王妃様の命でテオと一緒にセレンファーレンに行った時に、素敵な靴を見つけた。それはショーウィンドウの端にポツリと置かれていた真っ白な革靴。真ん中に飾られたヒールの高いキラキラとしたサンダルや金の金具のついた上品なチャコールグレーのショートブーツと比べると、その靴はあまりにも地味で、同じショーウィンドウの中で肩身が狭そうだった。横にいたテオにその話をすると、「本当だなぁ、でもイナコの靴屋に並べたらきっと目立つんだろうな」と共感してくれたけれど、それもちょっと違う。
『イナコでこんなに綺麗な靴を履いたら、すぐに汚れちゃうよ。だってセレンファーレンみたいに舗装された道ばっかりじゃないもの』 「確かにな。うちはどちらかというと履きやすさを重視する人が多いもんなぁ」 『それにね、この靴はたぶんもっと肩身の狭い思いをするんだろうな』 「靴が肩身が狭い?」
テオったら何も分かってないんだから。無防備な背中に軽くパンチをお見舞いすると、テオは訳が分からないといった様子で両手を挙げる。全く他国の店先で何やってるんだか。 ちょうど中で靴を見ていたおばさんと目が合い穏やかな笑顔を向けられると、今のやり取りを見られていたことが恥ずかしくなって、テオを引っ張ってショーウィンドウを離れた。
「あの靴、見なくていいのか?」 『何言ってるのよ、買いもしないのにずっといたら迷惑でしょう』 「気に入ったなら見てたっていいと思うけどな」 『でも、うちの自慢の姫様やお妃様なら似合うかもしれないね』 「うーん、妃様はともかく姫様は似合ってもなぁ……」 『似合うだろうけど、たぶん進んで履くことはないだろうね』
普通のお姫様は一緒に農作業なんてしないし、自分から畑に入ることはないんだって知ったのはつい最近のことだった。他国の王子様達の話を楽しそうに話す姫様は、たぶんどの国のお姫様の中でも1番民と距離の近いお姫様だと思うけど、私からしてみれば、姫様は姫様。私の何百万歩も遠くにいるお方だ。
『もったいないなぁ、せっかくお姫様なのに。それに姫様はお顔も可愛らしいんだし、もっとキラキラとした衣装を着られるべきよ』 「名前は姫様が好きだよなぁ」 『テオこそ』
返事が返ってこないと思い、隣に並ぶテオを見上げると、空をぼんやりと眺めていた彼は私を見てニコッと笑った。
「でも名前が1番だな」
彼からこの言葉が出てくるようになってもう2年が経つ。 その言葉が私の中でしっくりとくるようになるのにも、ちょうど2年という歳月が必要だった。
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あれから早1ヶ月、テオがにこにこと笑いながらうちの戸を叩いたのは太陽が上がって間もない早朝。辛うじて洗顔は済ませていた私の目は、まだ半分も開いていなかった。
「昨日まで姫様とセレンファーレンに行ってきてたんだ」 『ん、おかえり』 「朝早くに来てごめんな、名前が朝苦手なのは分かってたんだけどさ」 『いいよ、別に。テオが帰ったらまた寝るから』 「おまっ、イナコ国民あるまじき発言だぞそれ……」
朝は起きたらみんなで体操。まだ上がりきらない太陽の下で大きく伸びをしたら採れたての野菜や卵を使って朝食作り。イナコのありふれた朝の時間は、私にはちょっとキツい。
「名前にお土産、外のキャラバンに置いてるから。それから城で取れたにんじんとじゃがいもも名前にお裾分けって姫様が……」 『あれっ、この箱?』 「いや待て、違う!それは期待してるものじゃないんだ」
太陽の眩しい光にげんなりとしながら外のキャラバンに向かった私の目に、イナコでは見慣れない箱が飛び込んで来た。 どこかで見たことのあるマークにセレンファーレン王室御用達の印、真っ白な紙の箱に思い当たりがないわけじゃなかった。テオの止める声なんてまるで聞こえない。
でもそんなわけがない、だってあのお店は私たちの手の届くような物が売っている場所ではないもの。 中に何が入ってるなんて期待していたわけではなかった。ただ小さな子供のように、目の前にある箱には何が入っているのだろうと興味が湧いただけだ。両淵に手をかけ恐る恐る蓋を開けると、中には見慣れた小さな麻袋がたくさん詰まっていた。
「ほら、だから……名前がっかりするだろ。それはただの種。セレンファーレンでまたあの靴を見に行ったんだ、あの真っ白な靴が……」 『……テオ?』 「その、名前に……名前に似合うと思ったから」 『私に?そんなの似合うわけないじゃない』 「似合わないわけないだろ!名前が履きたいって思った靴なのに」
お店の中に入ったもののあまりに場違いで慌てて出てきたのだという。慌てすぎたせいで持っていた紙袋を落として破いてしまい、種子を入れた小袋がばらばらになってしまった。それを見ていた店主のおばあさんが破れてしまった紙袋の代わりにと、この箱をくれたのだという。
やっぱり俺の給料じゃ足りなかったんだ。あのお店、なんでも王室御用達だっていうし、1人で入るのも憚られるくらいで……気まずそうに頭を掻くテオは王室に仕える騎士には到底見えない。
『でも、そもそもあんなに真っ白な靴に似合う服、私持ってないよ』 「持ってないなら繕えばいい」 『履いていく場所だってないよ』 「そんなの……おっ俺の前で履いてくれよ。名前が履いてるところ、見たいし、」
途中で言葉を切ったテオは箱の前で立ち尽くした私をじっと見る。
『イナコの泥道を歩いたら、きっとすぐに汚れちゃう』 「泥道が目の前にあったら俺が……俺が名前のこと抱えて通る!」 『本気で言ってるの?』 「……っああ!騎士に二言はないぞ!」
テオは一生懸命に私を喜ばせようとしてくれるんだろう。それも心ではなく体が先に動く程に、考える前に言葉が出てきてしまうくらいに。私はテオの大切なものの中にちゃんといるんだ。
洗練された大都会を初めて目の当たりにして出来たちっぽけな心の傷を意識するのも恥ずかしかった。どんなに努力をしたって私は片田舎の商人の娘、その努力さえしない私に神様が慈悲を与えるわけもない。 ただ、それを目の前の男の人が変えようとしてくれている。テオが誰より可愛いと私の頭を撫で、誰よりも私の劣等感を理解し、心からの言葉を真っ直ぐに届けてくれる。
『ねぇ、テオ』 「ん、なんだ?」 『大好きだよ』 「なんっ……!」
顔を真っ赤にさせるテオに照れ隠しで体をトンと当て、私はイナコに広がる真っ青な空を見上げた。 多分目を見たらテオが恥ずかしがるし私は少し泣いてしまいそうな気がしたから。
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