Enjoy, a stone-cold fox
厳格なドレスコードをクリアして、素敵な男性とパーティに行く。誰もが一度は夢見るのではないだろうか。私も例に洩れず、そんな非日常に羨望を抱く女の一人であったが、それがこんな形で叶うとは皮肉なものだ。
富裕層の仮面パーティー、そんなフィクションのような非日常が、ここ東京でもある。それだけ聞けば華やかだが、一般人の耳に入らないのには理由があり、実態はテロ組織の違法物取引の場であると読んでいた。煌びやかなアンダーグラウンドは公安のマーク対象になり、不本意ながら私たちはそこへ紛れ込むことになった。こんな形でドレスアップが叶うとは、世の中は皮肉なものである。
艶っぽい黒のドレスに体を滑り込ませた。デコルテが開き、足元は大きくスリットの入ったデザインだったが、それが下品に見えないのはやはり彼のセンスの賜物であり、かなり高価なのは生地や裁縫で分かった。富裕層が集まるパーティに安物は着ていけない。悪目立ちは避ける必要がある。
体に張り付くような作りのせいか、背中のファスナーが上がらない。気持ちを落ち着けようと、先に品の良いアイボリーのヒールに足を入れた。慣れない高さにふらつきながらも、背筋の伸びるその感覚に笑みが溢れる。
「みょうじ、着れたか」
ドアの向こうで声がして、鏡から目線をずらした。磨りガラスの向こうに降谷さんが見える。きっといつもと違う彼を見る心の準備が、私にはできているのだろうか。
「まだ、ファスナーが上がらなくて」
「入っていいか」
どう返事をしようか、固まっているうちにドアが開いた。私たちの距離感を加味してなのか、それとも単にデリカシーが不足しているのか、ちょっと図々しい所も結構、いやかなり好きだ。
扉の先にいた彼は、濃紺のスリーピースのスーツに純白のシャツを覗かせ、シルバーのハウンドトゥースのネクタイを締めていた。ブルーのチーフでさえもセンスの良さを滲ませる。髪型もアップにし、形の良い額が惜しげもなく顕になっている。垂れた目元がいつもよりも際立ち、それにかぶさる凛々しい眉毛が麗しかった。彫りの深い造形も、その出立ちと合わさって男の色香を醸し出す。
見慣れたはずのブルーグレーの瞳が私をじいと見て、彼の視線に陶酔した。革靴の音が、ゆっくりと近づく。その足音さえもしっとりと湿っている気がして、どうしても顔が火照ってしまう。背後に回られて、鏡に自らの姿と降谷さんが映る。
「髪上げて」
言われるがままに、髪を纏めて持ち上げた。肩が見えるドレスだから、紐のあるブラを使えなくてヌーブラをつけている。だから背中には何もなくて、ファスナーの開き切ったそこをありのまま彼に見られていると思うと、咽せそうなほどの熱に襲われた。
彼の指が背中に触れ、ゆっくりとファスナーが上がる。上がるたびにぴったりと生地が体に沿って、くびれも体の形も全部、ドレスに顕れてゆく。
耐えられなくて目を逸らすと、肩に彼の顔が近づいた。柔いものが触れ、そこにキスされたのだと気付く。
「……いい女だ」
私は目を上げて、鏡越しに降谷さんを見る。
「降谷さん、だって」
言いかけて、彼の目が細まったのを見、言葉を止めた。色っぽさはお墨付きだが、髪型や服装がまたそれを増させる。劣情が溢れ出す。
「……いい男だって、自分でわかってる顔」
「そりゃそうだろ。こんなにいい男いないよ」
くっくっと喉で笑う彼が憎らしいのに、事実なのだから仕方ない。自らの魅力を知っている男は、どうしてこんなにもセクシーで格好良いのだろう。優れた男の遺伝子を求めるのは女の性で、それを自覚する雄の色香はやはり私の女の部分を絡め取る。
「否定できないのが悔しいです」
一種の照れ隠しの如く不貞腐れて言ってやると、彼は私の手に触れる。髪を纏めていたその手を柔に撫でられ、力が抜けた先から髪が零れ落ちる。
「いい女は、いい男を愉んでこそ魅力を増すんだ」
降谷さんが、私の髪を慈しみながら言う。シルクの
如く滑らかなその低音に、身体を委ねる。
「……そのいい女、早く捕まえてくれないと売り切れますよ」
どれだけ恋人らしいことをしても、囲ってはくれないその男の、狩猟本能を呼び起こしたくて言った。いい女の周りのいい男は、一人じゃないと言ってやりたい。
「僕にしか捕まらないだろう?」
髪を左に寄せて、今度はうなじにキスされた。その溢れた自信が憎たらしい。まんまと呑まれてしまう自分も悔しい。けれど、私を愉しむいい男も、私が愉しむいい男も、やはりこの人だけなのだ。