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「あなた、こういう趣味があったんですか?」

カコン、と軽い音をたてて、雑に投げ出されたDVDのケースがリビングのテーブルに角をぶつけて仰向けに倒れた。
革張りのソファーの上で長い脚を組み、優雅に新聞片手にコーヒーを飲んでいた新谷はあやうく噴き出しそうになる。否、少量口から垂れた。DVDのパッケージを見て血の気がひいた顔は、ザ・動揺。

「違う。違うんだ志木」
「ふぅーん?」

対する薄く目を開いて自分を見下ろす志木の表情は、ザ・軽蔑。

「友人がふざけて押し付けてきたんだ」
「俺はきっぱり興味ないと断ったんだ」
「嘘じゃない本当だ」
「神に誓ってやましい気持ちはない」

慌てて駆け寄り志木の両手を両手で包んで目を見てしっかり身の潔白を誠心誠意伝えるが、志木の薄目は変わらない。

「あなたが誓う神なんかどうでもいいんですけどね、事実、このDVDはデッキに入っていたんです。興味がないと述べつつ再生したってことですよね?」
「いや、それはだな」
「いいんですよ。女性に性的興奮するのはいたって普通、健全なことです」
「志木、話を」
「ましてや生身の女性ではなくただの媒体。浮気だなんだと僕がとやかく言える立場でもありません。ただねぇ、あなた」

趣味が悪い!!!

声を張り上げ新谷の手を弾いた志木は、気性の荒い猫のようにフーフーと肩で息をしている。普段大きな声を出さない彼なだけに、よりその興奮が伝わった。
テーブルの上のDVDパッケージのタイトルは【淫乱秘書の内緒の情事〜社長の命令は絶対〜】。

・・・志木の仕事は、新谷直属の秘書である。


志木は新谷が会社を立ち上げる際に自ら秘書に来ないかと、他社で働いていた所をヘッドハンティングした人材である。
株主総会のパーティーで、よその会社の社長の元についていた志木に目を奪われたのだ。
ぶっちゃけいい歳して一目惚れである。
周囲と比べたらスーツの質も風格も劣るが、側に立つ上司と思しき人物への配慮、その彼に関わる関係者への気配りは実にスムーズで、談笑や商談は彼を挟んで実に円滑に進めていた。重役婦人との世間話でさえ、退屈させずに盛り上げている。
じっと見ていれば目があった。そして優しく微笑まれ、ゆっくりと会釈されたので完璧に落ちてしまった。
解っている。見すぎていたから目があったのだ。微笑まれたのだって、失礼がないように、彼の上司、ひいては会社の顔に泥を塗らないようにの、自分の為ではないことも。

しかし新谷の行動は早かった。
彼の名前から勤続年数や出身校まで調べあげ、そこから直接会社へ取引の話を持ち込んだ。そこで顔と名前を覚えて貰うことから始め、会話を増やし、プライベートなことまで話す仲になると、本題へ切り込むことにした。
本題は取引の成立ではない。志木の引き抜きだ。
新谷も名のある会社で経験を積み独立したばかり。秘書の枠は空いている上、給料の値上げや今より優遇される環境を条件出したが、会社はまだ順風満帆とは程遠く、むしろ今からまさに船出なのだ。リスクの方がでかい。志木が頷く可能性と反比例だ。

「・・・仕事のお話を持ってきた時から、うさんくさいなとは思っていたのですが」
「は?」
「だって、こちらとしては降って湧いた話により利益はゼロからイーブンまで上がりますけど、そちらはメリットのない話・・・まあ、御社の名前が知られる程度じゃないですか」
「メリットは既にある。君と友人になれた」

本当は友人どころか恋人志望だが、今それを言うのは得策ではない。それに話せる仲になっただけでも大進歩だ。自分のフットワークの軽さが仕事以外に役立つことへも大感謝である。

「何ですか、それ」

大真面目に志木の目を見つめていれば、フッと息を漏らして笑われた。すぐにコホンと咳払いをして居直されたが、思わずその笑みに拍子抜けした。こちとら大真面目にスカウトをしているのだ。

「今すぐ退社はできません。仕事も引き継ぎ事項も挨拶回りもありますし、最低三ヶ月は待ってもらいたい」

まさかの返答に、夢かと思った。
この時差し出された志木の右手は、今後新谷がいかなる大物との契約や社交の場において差し出される手よりも神々しかったと語り継がれるのだが、それは志木により一蹴される事となる。

「・・・っ、ああ!ああ!待つさ!いつまでも!」
「契約には期限を設けるのが鉄則ですよ」
「それじゃあ今すぐにでも!」
「交渉下手くそですか」

志木の手をガッツリ両手で覆い、固く交わした握手に志木はまた笑った。

柄になく必死に一人の人間に固執して、契約や接待時以外の下心込みで食事に誘い、休みの日にも予定をおさえて、そうしてようやく自分の思いだけを告げるまでに至ったのだ。
返事は急がない、じっくり考えて結論を出してほしい。
そう言った時の志木は赤くなって困った顔をしていたが、すぐに「NO」とは言わなかった。志木の性格上、答えの出ている問い、あるいはいい返事のできない相手に期待を持たせない問いには即答するはずだ。つまり今、志木は新谷の事を真摯に、もしくは好意的に向き合ってくれているはずである。
今日とて、日曜の昼間から新谷の家にてデリをつまみつつ衛星放送される映画を見るつもりで、平日も朝から晩まで仕事とはいえ顔を合わせているのに、志木は洒落た洋酒を手土産に楽しそうに来訪したのだ。映画目的とはいえ、好きだと言った男の家にノコノコ来るだろうか。
つまり、期待大。
なんなら今日決まっちゃうんじゃないかと思っていた矢先のこの失態。

(昨晩見て、ケースをレコーダーの横に置いたままにしてたんだ)

機器周りを物珍しそうに見ていた志木を好きにさせていたが、その時に目についたのだろう。やましい物をぞんざいに扱った自分が悪いのだ。見られたくないのら尚更きちんとしまうべきだった。

今更の後悔に新谷が生んだ沈黙を、志木の小さな声が打ち破る。

「・・・僕に好きだと言っておきながら、本当は女性の秘書が良かったんでしょう」
「そんなわけあるか。君が秘書じゃなくとも、俺は君がいいんだ」

落ち着きを取り戻した志木の肩に手を置くと、再び、けれど今度は短い沈黙のあとに、志木が呟く。

「・・・押し付けた友人って、先日お会いした方でしょう?新婚でしたね、大方、処分を頼まれたってところですか」
「あ、あぁ・・・」

全くもってその通りである。
結婚祝いのお返しにと質のいい英国産の紅茶を貰ったはいいものの、自分を独り身と思い込んで託された“おまけ”がまさにその通りだった。恩を仇で返されたようで、当時の新谷はこめかみを押さえたものだ。

「解ってますよ。困らせました。ごめんなさい」
「いや、いい。謝らないでくれ。下心があったのは確かなんだ」
「・・・は?」

何を言っているんだと、志木は心底怪訝そうに新谷を見上げた。

「色白で黒髪のショートカットに眼鏡でスレンダーっていうのが君に似ていて」

・・・たっぷりの間を開けて、ポカンとしていた志木が初めて激しい動揺を見せた。

「・・・、・・・え?・・・はあっっ!!?」
「おまけにスーツ姿の秘書という設定だから」
「いや、あの、え?」
「しかし全然違った」
「そりゃそうでしょう!」
「再生はしたが開始三十秒もたたずに切った」
「は・・・」
「訳のわからん面接ぶったインタビューシーンしか見ていない」
「・・・」
「顔が、声が、肉感が、君じゃないからすぐに興味が失せたよ」
「・・・馬鹿ですか」
「君と出逢ってから馬鹿になる一方だ」

大真面目に頓珍漢なことを言う新谷には困惑しかない。
この男はこんなに馬鹿なことを言う人間だっただろうか。苦笑して、乱れた髪を耳にかけて、志木はまたうつ向いた。

「そんなの、困ります」
「うん?」
「ただでさえあなたほどの人材を、僕が独占していいなんてこと、あるはずがないのに、その上あなたに馬鹿になられては」

話を遮るように、肩を掴んだままの腕を引いて、新谷は志木を腕の中に閉じ込めた。
告白した際に困った顔をした原因を、彼のネックな部分を、今ようやく掴んだのだ。離すわけがないし、つもりもないと、背中に回した手に力を込めて囁いた。

「じゃあ責任もって正常にしてくれ」
「そ、れは、秘書の仕事じゃないでしょう・・・」
「ああ、そうだ。君にしか出来ない恋人の仕事だ」

返事はなかった。
しかし背中に腕を回されたのが答えだろう。

「・・・ところで、君の先程の発言からすると、君は俺を独占したい願望があるのか?」
「あなたほどの男を、欲しがらないわけないでしょ」
「そうか」

そうか、そうだったのか、なるほど。
新谷は一人頷き、だらしなくにやけた口元を志木の柔らかな髪にそっと埋めて唇を押し付けた。



おわり



受けか攻めの敬語一辺倒とてもすき。


小話 94:2018/08/18

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