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「霧島になら、抱かれてみたい」
けしかけたのは自分だ。
それも酔っていますという演出付き。酔っ払いのたちの悪い冗談とはね除けてくれてもいい。いや、むしろこの虚しい暴挙を止める為にも断ってくれ早くと勝手な願いも込めて、俺は霧島のデニム越しの堅い太ももをそうっと撫でた。
新歓コンパと言う名の飲み会は、大学の学部もサークルも入り乱れ、頭空っぽな内容の話題なんて無いに等しく、学生特有の悪ノリだけで場を盛り上げている。
「霧島君って今フリーなの?」
爪先にラメを集めたキラキラの指でグラスを持つ女が、向かいに座る霧島に声をかけた。
行儀悪く片膝を立てながら酒を煽り、スマホを弄っていた霧島はその女の方をチラッと見ただけですぐに視線を落とす。
「ああ。自由にやってる」
「やだ〜、ヤってるって何を〜?」
けらけら笑う女に下ネタ言ってんのアンタだけだよって呆れながらアルコールに口をつけるが、有益な情報を引き出した事に内心ガッツポーズだ。
霧島、フリーなんだ、ふーん。
乾杯から遅刻して、霧島が空いた場所に腰を落ち着けたのは俺の隣だった。
特に親しくはないが、互いに名前と顔は知ってるし、こうやって飲み会で顔を合わせる事も何度かある。話したいなと思うことはあるけど、話す内容がない。今日も座った時に「よう」と声を掛けられたのに「おう」と返しただけだ。
霧島のいる左側に意識が集中して、別の奴との会話も酒の味もよく解らない。
まあ、今までで一番近い距離だ。
それだけで耳朶に熱がこもる自分に苦笑しながら、気もそぞろに別の会話に参加した。
霧崎にしきりに猫なで声をかけていた女はつれない態度から脈なしと判断したらしく、飲み掛けのグラスを手に他の座席へと移動していった。つい、その行方を目で追ってしまうと、霧島と目があった。霧島は女の方なんて見てもいない。
「モテてんじゃん」
「あんなのモテる内に入んねぇだろ」
茶化すように笑ってやれば、うんざりしながら頭を掻いた霧島が酒を飲み干してグラスを空にした。
「でもあっち、ずっと霧島見てる」
「あ?」
視線で指すと、霧島がそっちへ振り返る。
二人の派手な女が霧島と目が合えば、手を取り合ってこっちを見たままコソコソと話し出した。さっきの女は既に他のグループの中に加わり、別の男の肩に寄り掛かっている。
霧島は首を擦りながら、下らないとばかりに息を吐いた。
「興味ねぇよ」
「向こうがほっとかねぇぞ」
話し合いが済んだのか、二人組の女が手鏡を見ながら髪を整え、口紅を引き直し始める。
そろそろ霧島にアタックしてくるんだろう。
そっちから霧島に視線を戻せば、唇を曲げて不愉快そうな顔をしていた。
「何、今日は絡むのな。酔ってんの?」
「・・・そーかもな」
「ハッ、お前も相手して欲しいってか?」
馬鹿にするような嫌な笑い方は、きっとさっきのお返しだろう。
でも、うん、確かにそうだ。
「霧島になら、抱かれてみたい」
・・・いや、もう本当マジで馬鹿なことを言った自覚はある。酔うほど飲んでもいない。ただ、ほんの少しの本音を吐き出すほどには、隣で色んな女に声を掛けられる霧島に面白くないと思っていたのも確かな話だ。
(くそっ、何か言えっ)
触れた手は払い除けられないし、馬鹿じゃねぇのなんて罵声も飛んでこない。数秒間が永遠に感じられた。視界の隅で、霧島狙いの女達がこっちに来るのが見えた。もう座席なんて自由化していて、人が入り乱れている。この気まずさから解放されるのかと安心半分、霧島と話せはしたのにと残念半分。
「なんてな」
と、手を離して自分の発言に反する軽口を叩こうとするより先に、霧島が触れていた俺の手を掴んで立ち上がった。
「行くぞ」
幹事に一言「帰る」とだけ告げて、訳がわからず足がもつれる俺に構うことなく、手を掴んだまま店を出る。
そこからはもう、あれよあれよと言う展開だった──。
体は痛みと精神的な困憊で参っていたが、隣の霧島の身動ぎひとつで目を覚ますほどには神経が敏感になっていたようだ。
ベッドヘッドに埋め込まれているデジタル時計の数字は、朝と言うより夜明けと言う言葉が当てはまる時間を表していた。
霧島に背を向けて、じっとする。事の全容を把握しようと努めるが、全くもって理解が出来ない。何で霧島は俺を抱いたのか。あんな馬鹿な酔っ払いの発言なんて、鼻で笑って一蹴して終わりだろう。
なのに、覚えている昨夜の霧島は、逆にずっと困った顔で、でも、優しかった。
(つか、絶対、バレた)
自分の痴態だって覚えてる。言っておくが初めてだ。あんな気味の悪い高い喘ぎ声に甘えるようにすがり付くなんて、霧島に群がる女以下じゃないか。思い出しては顔から火が出るやら鳥肌が立つやらで、隣に霧島がいなかったら発狂しているレベルだ。
好きだとはギリギリの理性でこぼさなかったが、あんなの、態度でバレバレだ。
最悪。死ねる。死のう。
──ギシリ。
霧島が身を起こした際に、スプリングが軋んだ。一瞬息と思考が停止して、咄嗟に目を瞑って寝たふりをすると、衣擦れの音がした。その後すぐに、長い溜め息。
「・・・抱くんじゃなかった」
その後悔の念が籠った呟きは、俺の心臓をえぐるのに充分なナイフだった。
呆けていた俺の耳に、バタンと浴室のドアが閉まった後、微かなシャワー音が聞こえた。
ああ、風呂ね。俺も汗や何やかんやで体がベタついているが、ゆっくりと体を起こして衣服を身に付けた。霧島の服がまだ落ちたままだった。下着だけ履いて風呂に行ったらしい。
出来れば霧島が出てくる前に部屋を出たい。財布から適当に紙幣を抜いて、目につくところに置いておく。学校じゃ学部が違うし、部活もサークルも入ってない。後はもう飲み会の類いに参加しなければ、霧島と顔を合わせる事はそうそうない。
・・・あの時、あの発言が霧島の癪に障ったのだろう。じゃなきゃ、こんな展開になるはずがない。でも俺は馬鹿にした訳でも、からかった訳でもないんだ。
「起きた?」
体が跳ねた。
いつの間にかパンツ一丁の霧島が戻ってきていた。濡れた髪の間からこっちを見ている目を見れなくて、解りやすく狼狽えてしまう。
「あ、あー、なんか、ごめん」
「ん?」
「いや、だって、こんな、なぁ?」
何が「なぁ?」だ。そんなの「そうだな」しか言いようが無いだろう。自分から息の根を止める自殺行為を嘆いていると、霧島がベッドに上がり、胡座をかいた。いや、ちょっと目のやり場に困るから服を着て欲しい。
「なあ、崎元」
「・・・はい」
「ずっとお前が好きだった。付き合おう」
「・・・は、・・・あ?」
思いがけない言葉に、顔をあげた。
霧島が少し顔をしかめているが、伝わる空気に怒気は含まれていない。それに何だ、今、何て?
「ホントはこうなる前に言いたかったのに」
ぷいと顔をそらした霧島は、機嫌の悪い子供のようだ。呆気にとられて言葉が出ない俺に、霧島はそのまま言葉を紡ぎ続ける。
「据膳につられて食っちまったのは悪いと思ってるけど、お前も無駄に誘うな。色気を撒くな。反省しろ」
「はあ?」
「まさか誰にでもあんなん言ってんじゃ──」
「な訳ねぇだろ!!人がどんな気持ちで──っ!」
睨まれた上に疑惑をかけられたので食いかかれば、はずみでカミングアウトしそうになって息ごと飲み込んだ。けれど聞き逃さなかった霧島はさっきと一転、ニヤリと意地悪い笑みを口元に浮かべていた。その顔を近づけて、俺の様子を覗き込む。
「へえ?どんな気持ちであんなこと言ったんだ?」
「っ、うるせぇ!にやにやしてんじゃねぇよ!」
「お前、顔赤くしてぼうっとしてっからマジで酔ってんのかと思ってたけど・・・違うんだな?」
伸びてきた二本の腕が俺を捕まえて、いまだに濡れた厚い胸板に引き寄せられた。直接素肌に頬が触れて、ぎょっとする。
「ちょ、おい」
「暴れんな。今日はもうしねぇよ」
今日、は。
その言葉にぶわりと体が熱くなる。
「お前に会いたくて、無駄に飲み会参加してたんだぞ」
「・・・俺だって」
「無駄に変な女に絡まれるし、それをお前が茶化すし」
「・・・っ」
「全部、無駄になんなくて良かった」
良かった。
しみじみ言いながら、トントンと背中を叩かれる。俺の存在を確かめているような、そっと触れる優しい手つきに昨夜の行為が再びフラッシュバックして、いい加減頭が沸騰しそうになる。
裸の胸板に手をつける勇気はなくて、肘で霧島を押し退けながら、ベッドから下りて距離をとった。
「ふ、服を着ろ。俺は風呂に行く」
「あー」
髪を手櫛て掻き上げながら、何故か霧島も立ちあがり近付いて来る。本当に目のやり場に困るから一刻も早く服を着て欲しい。一歩ずつ後ずさるが、霧島の一歩のがでかいので、あっという間に距離を詰められた。
「どうせまだ始発も動いてねぇよ。ゆっくりしようぜ」
にかっと笑いながらベッドに引き戻されて、顔からマットにダイブした。痛いと文句を言いたいところだが、上から霧島が乗っかってくるので緊張と羞恥で身が固まってしまった。
「三時間は寝れるな。起きたら一緒に風呂入ろうぜ」
「いっ、一緒!?」
「さっき見たけど、でかかったから余裕だろ」
そういう心配はしていない。
けれど鼻先が付きそうな距離で目を瞑る霧島を見ると、こっちもホッとして、途端に浅い眠りを繰り返し疲労していた体は正直に睡眠を要求してくる。
(もういい。寝る・・・)
寝て起きて、目が覚めたら俺からも言おう。
(好きだって)
おわり
小話 92:2018/04/21
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