その日、待ち合わせの場所に来たのは俺のタイプとは正反対のキャバ嬢みたいな女だった。
「別にふわふわした女の子が好きっちゅうわけではないんやで。そないに限定したら名前が可哀想やし」 『私は関係ないでしょ。それよりそんなに酷い子だったの?』
酷いもなんもない。柔兄が暇やったら行けって言うから行ったのに。 そんな柔兄は俺の気も知らず新聞を片手に目を細めている。景気でも良くなったのだろうか?日本のみんなの懐が暖かくなっても俺の財布は嘘みたいにぺったんこや。
「柔兄、デート代の7000円くれへん」 「なんで俺がお前にお前のデート代あげなあかんの」
柔兄の知り合いの妹やっちゅーからいい弟演じるために、俺柔兄のために頑張ったんやで。くっさい香水もつまらない映画も、そう、挙句の果てには高い食事代も記念の(?)ブレスレットまで。好きな相手にならば喜んでだって無理もするが……あんな女の言うこと、断りきれなかった自分に腹が立つ。
「あーあ、来週は行きたいライブもあったのに。夏休みの予定が全部パーや」 『でもいいじゃない、高校生に入ってから初めてのデートが1つ上のお姉さんだったんだから。私なんてデート1つしたことないよ』 「あー…まぁ名前にデートはまだ早すぎるんやないかな」
何か返してくる名前を軽くあしらい柔兄の膝元にすり寄る。もちろん柔兄は財布に手を伸ばすどころかちらりとも俺の方を見ない。 無くなってしまったものは仕方がない、か。俺も男や、今回の事はすっぱり諦めよう。欲しかったアルバムCDは廉造か名前に借りればいい。帰省してなければこんなことにはならなかったとはいえ逆に考えれば帰省中だからいくらでも節約することができる。なんや、つくづく俺はツイてる男やな。
『ちょっと金造、さっきの続き』 「なんやねん、いい加減しつこいで」 『なんで私には早いのよ!』 「そりゃ、その……キス、とか。するやん?」 『なに、金造キスしたの!いつしたの、どこで……』 「してへんよ!するわけないやろ!」
何やら考え込む名前の頬がほんのり赤い。ほんっまこいつはなんも知らんでようやってきとるわ。自然と視線が名前の唇にいく。考え込んでいるときに少し唇尖らせるのは名前のくせだ。 そうや、いつかこいつも……。名前と一緒にいるせいかよく先輩に名前の事を聞かれたのを思い出した。あの時は全然気にしてなかったけどそっか、そういうこともあるんや。なんやヘンな感じ。確かに幼さの見える中学のセーラー服より幾分か大人っぽく見えるようになった気もする。
「あぁ、そうや!なぁ名前」 『いっちょっと髪の毛引っ張って人の事呼ぶとか小学生じゃないんだから……』 「ん」
茶色の小さな紙の袋。昨日のデートとやらの帰り道に買ってきた名前へのお土産だ。名前の手に両手を重ねて置くと、驚いたように俺とその袋を交互に見る。 可愛いラッピング1つ、ついていないのに名前はそれを開けることなく手の上に置いたままじっと見つめている。それが何ともじれったくて、気づいたら袋を奪い返していた。
「ぐずぐずせんでさっさと開けろよ!」 『あっちょっと』
取り返そうと伸ばされた手も金造より低い身長のせいで届かない。うまく手を避けた金造は無造作に袋を開ける。 絶対に似合う、一目見たときにそう思ったんや。パチンと金具を外して右側にそっとつける。藤色の花がモチーフの髪飾り。小さなビーズがあしらわれていて地味すぎず派手すぎず。
「どや!なぁ柔兄、これ名前に似合ってるやろ」 「おーおー、えぇやんか」 「せやろー、まぁ金造様のチョイスに間違いはないっちゅーわけや!なぁ名前、これ今度――」 『……んで、』 「あ?」 『なんで、どうして…』
どうしてってお前こそなんやねん。人の好意にそない顔するとはどないなつもりや。 普段ならば机も蹴飛ばす勢いで名前に食って掛かっていたところだろう。なのに手一本どころか言葉すら口から出てこなかった。名前なら絶対に喜んでくれるという確証があったから。自分の頭の中で待っていた名前は笑顔だったから。 なのに目の前にいる彼女は全く笑わない。部屋の端に置かれた鏡で自分の髪を見ても喜んでいる様子は全く見えない。期待していた分跳ね返りが大きかったのかもしれない。急に名前の頭からそれを取り返したい衝動にさえ駆られた。
「要らんのなら……えぇわ。妹にあげるし」 『違う!要らないんじゃない!』
自分でも怖いくらい、体の奥深くから低い声が出る。伏せった目の端にちらっと映った名前は困惑した様子で唇を噛んでいる。
『違うの、違って…嬉しいんだけど』 「でも全っ然嬉しそうには見えないで」 『だからそれは……だって金造今、お小遣いないんでしょ。今月は好きなアーティストのCD買うって言ってたじゃない。ライブもあるって。この夏は高いけど欲しかったヘッドフォンにも思い切って手を出してやるって。昨日言ってたじゃない』 「んなもん俺が名前にそれやることと関係ないやないか!」
俺が勝手にあげたかっただけなのに。ただ笑顔が見たかっただけなのに。 買った時にもそれを思っていたわけではない。ただイライラしてた帰り道、ふらっと横の店に目を向けたらそれが置いてあっただけ。それを見て頭の中にすぐに名前が思い浮かんだから買っていっただっけ、それだけの筈だったのに。
「名前、そういう時は普通に“ありがとう”って言えばいいんやで」 『柔造さん……でも』 「名前、俺は金造の兄ちゃんや」
こそこそと話す2人を恨めしく思う。こんな風になる予定じゃなかった。無意識に包装の袋をぐしゃぐしゃに握りしめる。立ち上がらずにすすっと、畳を這って名前がこっちにやってくるのを無視してわざと背を向ける。くるっと半回転したはいいものの前に見えたのは障子だけ。小さい頃に廉造と自分で穴を開けてはよく怒られていたが今は張り替えられたためたゆむことなく一面真っ白。どこにも視線を合わせることが出来ない。
『金造ありがとう。すごく嬉しい、本当に』 「ほんまに?」 『――っ本当!これ今度のお祭りの時に絶対つけていくから。私の白い浴衣に似合うでしょ?』
目尻を下げて照れたように名前が笑う。
「それや!」 『えっなに、ちょっ肩離して……』 「名前はその顔が一番似合ってるで」 『あ、ありがとうござい…ます』 「あとCDなら気にせんでええねん。名前か廉造が買ったん借りるから」 『なにそれ買うなんて言ってな……』 「せっかくの髪飾りもそない風に目くじらたてとると可愛くないでー」
次は何が返ってくるか。にやける口元を押さえながら名前の反応を見るが何も返ってこない。おかしい、そう思って顔を覗き込むとへらっと笑った名前が顔を上げた。なんやその顔。おもしろくてほっぺを引き延ばしてみるとハの字だった眉は一瞬で逆に変わってしまう。 『金造、本当にありがとう。これ大切にするから』 「おん!当ったり前や」 『はーお祭り、楽しみだなぁ』 「お2人さん、仲がよろしいところ悪いねんけど。名前はお祭りは友達と行くん?」 『あ、ううん。いつもどおり明陀のみんなと行く時だけです』 「なら金造と2人で行ってくるといいわ」
俺と、2人で。 その言葉にだらしなく口が開いてしまう。小さい頃から、いつも一緒にお祭りに行っていたとはいえ明陀のみんながいるのと2人きりになるのとではわけが違う。それと同じことを名前も思ったらしく、思わず2人で顔を見合わせる。 俺達に爆弾を落とした柔兄は新聞を畳み、そんなこと全く気にせず“まぁみんなには上手く言っておくから気にせんでええで〜”とだけ言い残して部屋から出て行ってしまった。
「名前」 『うん』 「どないする。名前はどうしたい」 『……金造は?』 「名前がいいなら――ってちゃうわ」
落ち着かなくてがしがしと髪をかき一つだけ息吐く。
「なぁ名前」
俺と一緒にお祭り行かへん?
春待ちの小町
こくんと頷く名前は顔を上げると可愛らしくはにかんだ。
[END] |