乗り越えられるはず。

仕事が終わりさぁ帰るかと意気込んだ矢先
鞄を漁って絶望した。

「げ」

思わず声をあげると、隣のデスクで
帰り支度をしていた奴――観音坂独歩が
こちらを向くのがわかった。

「どうしたんだ恭
まさか、まだ仕事が残ってたのか…?」
さらっとなんて恐ろしいことを言うんだ、
なんて思いつつ 口を開く。
「………定期が無い」
「うわ」
「絶対どっかで落としてるし
財布もねぇ……」
「財布…って、でもお昼ご飯
外食してたよな…?」
問にこくりと頷く。ああ、そうだ。
今日は部長に誘われて外食した。でも

「…あれは部長が奢ってくれるって話で
財布持っていかなかったんだ…
だから鞄確認してない…」
「なんというか…災難だな」
「お前に言われるとますますそんな気がする」

はぁ、と肩を落とし溜息をつく俺に
独歩は目を伏せ、考える素振りをしてから
俺に向き直った。

「帰り賃くらい貸す…って
言いたいんだが」
言いどもる独歩を不思議に思いつつ
続きを待つ。あいつはどこか落ち着かなそうに
視線を彷徨わせていた。ったく、どうしたんだよ?

「続き、言ってくんないのかよ」
聞けば いや、と言って 彷徨っていた
視線が俺へと戻ってくる。そして。
「……き、今日…と、明日…
一緒に住んでる奴が仕事の都合で
帰ってこないんだ…」
同居人――――そういえばいつぞや
会社に来ていたホスト?が独歩の
幼馴染で、かつ一緒に住んでる奴だって
聞いたことがあったな。

「でもそれが俺となんの関係があるんだ?」
思った事を率直に聞く。
だって俺はそいつのこと知らないし
今は定期も金もないって話だ。

「そ、の だから………
恭さえよければ、」
「うん」
「うちに来ないか」
「うん……うん?」
今なんて言ったんだ?

「うちって、独歩んち?」
「あぁ。…急すぎるよな」
「でも俺財布とかなんもないし
独歩んちまでもいけねぇよ?」
「いや、それは出すから問題ない。
それに 俺は定期がある」

話しながらガサゴソと鞄を漁る独歩。
の、手が止まった。

「………あれ?」
「なんだよ、どうした?」
心なしか顔が青くなってる気がして
首を傾げていると 露骨に落ち込んだ顔が
向けられた。

「…俺も定期無くしたっぽい」

「「……………」」

えっ、

「そんなことあるか………?」

つぶやいて 目が点になる。
次第に腹からこみ上げてくるものがあって
段々とこらえ切れなくなっていく。
だ、駄目だ あり得なさすぎて…!!
「くっ、ははは ははははは!!
二人して無くすとか!!マジないな!!はは!」
「そんなに笑うなよ」
「だ、だって…!!ははっ
俺らついてなさすぎだろ、」
「俺は無くしただけだからなんともない。
恭の方が深刻だろ?
財布も忘れてるんだから」

返す言葉もない正論に、笑いすぎて出た
涙を拭いながら「そうだな」と返す。
とりあえず、まぁ――――

「…独歩んち、いってもい?」

お言葉に甘えて、ってやつだ。
どのみち独歩からお金を借りることに
なってしまうだろうし 家まで帰るも
言葉に甘えるも大差ない気がして。

…なにより。

「なぁ、独歩
家に誘ってくれるってことはさ…
こういうことシてもいいんだよな、?」
少し近付いて キスをする寸前まで
顔を近付ける。

「ばっ、ここは会社だぞ…!
見られたらどうするんだよっ」
「皆もう帰ってるって。
で?いいの?駄目なの?
久々に誘ってくれたんだと思ったのに」

唇を尖らせながら骨ばった手に
手を重ねて指を絡めあわせる。
至近距離で交わる視線はどちらも
柔らかな熱を帯びていて 互いを
欲していることが伝わってくる。

俺とこいつは いつからか
同僚という線引きを超えて それ以上の
関係になっていた。

―――だけどお互い仕事で疲れてくたくたな
アラサー男性。休日に会ってもだらだらと
くっちゃべったり 仕事終わりは直帰が多く
よくても飯に行くかどうか、
家に行くにもあいつの同居人と気まずい気がして
ズルズル行けず。付き合っているにしては
寂しい日々を過ごしていた。

「なぁ、独歩 嫌なのか?」
沈黙を保つあいつに 少しだけ
年甲斐もなく甘えるように言ってみると
一瞬視線を逸した後に「まさか」と
小さく呟かれる。
それは弱々しくも 確かな肯定で
一気に頬が暖かくなって緩みきる。

「じゃあ帰ろ おまえんち」
言えば互いに笑いあって ああ、
散々な日だけど幸せだなんて
感じずにはいられない。
仕事の疲れだって飛びそうだ。

「ああ、帰ろう――――あ、」
「うん?」
突如上げられた声に首を傾げると
再び鞄をあさりだした独歩に
はてなが浮かぶ。

「帰り賃はあると思う、けど」
「けど……?」
「………財布が 見当たらない」
「………はい?」

顔面蒼白になっていく独歩。
ううん?

「見落としとかじゃないのか?」
「定期探してるときも見当たらなくて
奥に隠れてるだけかと思ったんだ。
でも やっぱり見当たらない…
昼飯食べた時に飲食店に置き忘れたか、」
「落としたか、ってこと…?」
可能性としてあげると ただでさえ
青白くなってた顔が更に色を失った気がする。

「とりあえず 連絡してみるしかないだろ、
その飲食店の連絡先はわかるか?」
「わかりはする。でももう閉店時間を
すぎてるんだよな…あぁ…俺がうっかりしたせいで
結局恭の事も助けれそうにはない」
あからさまに肩を落とす独歩に
苦笑が漏れる。元はといえば俺が定期無くした上
財布忘れたのが悪いのにな。

「独歩」
声をかけると、沈んでいた顔があげられる。
「とりあえず、店には明日電話してみよう
落ちたんだったら交番にあるかもだし
帰りに交番に寄ってみよう。
んで、家には徒歩で帰る!それでいいか…?」
「徒歩って…数駅はある 大丈夫なのか」

心配気な様子でこちらを伺うあいつに
強く頷いてみせた。
「お前とだったら大丈夫
いくらでも歩けるよ」

(…好きな奴と長くいられることに
変わりはないしな)

「恭…すまない」
「っは、なんで独歩が謝るんだよ
元は俺がなくしたり忘れたせいだし
大丈夫大丈夫」
そう言って笑うと 一旦独歩から離れて
自分の鞄を手に取った。

「にしても、二人してあれこれ無くすとか
ほんと俺らついてないな!」
「あぁ。でも 恭が言ってたみたいに
…恭とだったら 乗り越えられる気がする」

そんな他愛のない話をしながら
肩を並べて歩く夜道は 先は長いけれど
凄く楽しくて 愛おしいとそう思えた。

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