おとこをおしえて

 私の上司は、人間じゃないと思っていた。絹糸のような黄金の髪、ブルーグレーの透き通る双眸、天を衝くような鼻尖、薄く均等な唇から紡ぎ出される的確な指示。自分と同じ生物と思うにはあまりにも難かった。
「みょうじ。よくやったな」
 以前から目をつけていたホシをあげた。ろくに寝ず、家なんて何日も帰っていない状態が続いていたが、この一言ですべてが報われる。自分には実力も才も頭脳も無いと思っていたが、今回は女をターゲットにした組織犯罪ということもあり、私の潜入が功を奏した。少しでもお役に立てたことに、体が喜びを訴える。
「ありがとう、ございます……降谷さんの、ご指導のお陰です」
 郊外の寂れた駐車場、降谷さんのRXー7の中でぽそりと言った。降谷さんが私を見遣り、柔に笑う。
「たまには自分のことも素直に褒めてやれ」
 自信の無さを盾に、自らを労ったことなんてなかった。それは安易と降谷さんに見抜かれていたのだ。謙遜はしないが、命令口調ながらも優しい言葉をかけてくれるその姿に、彼らしさを感じる。
「……はい」
 じんわりとあたたかく濡れる心の臓を感じながら、噛み締めるように言った。同じ人間とは到底思えない降谷さんのもとで、少しでもお役に立てることが嬉しかった。どれだけ寝ていなくたって、友達みたいにキラキラしたお洒落ができなくたって、降谷さんに仕えることができる喜びに比べれば些細なことだった。
 朝の光が入り込む。日の出だ。もう何日徹夜しただろうか。任務中は夢中で、眠気なんて感じる暇がなかった。やっと安堵して力の抜けた体が、ぼうと靄に包まれていく。
 朝日が降谷さんを照らす。目の下のクマと僅かに生えた無精髭。彼も、人間なのだ。今になって知った。人間だとは到底思えなかった彼も、近くで見ると二十九歳の男なのだ。その紛れもない事実が体に染み渡っていく。
「どうした」
「いや、あの……降谷さんも、生えるんだなって」
 顎のあたりを示して言うと、彼が渇いた声で笑った。降谷さんも私と同じくろくに寝ていない。髭を剃る暇なんて無かったのだろう。あんなに見目麗しい降谷さんでさえ、放置すれば人並みに髭が生えるのだと思うと、なぜだか体がざわめいた。
「ああ……そりゃあ生えるよ、男なんだから」
 みっともないところ見られちゃったな、なんて眉を下げて笑うその男の姿に、女の部分が刺激される。
「……あの」
「ん?」
 口をついて出た声に、降谷さんが返答する。疲れと眠気でいつもよりも優しげなその瞳が、私のざわめく欲望を煽り立てる。
「触っても――」
 勝手に言葉が出ていた。言いかけた言葉を飲み込む。連日の徹夜で頭がおかしくなっていた。降谷さんが横目で私を見る。その瞳はやはり驚きの色を携えていて、羞恥で顔が火照った。俯き、朦朧とした頭のまま謝罪の言葉を口にする。
「す、すみません……忘れて、ください」
 頭を垂れた。ああ、やっぱり睡眠不足は人を狂わせる。一刻も早く帰って、眠らなければ。
「……いいよ」
 思いがけない言葉が降り注いだ。思わず顔を上げる。朝日を背に携えた降谷さんからは、オレンジの色香が漏れ出ていた。
 ぼやけた頭は、考えることを拒む。上司の肌に触れる無礼だとか、自分が放った不躾な言葉だとか、それら全部がどんどんと萎んでいった。代わりに顔を出すのは私の本能の部分。目の前に存在する雄の、けだるい色気に吸い込まれてゆく。
 ごくん――唾を飲み下す。そっと指をのばした。指先に触れるざらざらした感触。かたくちくりとした感覚と、乾いた肌の感覚。眉目秀麗の代名詞とも言えるような降谷零という上司が、一人の男になってゆく。指が犯されて、降谷さんの雄の部分に陶酔する。
「ふ、なに。そんな顔して」
 言われて、顔がだらしなく蕩けてしまっていたことに気が付いた。降谷さんの細められたその瞳に、思いがけず下腹部が疼く。疲労で覇気を持たないその声に、ごろごろとした男の周波数に、なだれ込んでしまいたくなる。
「僕も触っていい?」
 降谷さんが言った。肩が揺れる。空間が熱を持つ。そんな。何を言って。拒みたいのに、上司の肌に触れているという非日常が、それさえもそちら側に引き摺り込む。
「……は――」
 何か言葉を発する前に、降谷さんの指がのびてきた。私の頬を滑るかたい指先。その骨張った感触も、短く切り揃えられた爪も、私とは、全然違う。
「すべすべ」
 感触を確かめるようになぞられる。降谷さんの指に吸い付くように、肌が寄り添っている。
「女の子の肌だ」
 明確な男と女の性差が、こんなところにも存在していた。柔い頬に降谷さんのかたい指が埋もれていく。私の顔なんて片手で覆ってしまえるくらいのその大きな手のひらに、降谷さんに、食べられてしまいたい。
「降谷さんのは……私のと、全然違いますね」
 ちくちくした刺激を指先で感じながら言った。ざらめいた顎も、かたい肌も、すべてが違う。
「はは、男と女の子は全然違うよ」
 降谷さんが喉を鳴らして笑った。三日月型になった瞳の奥に、嗜虐を感じる。ぞくぞくと呼応する体が、ひとりでに言葉を紡ぐ。
「……どう、違いますか」
 騒ぎ立つ女の本能を、男にぶつけた。降谷さんを、恐れ多くも試してしまった。細められた瞼の奥で光る瞳が、大人の時間を作り出す。血の集まった心臓が、煩いほどに音を立てて。視線が絡み合って、じっとりとした湿度が二人の間に流れていく。
「知りたい?」
 ――知りたい。恐怖だとか羞恥だとか、そんなものはとっくに体の熱が塗り替えていた。降谷さんの均等な薄い唇が開く。白い歯が覗いて、赤い口内が見える。その口で、女を、どう食べるのか。
 ゆっくりと首が動き、ひとりでに頷いていた。降谷さんの指が私の顎に移る。そのまま力を込められ、おのずと顔が持ち上げられた。降谷さんの僅かな香水の匂いと、徹夜明けの汗の匂い。すべてが鼻腔に吸い込まれ、降谷さんで満たされる。
 もっと、降谷さんを――知りたい。眼前で私を捉えるそのブルーグレーに、屈してしまいたい。そんな私の願いを見透かすように、降谷さんは口を動かす。
「僕がぜんぶ、教えてあげるよ」
 
 
 

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