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「なぁー、頼むから服装どうにかしろってぇー」

朝のショート・ホーム・ルーム。
蟹江はとある男子高校で教鞭を執っている。教科は古文。歳は26。前任の古文教師は歳を理由に退職し、空いた枠に都合よく転がり込めたのだ。しかしクラスを担うには経験が不足し過ぎているが、理由は任されてから秒で理解した。
担当クラスが荒れに荒れている。
新任教師が教室に入ってきても一向に見向きもしない。向いていたとしたら、それは敵意のみ。頭髪の色や形は生徒の数だけ。スマホから音楽を垂れ流し、それをBGMに各々好き勝手に騒いでいる。椅子に座るよりかは机や床に尻をつけているし、菓子や炭酸飲料のゴミが散乱している。室内に簡易のバスケゴールが取り付けられて、ボールがあちこちから飛んできている。そもそも出席より欠席者の方が多いとはどういう事だ。

(・・・押し付けられたな)

ヒクリと、浮かべた笑顔が強張った。
張り切って着てきたスーツが馬鹿馬鹿しい。

蟹江は熱血でもなければ非情でもない。説き伏せたり切り捨てたり、説教したり殴り飛ばしたりなんてしない。押さえ付けるから反発し、突き放すからやさぐれる。そんな生徒達に、蟹江という教師はちょうど良かった。
学校内では一番若い教師なだけあって、生徒達の学校に対する不満も「解るわ〜、そりゃムカつくわ〜」なんて同調し、思春期特有の悩みや葛藤も「青春だなぁ〜」なんて重くも軽くも受け取らず、答えはでなくても納得いくまで話を聞いてくれた。
牙を剥いて熱くなる気すら起きやしない。
着任して二ヶ月。いまだ成績も出席も最下位クラスだが、「カニちゃん」と親しく呼ばれる程には上手くいっている。


「お前ら気付いてないかもしんねぇけどな、制服ってアレンジし過ぎると逆にダセェからな」
「うわ〜、ひでぇ〜!」
「カニちゃん、本音は〜?」
「生徒指導の先生からお前らの皺寄せ全部くるんだよぉ!蟹江先生の生徒はどうなってるんですかねって俺が怒られるんだよぉ〜!」
「かわいそ〜!」
「ごめんね〜!」
「そう思ってんならボタンしめてズボンを上げろ!ピアスも外してスマホを弄るな!見ろ!聖沢を!シンプル・イズ・ベスト!これだよこれ!」

指をさしたのは申し訳ないが、蟹江は教室の窓際一番奥に人差し指を向けた。このクラスにしては珍しく寡黙な生徒で、マスクに黒髪を下ろしただけの身なりの男は気にすることなくペコリと大人しく頭を下げる。
砂漠のオアシス的な存在で、クラスの成績をたった一人で上げている模範生の様な男、聖沢は着任して三日目に登校してきた人物だ。
幸い特徴がありまくる生徒達なので、受け持ちの生徒の名前と顔はすぐに覚えれた。SHRにて僅かな出席をとっている最中に遅れてやってきた生徒は、黒い髪に黒いネックウォーマーを鼻先まで上げた出立ちで、教室に入って直ぐに初めて見る担任に驚いたように目を見開いていた。それから見下ろすように黙視する。対して蟹江も初めて見る生徒に注視した。室内のネックウォーマーは指摘対象だが、このクラスだと可愛いものだ。

「ん?初めて見る顔だな?遅刻だけど、まぁいいや。お前名前は?」
「・・・聖沢」
「えーと、ひ、ひ、ひ・・・あぁ、あった。聖沢ね。よし、覚えた。お前背ぇ高いなぁ。担任見下すなよ」
「担任?」
「そ。担任の蟹江。よろしく。ほら、いつまでも突っ立ってないで早く席つけー」

出席簿の聖沢の欄に初めて印をつけてから背中をバシンと叩いて着席を促すと、クラスが一瞬どよめいた。が、普段から騒がしい生徒ばかりなので蟹江は気にせずに残りの出席を取り始める。

「おいおい、カニちゃん。聖沢君、俺らのボスよ?」
「そんな素っ気ない態度とっていーの?」
「ボス?あぁ、学級委員?このクラスにもそんなんいたんだな、助かるわ〜」

誰かが「うわぁ」とぼやいたが、蟹江は今週末に絶対に提出するプリントの念押しに一生懸命だった。
そして実際、助かっている。
聖沢が各席を回れば提出必須のプリントの回収率は上がったし、聖沢が号令をかけるとダラダラしているが、とりあえず形になる行動をとるようになった。
ゴミはゴミ箱に、チャイムがなったら着席を、先生が話してる時はお喋りしない。なんて幼稚園児でも守れる約束に、スマホはせめて教師の目につかない時にを付け足して、彼らは一応守っているようだ。目下の目標は、ゴミを資源別に捨てれるようにするである。


「聖沢って何でこのクラスなの?」

放課後の教室で、何故か教頭から複数枚渡された薬物撲滅ポスターを蟹江が憤慨しながら貼り付けているのを聖沢が手伝ってくれている。他の生徒はチャイムと同時に退出済みだ。
態度もいいし、身なりも学力もまともな聖沢。荒れたクラスには浮いている存在で、普通クラスで充分やっていける逸材である。

「・・・出席率が、悪いので」

歯切れ悪く言った聖沢が自身のマスクへ触れた。初登校して次の日からずっとしているマスクを不思議に思っていたが、もしかしてどこか悪いのか。体の不調があるなら担任としては把握しておかねばならない。ネックウォーマーは単純に寒かったのか、風邪を引いていたのか、他にあるのか。けれど蟹江をこのクラスに押し付けた校長は「活気溢れる健康優良児ばかりです」と言っていたので、持病を抱えているとかではないのかもしれない。学校側がそれを隠す必要はないのだから。

(態度に難ありってのは隠されてたけどな)

初めて担当クラスに足を踏み入れた日を思い返して、気持ちが少し廃れていく。

「でも、先生のお陰で今は毎日学校へ通えていますから」
「そーなの?何かしたかな?」
「ええ、まあ、はい。ありがとうございます。蟹江先生」

覗くまつげの長い目元が優しく弧を画いた。
蟹江先生。
ふに、と頬を緩ませた蟹江に、聖沢も緩やかに微笑んだ。この呼称をする生徒は聖沢だけだ。カニちゃんも悪くはないが、やはり先生と呼ばれて慕われるのは夢である。いつかはあの手の掛かる連中にも「蟹江先生」と呼ばれたいものだ。今はまだ、先生というよりお兄さん的存在だろう。

「あいつらに俺の愛情が伝わればなぁ」
「・・・はい?」
「ひとり言〜」

画鋲の入ったケースをパチンと閉めて、事務用品を入れた引き出しにしまう蟹江の後ろ姿を、聖沢は唖然と見ていた。



「おはようございます。蟹江先生」
「ふぁ、おはよー、聖沢」
「寝不足ですか?」
「そーだ。近々小テストやるからな〜」

校門を潜る手前に聖沢に声をかけられた。
隣に立つ聖沢は蟹江より背が高く、今日もマスク姿だ。

「蟹江先生、今日は──」
「ん、あーっ!こら!ニケツ禁止だ馬鹿!」

何かを話そうとした聖沢の後ろに目を奪われた蟹江は、その言葉を遮断した。担当クラスの生徒が堂々と二人乗りして登校してきたからだ。しかも朝の生徒で賑わう学校敷地内。

「カニちゃん、おっはー!」
「駐輪所すぐそこだからー見逃してー!」
「なら押してけ!危ねっ!前見ろ前!」

ふらふら運転しながらバランスを崩す自転車を追いかけるべく、蟹江は慌てて駆けていく。
声をかける間もなく走っていく姿をずっと眺めていた聖沢はマスクを引き下げ、ふっと息をついた。

「・・・つまんね」



蟹江の担当する古文と言うのは受けが悪い。
物語が好きな生徒や歴史が好きな生徒は聞いてくれるが、大抵の生徒は過去の文学を無駄だ、難しい、そもそもつまらないと言って興味を持たない。

(うーん、どうしたもんかなぁ)

教科担当は一年と二年の一部クラス。自分のクラスの担任としても頭を痛めるが、教科担任としても悩む日々だ。
うんうん考えながら廊下を歩いていると、悩みの種が目の前を歩いている。受け持ちクラスの生徒がダルダルの腰パン姿でだらしなく歩いている。
蟹江は歩みを早め、後ろから首根っこを捕まえた。

「わ、あ?カニちゃん?」
「お前まぁた腰パンして!パンツ見えてんぞ!何だ、ピンクのキティーて」

捕まった生徒は驚きこそすれ、反省なんて言葉を学ばないようでヘラヘラしている。

「え〜可愛くない?」
「可愛くない!キティーが不憫だ!彼女からのプレゼントでも無いくせに!」
「カ、カニちゃん、心えぐるね・・・」
「そういうのは彼女持ちがネタとして履くもんだろ?あとズボン下げすぎて普通に足短く見えてダセェよ。お前猫背もなおしてさぁ、もっともシャキッとしたらかっこいいのに。もったいね」
「カニちゃんだって毎日ジャージじゃん」
「お前ら相手に洒落っ気だす必要はない。ったく。5才の甥っ子の方がお着替え上手だわ。おら、ちょっと来い」
「わ、カニちゃんえっち〜!」

邪魔にならないように人気のない壁際へ生徒を引っ張り、その前にしゃがみ込んで腰骨辺りで締めているベルトのバックルを金属音を響かせながら緩めていく。ピンクのキティーが本当に不憫でしかたがない。この生地は可愛い女の子の用品へ使うべきだっただろうに。

「・・・何してるんですか?」

はたと、キティーへの同情から我にかえるほどの冷めきった声がした。げっ、と上から声がして、あぁ、そうだ、こいつの身なりを整えないとと蟹江がしゃがんだまま顔を上げれば、腰パン生徒は前を見て固まっていた。その視線をたどり振り返れば、先の声の主が冷めた声と同じく、冷めきった目を向けていた。
よくよく見るとそれは、マスクを顎にかけた、聖沢だった。

「ひ、聖沢君!違うからね?これは、ねぇ、カニちゃん!?」
「何って、愛ある生徒指導だ。なあ?」
「だああっ!カ、カニちゃん!解ったから!もうしないから!めっちゃハイウエストにするから!」
「ん?」

自分でズボンを上げて走り去った生徒に、蟹江はぽかんと置いてきぼりを食らってしまった。なんだよとぼやきながらようやく立ち上がった蟹江の肩を、聖沢が掴んで無理矢理振り向かせる。

「うわ、どした?」
「・・・」

その雑な行動にも驚いたが、初めて見る聖沢の容姿の方に目を奪われた。アーモンド型の目が綺麗だとは常々思っていたが、通った鼻筋も、形いい唇も、シャープな顎も、造形ひとつひとつが綺麗な男で、唇のピアスも似合って・・・ん?
蟹江の眉間にシワがよった。
その反応に満足したのか、口角を上げた聖沢が黒髪を耳にかけると、現れたたくさんのピアスホールにぎょっとする。

「はぁっ!?えぇっ!?反抗期!?」
「いや?センセー困らせたくなかったから、大人しくしてただけ」

という事は、この素行悪そうにニヤリと笑う姿が本性なのだろうか。
そんな、オアシスが、模範生が・・・!
蟹江は様子が180度変わった聖沢に固まって、ようやく気付いた。

(クラスのボスって、聖沢が不良の頭ってことかよっ!)

そりゃプリント回収率も号令による態度向上も納得だ。
かったるそうにネクタイを緩めてボタンも外していく聖沢は、仕上げとばかりに髪をかき上げた。壁際に追い詰めた蟹江の背後に手をついて顔を覗き込む。

「初めてセンセーに会った日さ、面白いのが来たって連絡受けたから見に来ただけだったんだよね。学校なんてダルいだけだし、すぐ帰るつもりだったんだけど」
「ひ、聖沢、出席日数が少ないのは、体調が悪いとかじゃ?マスクは?」
「いや?ただのサボり。マスクはほら、色々隠すもんあるし?」

ペロリと唇を舐めた舌先に、小さなシルバーが光って見えた。

「いい子にしてんのに、センセーあいつ等ばっか構うから」

それが蟹江の耳に近づき、そっと囁く。


「いい子にすんの、もうやめた」



おわり

小話 99:2018/09/18

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