「今日はね、握手会だったんです」
インターホンの画面に映ったのはニコニコ顔の那月。つられてにやける頬を抑えながら急いで玄関に出迎えるとお疲れ気味の那月が“ただいま”と目を細める。手にはプレゼントがいっぱい入った紙袋。疲れていることは一目で分かるのに何よりその嬉しそうな顔が私をほっとさせる。
『おかえり、那月。お夕飯まだだから、とりあえずお紅茶いれるね』
「わーい」
『あ、それともお風呂先に入っちゃう?それなら今入れてくるけど……』
「ふふふ」
『那月?』
「名前ちゃんなんだか新妻さんみたい」
『にっにい……っ』
「お風呂は後にします。これ、早く見たくって」
新妻の2文字に動揺し動けなくなっている私をよそに、那月はスタスタと部屋の中へ入っていく。
大量のプレゼントは事務所の人に無理を言って一部だけ持ち帰らせてもらったらしい。さすがのファンも那月のことをよく分かっているようで、プレゼントは同封してあるもの時には手作りのものや描いてあるものまで、那月の可愛い心をくすぐるものばかりだという。那月はそれを見るのがいつも楽しみで仕方ないみたいだった。
「あ!ピヨちゃんが描いてある!可愛いなぁ。ねぇ名前ちゃん、これリビングに飾っちゃ……」
『もう飾る場所ないよ』
「そう、ですよね」
しゅんとする那月を見るのは心苦しいけど、放っておくと“可愛いもの”が溢れて酷いことになるという翔ちゃんからの再三の教えを忘れてなんていない。切り替えの早い那月はすぐに別のプレゼントの開封に取り掛かっているようで、私が深く心配する必要はないのかもしれない。
「ねぇ名前ちゃん」
『……』
「名前ちゃん、どうかしたんですか?」
『えっなに!っあ!』
ガシャン
「名前ちゃん!」
ソファーに座っていた那月が急いで駆けつけてくる。ふと真下、キッチンの洗い場を見ると落としてしまったマグカップは砕けずに転がっていた。かわりに……
『なっちゃん……ごめん、大切にしてたピヨちゃんのお皿が』
「名前ちゃんは触っちゃダメです!そんなのいいから。それよりあなたは怪我してない?見せて」
『上にカップ落としちゃったの』
泡だらけの手を那月がぎゅっと握る。洗剤の独特な匂いが鼻腔を掠めて、気持ち悪い。ぬめぬめとした私の手を握る那月はもっと気持ち悪いだろうなと思うのに、那月があまりに強く手を握るから手を離すことができない。
『那月、とりあえず手洗おう』
「あ、ごめんなさい」
私が手を洗う間も那月はずっと私の手に手を添えたままで、タオルで拭くときには割れ物を扱うかのようにそっと包み込んで拭いてくれた。
『あの、那月。ホントにごめんね』
「いいんです。それよりあなたの手に傷がつかなかったことの方に安心した」
良いわけがなかった。
あのお皿をもらうために那月がそんなに好きではないコンビニのパン、しかもアイドルの大敵である高カロリーパンを毎日一生懸命食べてたんだって私は知ってる。
それをぼんやり考え事をしていた私があっさり割ってしまうなんて。
「あのお皿もらった時のことは今でもよく覚えてるよ。はじめは僕1人でパンを食べていたんだけどなかなか40枚集めるのはしんどくて。途中から名前ちゃんが一緒になって頑張ったんだよね。期限の1日前、ギリギリにコンビニに駆け込んで店員さんに驚いた顔されて笑われたよね」
『そう、お皿を受け取った時には2人して飛び上がって、もらったばかりのお皿落としそうになって店員さんをひやひやさせたりもして』
「お皿は割れちゃったけど、名前ちゃんと一緒に頑張れて楽しかったこの記憶は無くなったりしないよ」
『……那月いいこと言うの上手』
「ふふ、だから名前ちゃんも気にしないでください」
『ありがとう。那月』
泣きそうになる私の頭をよしよしと撫でてくれる那月の手は大きくて温かくて安心する。
そう言うと那月は“雪国生まれだからですよ、きっと”と言って目を細めて微笑んだ。
****
『私ね。那月がどんどん人気者になって離れて行っちゃうのが寂しいなと思ったの、さっき』
きっとそんな風に自分たちの関係を疑うようなことを思った罰だったんだろう。
結局、那月に後ろから抱かれながら2人でプレゼントの開封作業をすることにした。せっかく2人でいられるのに別の場所にいるのはさみしい、と那月が言ったからだ。
『でも、那月がみんなから慕われてこんな風に応援されてるっていうの、やっぱり嬉しい』
一瞬きょとんとした那月が、今度は嬉しそうな顔をして私の肩に顎を乗せる。
「安心していてください。僕はどんなに人気者になってもぜぇったい名前ちゃんら離れませんから」
『ちょっと那月、それじゃあプレゼント開けられないよ』
「あっ名前ちゃん見て見て!なんだろうこれ、大きな包みだなぁ……ぬいぐるみって形でもないですし」
『ほんとだ、包装紙もテディベアで可愛いね。この子那月のことが大好きなんだ』
「ふふっ、なにかなぁ」
包装紙を破らないように2人でそぅっと包みを剥がす。すると中からダンボールでできたような見覚えのある白い箱が出てきた。
『これって……』
「ピヨちゃんのお皿!」
2人して目を見合わせる。思わず抱き合いたいのも抑えてお皿をローテーブルに乗せ、改めてぎゅっと抱き合った。
それは間違いなくついさっき割れてしまったピヨちゃんのお皿と同じものだった。
『こんな奇跡みたいなことってあるんだね』
「きっと神様が見ていてくれたんです!そうだ、今日のお夕飯はこのお皿に乗せましょう」
『でも今日シチューだよ?』
「じゃあサラダを作ろう」
私を抱きかかえたまま那月が立ち上がり慌てて足をばたつかせた。ストンと降ろされ振り返ると頭のてっぺんに、それからおでこにキスをされる。
これからもたくさん思い出を作りましょうね。にっこりと笑った那月につられて私も口元を不器用に歪ませた。
[END]