95



「お兄様はポンコツ過ぎです」

敷地内の庭園に設置してあるテーブルには紅茶と軽食が広がっている。艶のある緑の葉と、季節色とりどりの花に、薔薇のアーチ。手入れの行き届いた植木の刈り込みに、屋敷の裏には果実もなっている贅沢な庭だ。
そんな中。メイドが淹れてくれた飴色の紅茶に口をつけ、ブロンドの巻き髪を青いリボンでまとめた少女は、同じくブロンド髪の向かい合って座る青年にピシャリといった。

「かの領地の子女との結婚話、失敗に終わったらしいですわね」
「・・・一体、誰がアイリーにそんな話を・・・母さんか」
「屋敷の者なら皆存じておりますわ」
「・・・あ、そう」

十二歳の少女にしては大人びて堂々とした口振りだが、そういう教育が幼い頃から徹底された身分なのだから仕方がない。
妹・アイリーの容赦ない台詞に、兄・アイビスは頭を痛めた。これからの社会、女性も弁がたち発言権を持つのは良き事だと思ってはいるが、まだ十二の歳の、しかも妹となると、胃まで痛くなってくる。

「まあ、その話はどうでもいいんだ」
「よくありませんわ。大事な話じゃありませんか」
「しっかりしてるなぁ。僕よりほら、アイリーこそどうなんだ?仲良くやっているかい?」

微笑み返せば、アイリーの頬がポッと薔薇色に染まった。彼女には二つ上の産まれながらの許嫁がいて、会えない日が続こうとも仲の良さは変わりなく、よく手紙のやり取りをしているのを知っている。アイリーは隠しているようだが、メイドから手紙をこっそり受け取った日は一日中部屋に籠り、その日の晩餐は機嫌の良さを丸出しにしているから丸わかりなのだ。

「わ、私のことは、別に・・・あ!ロズ!ロズー!」

もじもじとし出したアイリーが、話をそらすように遠くに手を振った。つられてアイビスもそっちを見やると、麦わら帽子を被ったロズと呼ばれた若い庭師が手を振りかえしていた。片手に盆を持ち、そばかすのある頬に笑みを浮かべながら近付いてくる。

「そんなに大きな声を出さなくても。お待ちになれなかったのですか?」
「ち、違うわよ!」
「ではキッチンに返してきましょうか?」
「もう!いじわる!」

頬を膨らませたアイリーに、ロズが笑いながらテーブルに置いた盆には、ロズ自身が育てたハーブを練り込んだ焼き菓子が乗せてあった。香り高く、苦味やえぐ味のないそれは、アイビスはもちろん、アイリーのお気に入りだ。いくら装飾品や振る舞いでレディを気取っても、所詮はまだ子供なのだから食い気を恥じることはないのにと、アイビスとロズはこっそり目配せをして小さく笑った。
さっそくクッキーに手を伸ばしているアイリーを、実の妹のように微笑ましく見ているロズに気付かれないよう、アイビスは離れた場所で控えているメイドにさっと片手をあげて合図を送る。すぐにもう一脚の椅子が運ばれ、陶器のティーカップに紅茶が注がれる。

「さあ、ロズも一休みしようじゃないか」
「え、いや、私はまだ・・・」
「いいじゃない、ロズ。お兄様のポンコツ具合を聞いてちょうだい」
「僕を助けると思って側にいてくれ、ロズ」

屋敷の主人であり、揃いの宝石のような青い瞳を持つ二人にみつめられては、ただの庭師は頷くしかない。ロズが被ったままの麦わら帽子のつばを押し上げると、顎紐で繋がったそれは後頭部へするりと落ちた。赤茶色の髪が、日光の下で紅茶のように輝いている。ロズは二人のような髪こそ美しいとよく言うが、アイビスはロズの髪こそ世界で一番美しく、なんならそばかすだって愛らしく思っているし、ついでに庭仕事で荒れた指先だって毎日口付けたいくらいには惚れ込んでいるのだ。

つまり、アイビスの縁談がうまくいかない原因はここにある。

「アイビス様のポンコツ具合とは、破談のお話ですか?」

ドストレートに想い人から話題を振られ、アイビスは危うく紅茶を噴きかけた。少し口から零れたのを慌てて拭った姿を見る妹の目が、なんと冷たいことか。

「ロ、ロズ!なんでっ・・・ああ、屋敷の者は皆知っているんだったな」
「出所は言えませんが」

人差し指を唇に当て、クスクス笑うロズに胸がつまる。
昔は──まだ教育も社交も本腰をいれてない頃は、同い年のロズはアイビスの良き友人であり、理解者だった。ロズの家系はもうずっとアイビスの屋敷の専属の庭師で、小さい頃は仕事の邪魔だと追いやられた庭の隅で土いじりしていたロズを捕まえ、屋敷に招きいれたものだ。アイリーの事だって、母親のお腹の中にいた時から知っている。三人は兄妹のように育ったが、いつしか身分はハッキリと別れ、顔を合わせればよそよそしい言葉遣いで挨拶をされ、むやみやたらと屋敷に足を入れなくなった。
もちろん、ロズを嫌う人物なんてこの屋敷に住む家族や使用人含め、いるはずもない。だから気軽に遊びにおいでと昔はしきりに誘ったが、けじめは大事なんですよと逆に咎められてしまった。
それが寂しくて悲しくて、でもそんな真面目なところも憎めなくて、自分はロズがいてくれさえすればそれでいいのにと泣き腫らした夜に気付いた恋心。
もうずっと拗らせている。

「ねえ、ロズ。なぜお兄様はいつも話がうまくいかないと思う?身分も見てくれも、悪くはないと思うのだけれど」
「アイリー・・・」
「そうですねぇ」
「ロズまで・・・」

すっかり当人抜きで盛り上がる二人に溜め息が出る。
なぜだなんて、そんなの。

「相手を心から好いていないのが、相手に伝わっちゃうんでしょうね」

ロズの返事に、アイリーの眉がピクリと上がった。

「あら。と言うと?」
「だってアイビス様は、夢中でない事にはすぐにぼんやりしてしまうから」
「確かに!」

ケラケラとアイリーがおてんばに笑った。
そしてアイビス自身も妹同様、確かにと内心頷く。この時世、愛はなくとも一族の為、野心の為、金の為に婚姻関係を結ぶのなんて珍しくない話で、むしろ身分なんて関係のない平民の方が自由に恋愛を楽しんでいる。
アイビスも一族の為に、名家のお嬢さんとの縁談はいくつか上がったが全てポシャってしまう。なぜならやはり、そこには愛がないからで、いくらアイビスが地位も名誉も美貌も持ち合わせていようと、毎回心ここにあらず、自分に関心がない、社交辞令もないとくれば、これからの夫婦生活なんて到底無理だと断られるのだ。(実のところ、情の欠如も原因のひとつだが、子作りも財産分与も期待できないというのもあるのだ。)
毎度毎度、縁談は向こうの方から断りを入れられ、その理由が「将来を期待できないから」と言われては、男として「ポンコツ」と言われても仕方がない。
それに身分違いで同性の恋だ。
心のどこかで諦めようと、無理に縁談の話を受けているところも否めない。が、結局は彼を諦めきれないのだから、とんだ無駄話である。
自分の事ながら凹んできたアイビスは、再び紅茶に口をつける。一口含んだところで、ロズが
「でも」
と、言葉を紡いだ。

「結果的には誰も損をしていないのだから、いいじゃありませんか」

ごくん。
予期せぬ言葉を聞いたが、今度はうまく飲み込めた。

「損〜?いいえ、ロズ。しているわ。一族の恥じゃないかしら?それに世継ぎ問題もあるのよ?」
「そんなこと」

愉快そうにロズが笑い飛ばす。

「アイビス様の実際の人となりをご存じであれば、誰もアイビス様を恥だなんて思いませんよ。むしろ誇りなのでは?それに知っていますよ、お嬢様。なにやら婿取りの話も出ているそうで?」
「なっ!」
「と、なると、世継ぎのお話も解決では?」
「も、もう、やあね、ロズったら!」

またも頬を染めたアイリーは、この話はおしまいと言わんばかりにクッキーを次々と口に詰めていく。
アイビスとパチリと目があったロズは両手でカップを持ちながら、穏やかな笑みをまっすぐに向けてくるものだから、アイビスもドキリとして身構える。

「幼少の頃から今の今まで気に掛けていただき、アイビス様には感謝しかありません。僕はこれから先、ずっとアイビス様、もちろんアイリー様の為に、この美しい庭園を守り続け、名家の名に恥じないようお力添えをしていく所存です」

身構えていて良かった。あやうくひっくり返るところだったと、アイビスは数秒前の自分を褒めた。そして感動のあまり泣きそうになった。先の妹との話で自分を評価してくれていることに付け加え、今の、つまり生涯自分に従えてくれるという宣言は、喜びの表しようがない。
何と言おうか、これからもよろしく?頼りにしてるよ?いいや。それじゃあ本当にただの主従関係だ。もっとロズには特別な言葉を贈りたいと、アイビスは悩んだ。

「さあ、僕はそろそろ仕事に戻ります」
「え、もうなの?」

返事をしたのはアイリーだが、アイビスも同じことを思った。咄嗟にロズの服を掴んでしまった。

「ロズ、せっかくなんだ。ゆっくりしないか?いつもながらに素敵な庭だよ。今日の仕事なら、もう──」
「残念ながら、先日いらした伯爵婦人に薔薇を見繕って欲しいと言われていたので、お届けに」

肩を竦めてロズが苦笑した。
その表情から、本当に残念に思っていること、本当はまだここにいたいと窺えたので、アイビスも強く引き留めることはできなかった。何せ彼は真面目に仕事に打ち込んでいるのだ。邪魔をするなんて、出来るわけがない。
・・・それならと、アイビスは最大の笑みをロズに向けた。

「ああ、それなら僕も同乗しよう。あちらの婦人にはご挨拶に行かねばと思っていたんだ。そうしよう。うん、さあロズ、行こうか」
「え、そうなんですか?」

きょとんとしたロズが、不思議そうに瞬きをした。
もちろん嘘だ。しかし今日はわがままを言うようだけど、まだロズと一緒にいたい。口実が欲しい。それに若く見目麗しい次期当主が挨拶に行き、婦人も驚きこそすれど、何の不満があろうか。
そうと決まればと先に席を立ったアイビスに促され、ロズもゆっくり立ち上がる。

「じゃあ、またお茶に誘ってくださいね。ごちそうさまでした」

はじめの言葉はアイリーに。次いでの言葉はメイド達に。順々に頭を下げるロズは、それを優しい顔で見ていたアイビスの隣に駆け寄ると、何かを話して二人で笑いあい、仲睦まじく庭園のアーチをくぐっていった。
いい主従関係で、かつての友人で、理解者で。
屋敷の多くのものは二人が小さい頃からの付き合いであることを知っているので、皆が親で、我が子のように見守っている。

しかしアイリーは見ていた。
兄がロズの肩に回そうとしている手を、置けずにさ迷わせていることを。それに気付かないロズはスタスタと馬小屋へ向かい、馬車の用意に取りかかろうとしている。

「う〜ん、本当にポンコツだわ・・・」

残り一枚のクッキーを咀嚼している後ろで、メイド達も盛大に頷いた。

「好感触なんだから、すべて私に任せて、早くくっついちゃえばいいのにね」



おわり



なんちゃって英国貴族。

小話 95:2018/08/18

小話一覧


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -