」 『私がボスに医務室の椅子をねだれるわけがないじゃない、それにお金の事はスクアーロ隊長でしょ』 「じゃあスクアーロに言えば?」 『ヴァリアーはひどく財政難なんです。…っと、はい診断書終わり。もう気になるからって瘡蓋剥かないように』 「ちっ、剥かねぇよ」 剥いたからここに来たんでしょうに。一昨日の任務中に壁で肘を擦ってきたと思ったらもうこれだ。どうやら血が滲んだだけでは自らの理性を失うことはないらしい(そんなことで暴れられてはたまらないって前にスクアーロ隊長が言ってた)。 それでもまだ反省する気がないのか、自分の肘に貼られたガーゼに早速手をかけ始めたところを素早く見つけて一喝したばかりでもある。 「なー名前」 『ん、治療終わったらすぐに退出がここのルールだけど』 「名前ってどこ出身?」 『生まれた時からここの専属だからヴァリアー出身』 ベルこそ一体どこの国の王子なのよ。 これは従業員同士の専らな話題だ。たとえ知って話題に出来るというわけではないが私も常々疑問に思っていたこと。 むむ…聞きたい。でもきっとはぐらかされるだけだろうな。 「ふーん、ずっとやんの?」 『ずっと……やるんじゃない?私の子供も、その孫も』 自分自身の返答に眉をひそめる。なんか嫌だなこの言い方。 でも怪我人がいる限り私はここに居続けなくちゃいけない、助手一人さえ雇うことのできないこの状況じゃ当分はここでの勤務になるだろう。 「子供とか、名前まだ餓鬼じゃん。ししっおもしれー」 『ベルとそう変わらないでしょ!』 「なぁなぁ、白衣脱いでみろよ」 『嫌よ、今は勤務中だから脱げない』 「それじゃあ名前、24時間365日その格好じゃん」 『う……ほっといてよ』 「なぁ一回だけ」 なぜ私は目の前の男に翻弄されているのだろう。言われるがままに白衣のボタンに手をかける。1つ…1つ、するっとボタンが穴を抜ける度に心臓の拍動が早まる。 「なんだよ、名前普通じゃん」 『たかだか白衣一枚着てただけじゃない、そう変わらないわよ』 「んじゃそれでちょっと屋敷の外歩こうぜ」 『だから勤務中って!私がいない間に誰かが血だらけで飛び込んできたらどうするのよ…』 有無を言わせない、といった様子だ。ギリっと捕まれた腕に力を込められ顔を歪める。相手はプロの暗殺者だ。 怯んだ私のことは気に留めず、それでいいのだとでもいうようにベルが笑顔を作る。三日月型にさせた口からは得意そうな笑いが洩れる。 「名前は知らねぇと思うけど、スクアーロがよくここに来るのは名前に会いたいからって噂になってんだぜ?」 『そんな、スクアーロ隊長は怪我したときにしか来ないよ。そんな根も葉もない噂…』 「ししっだからさっきちゃんと確認しただろ」 『あぁ、だからそんなに興味持ってたのね』 手を引かれ足をもつれさせながら部屋と廊下の敷居を跨ぐ。 開かれたドアの外は見知っているはずなのになんだか懐かしい気がした。自分に染み付いた薬のにおいが目立つほど。 「久しぶりだろ」 『……うん』 久しぶり、そうだ久しぶり。あの大きな窓も床に敷かれたえんじのカーペットもちょっと古くなった建物のにおいも。 視界だけじゃない、耳を済ませばメイドさんがぱたぱたとかける音、隊員が大声で怒鳴り合う声、窓の外では木がざわめき、どこかで爆発音まで聞こえてくる。 『ん……爆発?』 「あぁ、いつものことだから気にしなくていーし」 …そっか、気にしなくていいのか。 同じ空間に住んでいた筈なのに自覚をせずに部屋に閉じ籠っていて、いつの日か別の世界へワープしてしまっていたようだった。 「好きな女にじっと見られたりして堪えられるような男じゃないんだよね、オレ」 『えっ……はっ好きなおん…っ』 「だから今日はぜってー名前のこと連れ出すって決めた」 ししっと余裕な笑みを見せる彼。 そんなベルとは正反対、動揺と恥ずかしさで上手く表情をコントロール出来ない私。足元はおぼつかないし髪だってぼさぼさなままなのにと言ったら、「ンなもん王子が気にしねぇからいいの」といつもの調子で返される。 私は気持ちが高揚するのを抑えきゅっとベルの手を握り返した。 入道雲にレモンシロップ 「王子に引っ張られてドキドキしてる?」 『してない!』 [END] 病室=白 病室から出られない…みたいな入道雲。 レモンシロップはベルさん。 たとえ本誌で家族やっていてもシリアスな世界に住んでいるヴァリアー。ましてや生死を目の当たりにしてる医務室の女の子。見た目には出さないけど自分でも気づかないうちに心が追い詰められていたそんな子の心に現代ベルさんがダイヴするお話……みたいな。 ←戻る |