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「気付いてたと思うけど、私達やっぱり合わないかなって。だから・・・さようなら」

パタパタと足音を立てて走り去った後ろ姿を呆然と見送っていた日名は、その姿が完全に視界から消えて、ひとけのない放課後の廊下の静けさに、ようやく我に返った。

(いや、全っ然気付いてなかったけど!)
(え、今フラれたの?え?)
(さようならっておんなじクラスですけど!?)

ポンポンと沸いてくる疑問と焦りと怒りに目眩がした。
そこまで入れ込んでいた彼女ではなかったけど、付き合って一月、他の女生徒よりは意識して、クラスメイトや友達のカテゴリーにも属さない特別な存在にはなっていた。
明日からは元カノだろうか、友達だろうか、クラスメイトだろうか。

(意味がわからん)

元はといえば、彼女の方から告白してきたのだ。台詞は今でも覚えている。

「日名君なら、いいかなって」

・・・おや、随分上からな物言いだったなと今さら気付いた。
やけに元気のない姿に声を掛けると、彼女が別の高校に通う彼氏に二股をかけられていたと溢したのだ。あんまり時間があわなかったし、デートも少なかったし、連絡も自分からだったから、嫌な予感はしていたのだと。しかもそれをポロポロ泣きながら言ったので、日名は焦った。まさか痴情のもつれ話の末に泣かれるなんて思ってもみなかったからだ。
だから自分の持てる限りのボキャブラリーとテンションで彼女を慰め、励まし、泣き顔から笑顔に変えた時はどっと疲労が蓄積したが、一仕事終えたような達成感もあった。
それから後日、彼女に「彼と別れたんだけど」と告げられた時には(ああ、そう言えば)と思いきり他人事のように「へぇ」と返し、続けて少し照れくさそうに自分と付き合うような旨を告げられた時は、驚いて「へぇ?」と素っ頓狂な声を出したものだ。
そこから彼女のペースに振り回されるように付き合って、別れて、今現在。最後まで振り回されたが、破局した事への悲しみだけは沸かなかった。

(俺もそう好きじゃなかったって事か)

もしかしたら彼女にその気持ちが伝わってしまっていたのかもしれない。元カレ同様、不誠実だったなと心で詫びて、感じた違和感に日名は顔を上げた。
いつの間にか目の前に、一人の背の高い男子生徒が立っていた。この男を日名は知っている。サッカー部のゴールキーパーで、三年を押し退けて主将になった二年生、つまり後輩である荻原は、よく大会ごとに代表として表彰されているので校内じゃ有名人だ。

「日名先輩」

名前を呼ばれて更に驚いた。
日名は帰宅部だし、二年と関わりなんてない。有名人が一体なんだと目を丸くすれば、荻原は焼けた肌を少し赤くして、真面目に言った。

「俺と付き合ってください」




元カノとの今後の接し方を考えていたのに、考えるのは彼、荻原の事だ。
何のつもりであんな事を。
鞄を抱えながら翌朝に教室に入るが、本当に抱えたいのは頭の方だ。あの後、固まってしまった日名に部活があるのでと一礼して、あっさり踵を返した広い背中の荻原に、もしかして悪戯か罰ゲームかと考え過ったが、それを読み取ったように荻原は振り返る。

「本気です」
射抜くような眼差しに、日名の考えは砕かれた。


「おはよう、日名君」
「あ〜、おはよ〜」

掛けられた挨拶を適当に返したところで、今のは誰だったかとハッとした。昨日別れた彼女が、ぽけっとした顔を浮かべているではないか。しまった。昨日の今日で態度が悪かったかと焦ったが、すっかりそれどころじゃなかった。日名は彼女の扱い方よりも、荻原の方に手一杯だったのだから。

「日名先輩、おはようございます」
「おぎっ!!」

そしてその荻原が、悠然とした態度で日名の教室に入ってきたのだから血の気がひいた。
クラスメイトのサッカー部連中に「どしたの」「何しに来たの」と不思議がられているが、そっちには軽く頭を下げるだけで、真っ直ぐに日名を目指し来るではないか。
今すぐ逃げ出したくなった日名の制服を、元カノで立ち位置微妙な彼女が引っ張った。

「・・・日名君って、荻原君と仲良かったの?」
「え?」
「そんなこと、全然知らなかったよ。ずるいなぁ」

ずるい?
何がずるいんだと聞こうにも、そうこうしてる間に荻原がこっちにやって来た。どうしようかとアワアワしていると、なぜか元彼女の方が荻原に向き直る。荻原を前にしているのに、今だけは彼女の手が自分から離れたことにホッとした。

「荻原君だよね、どうしたの?」

にこっと人好きそうな笑みで話しかけると、荻原はちらりとそっちを見てくれた。そしてすぐに破顔する。

「あぁ、おはようございます、先輩。知ってますよ。俺、あなたの事」
「え?」

ポッと彼女の頬が赤くなる。
なんだ、俺の前で元彼女を口説いているのか。全くもって構わないから、俺はこの場を離れていいのだろうか。いいんだろうなと結論付けて、日名がソロリと一歩後退すれば、長い腕が伸びて日名の手首をガシリと掴んだ。さすが我がサッカー部のキーパー様。機敏な動きである。じゃなくて。

「えっ、な、何?」
「先輩、今日一緒に帰りましょう」
「なんで!?」
「今日グラウンド整備で部活無いんです。こんな日滅多にないから、ね、そうしましょう」

勝手に指切りげんまんされて、小指の太さが全然違うことに気を取られていると、荻原はしっかり切った指を離して「それじゃあ放課後また来ます」と帰ってしまった。なんと。いつの間にそんな約束を。小指を立てたまま呆然としている日名を、元彼女が見やる。

「日名君、やっぱり仲いいんだ?」
「うーん?」
「荻原君、どうして私の事知ってるの?私の事、なにか話してた?」

キラキラした目で見てくる元彼女に「知らない」と正直に返せば、明らかにムスッと顔をしかめて席についてしまった。何か気に障っただろうかと心配したが、日名は今、荻原だ。荻原よ。お前はいったい何を考えているのだと気がそっちに向いている。


「別れた翌日なのに、日名先輩が自分の事気にしてないのが面白くなかったんじゃないっすか?」
「ん?」

結局、放課後に迎えに来た荻原に捕まり、昨日の今日で警戒していたがファーストフード店でただただ普通にお喋りしている。そこで今朝の元彼女の様子を話してみれば、興味なさげに答えを出された。そんなことないだろう。だって別れを切り出したのは向こうだったし、そんな日名の気を確かめるような事をしてなんになるのだろうか。

「ってか、荻原の事気にしてるっぽかったけど?」
「え?先輩、もしかしてヤキモチやいてます?」
「どうしてそうなるの?」

お互いに首をかしげるが、荻原は嬉しそうに、日名は不可解そうにと顔色は正反対だ。
本当は「なんで告白なんてしてきたの」と聞きたいところだが、そこから迫られたり返事を求められたりしても答えなんて出てきやしない。

普段は年下で部活も違い、委員会も被らない荻原の事を「なんか有名な人」としか見ていなかった。壇上で表彰される時なんかは女子から黄色い声が上がるくらいには、ミーハーだろうがファンもいる。日名の元彼女のずるい発言も、今思えば「有名人と仲がいいってことを隠していたなんて」みたいな事だろう。どうでもいいけど。

「やー、でも俺、一回日名先輩とちゃんと話してみたくて、今日本当に夢みたいです」

そんな有名人が年相応にあどけなく笑っているので、日名の警戒心もつい薄くなる。我ながら流されやすく、ちょろい性格だと自負はしているらしい。

「安い現実だけどね」
「そんなこと」

ブンブンと首を振ると、荻原はドリンクを一気に飲み干し氷も噛み砕いた。あちぃ、と呟き襟元に風を送る辺り、本当に日名に緊張しているらしい。昨日の発言を言いのけた真面目な表情の持ち主とは全然違う。

(うーん?)

日名も残りのドリンクを静かに飲み干した。

「ああ、あの、良かったら連絡先聞いてもいいですか?」
「うん。俺返信とか遅いけど、既読スルーに悪気はないから気にしないでね」
「や、俺も日曜とかも遅くまで部活だし、帰ったら飯食ってすぐ寝る生活だから大丈夫っす」

それってお互いに連絡先を知る必要があるのだろうか。
と思ったが、連絡先を登録した荻原がスマホを熱心に見ているから、どうやらそれは野暮な質問のようだ。


「帰ります?先輩、バス?電車?」
「えーっと、この時間ならバス──」

時刻が七時を過ぎた頃、店を出て後輩に気を使われている日名がバス停の方を視線で探すと、荻原の大きな手が視界を塞いだ。手がでかすぎる。

「え、なに?」

振り向くとそのまま肩を抱かれてグリンと回れ右をさせられた。強引に大通りから外れた道に連れて行かれそうになったので、日名は慌てた。
え、まさか帰さないとか、まさかそんな?
なんて動揺しながら荻原を仰ぎ見れば、彼は険しい顔をして先程の、日名が捉えようとしていたバス停の方を睨み付けていた。
なんだ、と荻原の腕を押し上げて振り返ると、頭上から「あっ」と声がした。

「・・・んん?」

荻原の見ていた方に、日名は目を細めた。
そこにいた手を握ってピッタリ寄り添っている制服姿の男女はどうみてもカップルで、その女の子の方はクラスメイトの元彼女で、男の方は以前彼女が自分に相談してきた別の高校に通っているという彼氏と同じ高校の制服で。

「・・・別れてなかったんだ」

余程の馬鹿でない限り、気付かないことはないだろう。
日名と彼氏と同時に付き合ってみて、自分にとって都合の良さそうな方を振るいにかけようとか、腹いせに自分も二股かけてやろうとか、そういう事だろうか。何にせよ、二股を掛けられようとも彼女にとっては向こうの方が良かったっていうアンサーだ。
そうすると、日名の気を確かめようとしたり、荻原のことを気にかけたりしていた彼女の行動にも合点がいった。荻原の言った通り、日名を使って自分の魅力を確かめたり、あわよくば荻原に乗り替えたいとか、そんな彼女のプライドの高さや強かさが浮き彫りになってくる。
苛立ちや呆れを通り越し、いっそ哀れだ。

「日名先輩・・・」

呼ばれてから自分がいかにそっちに気をとられていたのか気が付いた。でもそれは、珍獣を目の当たりにしたような不思議な気持ちで、未練などでは一切ない。狐につままれた様なものだったと我に返って荻原に振り向けば、日名は現実に心底驚いた。
荻原が、はらはらと涙を流し、泣いている。

「え、え、何で荻原泣いてんの!?」
「日名先輩、あの人と付き合いだしたみたいだから、俺、迷惑ならないように、もう何も言わないでおこうって、決めてたんです」
「うん?」
「でも、あの日、たまたま日名先輩の別れ話、聞いてしまって」

荻原の言葉がいまいち掴めず、とりあえず頬を伝っている涙に制服の袖を当ててやる。しかし荻原は涙を目に溜めながら、その手を取って握り、眉間にシワを寄せて真っ直ぐに日名を至近距離で見つめてくるので、ついそのまま固まってしまった。

「知ってました、俺。あいつが先輩と別の奴に二股かけてんの。部活、帰りが遅いから、夜、駅で、他の男と一緒にいんの、何回か見てました。っ、なのに、あいつ、その事言わねぇで、謝らねぇで、一方的に先輩振って、他の男の方に行って・・・っ、腹立って、だから」
「だから、俺に告白したんだ?」
「すんません。言わないつもりでした。男だし、迷惑だって、承知してます。でも、あんな女に取られた事も、不条理に振られた事も、俺、悔しくてっ。俺なら、先輩の事、大事にするのにって、あんな女早く忘れて、俺にって・・・っ!」

言い終わると、荻原は悔しそうに歯を食いしばって嗚咽を飲み込もうと必死に耐えていた。
ああ、今、あれを見せないようにしてくれたのかとようやく日名は理解した。そして唐突な昨日の告白の理由も、急激な距離の詰め方も、今朝、彼女の事を知っていると言った事も。

「そっか・・・荻原が泣くことないけど、ありがとう。俺、別に傷付いたりとかしてないし、付き合ってたけど何もなかったし、正直好きじゃなかったし・・・今思えば完全に流されて付き合ってただけって感じで・・・はは、俺も俺で最低だな」
「日名先輩は、優しいだけです」

はっ、と短く息を吐いた荻原は、いまだ日名の手を握っている。暖かくて大きな頼り甲斐のある手だ。

「・・・去年、コートに忘れてたサッカーボール取りに戻ったら、先輩がボールを持ってジッとしてて、どうすんのかなって見てたら、ゴールに向かって蹴ったけど空振って転けてて」
「へっ!あれ見てたの!?」
「片付けは一年の仕事だし、あの日の倉庫番は俺でしたから。まあ、可愛い人だなって」
「お、おお・・・」

醜態を見られたことの恥じらいと、急に可愛いなんて言われた手前、日名は羞恥から目が泳いだ。距離をとりたいが、手は掴まれているので離れられない。
そんな気持ちを察したのか、荻原の手が余計に力を込めてきた。

「ぼんやりしてるし、流されがちっぽいけど、誰を責めたりしないで、可愛くて、優しい人だなって、ずっと見てました」

思えばそれは、前の彼女の告白よりも、しっかりと日名という人間を見ている証言でもあった。そんなこと、過去にも言われたことだって一度もないし、日名自身もそう思った事はない。彼女が出来た時だって、急なこともありトキメキなんてものは感じなかった。
が、今はどうだ。二十四時間誰を考えていた?振られたことより何に気をとられた?元カノの実態を目の当たりにしても、なぜショックを受けなかった?

「困ったな」
「・・・すみませ──」
「荻原に告られてから今の今まで、俺、荻原の事で頭がいっぱいだ」

だって普通は「男なんて」「ふざけるな」とか一蹴するものだろう。自分でも信じられないと笑えば、荻原は目を丸くして、また歯を食いしばって何かに耐えるようにうつ向いてしまったが、握られた手は微かに震えていた。

「昨日の返事を今していいかな?」



おわり



攻めをぐずぐずに泣かすんが好き〜〜。

小話 97:2018/09/01

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