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修吾と誠一は、半同棲のようなものだった。
誠一の家の方が会社から離れて人目につきにくいし、広かったのが主な理由だ。修吾の私物が増えるのを、誠一は専用スペースまで作って歓迎した。修吾のアパートなんて、今やほぼ、単なる物置部屋となっている。
そんな中でイマイチ同棲に踏み込めないのは、転居届けを会社の事務に出すことを考えたら気が重いからだ。男二人、同じ住所だと知れたら周りはどう思うだろう。
それでなくても、誠一は同期より階級が上の立場だ。いわゆるエリート街道を登り詰め、入社したての新人からお局様まで一度は目をとめてうっとりとするくらい、熱い視線を注がれる男だ。
部署替えで二人の接点がなくなっても、休憩中に喫煙所や食堂で話している姿を見られた日には「お前ら仲良かったの?意外」と周囲に不思議がられるくらい、修吾と誠一は同期入社という接点以外、何もかもが違っていた。

馴れ合いとか惰性とかで側にいてくれてるんだろうなと、最近の修吾はよく思う。
誠一とは同期で入社してから二年目で結ばれ、それから付き合い出して五年経った。三十目前で、周りは結婚や子育てと立て続けに報告を受ける。

身の固め方を、決める時だろう、お互いに。

そんな決意を抱いた矢先、上司の飲みに付き合って、ホステスに絡む上司を引き剥がし、なんとかタクシーに押し込み見送った時だった。
飲み屋街と紙一重な立地のホテル街の入口で、ブロンドの女性と抱き合ってキスしている誠一を見てしまったのは。

世界が一瞬で色を無くした。



金曜の夜──抱えていた案件も締め切り業務もクリアして、翌日から久しぶりの週休二日を堪能できる前夜、修吾は表情を堅くしてソファーの隅で拳を握っていた。

相変わらず修吾は誠一の部屋で寝泊まりしているし、時間をずらして出社している。けれど、あのホテル街で誠一を見かけて以来、身体の接触は拒んでいた。疲れたと、体調が悪いと主張すれば誠一は鵜呑みして、修吾にすぐ休むようにと無理はさせずに労ってくれるくらいに優しくて、そこを利用して距離をとっていた。

「あれ、起きてたの?」

風呂上がりの誠一が、濡れた髪を拭きながらリビングに戻ってきた。落としていた部屋の明るさをリモコンで上げ、修吾の隣にすとんと座る。

「電気暗いし静かだったから、もう寝たかと思ったけど・・・もしかして待ってた?」

誠一が意味を含めて背中を撫でた手に震え、事も無げにはたき落とした。
この手は、あの彼女に触れて、抱き締めていた手だ。

「あ・・・」
「修吾、どうしたの?疲れてる?」

はたかれた手は、すぐに色を抑えて誠一を労る為に優しく背中に添えられる。覗き込んできた誠一の前髪から滴が落ちて、その向こうの表情は自分を心配している事に偽りがない。
本当に自分を気遣う誠一に息苦しくなって、修吾は唇を噛んでうつ向いた。

「・・・俺も最近忙しくてさ。新しく立ち上げた企画がノッてるのは良いことだけど、急な呼び出しとかはもう勘弁してほしいなぁ」

それはまさに、あの日の事だ。
前々からその日は大学時代の友人と飲んでくると聞いていて、修吾が自分の部署の上司と飲んでくる旨を連絡すると、「帰っても修吾いないかもなんだ?寂しいな」なんて返事に馬鹿な奴と思いながら、確かに胸が暖かくなったのも覚えている。
けれどそれを信じたのに、誠一は告げた飲み会のある場所とは離れた、あの場所に彼女といたのだ。そしてその後すぐに「会社に呼び出された」と修吾に連絡を入れ、帰ってきたのは翌朝で。

連絡を受け、どんな気持ちで一夜を過ごしたか。

冷水が沸々と気泡を生んで──、

「この前も、ほら。大学の時の集まりで飲んでた時に呼び出しくらっちゃって、朝帰りなっちゃったやつ。きつかったー」
「いやお前、金髪女とイチャついてたろ」

──沸騰した。
自分が思っていたよりスムーズに言葉がこぼれた。うつ向いたまま目だけでギロリと誠一を捉えた姿は大人しさから一転、ホラーに近かったかもしれない。ギョッとした誠一は両手を上げて修吾から離れると、「え?きんぱつ?」と、しどろもどろに記憶と言葉を探りながら狼狽え始めた。

「・・・朝帰りの前の日、ラブホ街」
「はっ!ジェシカのこと!?」
「名前言われても知らねーよ」
「あ、えぇっと、ジェシカは大学時代のカナダ人留学生で、友人なんだけど、丁度日本に友達と旅行に来るってことで、だから当時の仲間と集まって、あ、彼女だけ同行者から一旦抜けてこっちの飲み会に参加したから、俺が宿泊先に送ったんだけど」
「は?なに、じゃあラブホが宿泊先っての?」
「あ〜。そこは俺も理解しかねるんだけど、外国人には日本のホテルってアミューズメントパークの一種みたいに人気あるらしくって。それに最近のホテルは女子会プランとかあるみたいだから割安で入れるって」
「ふーん?」
「信じてもらえない?」

眉と指先が下がっているが、無実潔白を証明する為の両手はいまだ上がったままだ。

「キスしてたろ」
「あれほっぺだよ!口にはしてない!挨拶!」
「朝帰りの理由は?」
「それは本当に仕事だから!送ったあとに呼び出されて、あ!社員証のIDから履歴出してもらおうか!出退勤の日にちと時間が出るから!」

両手を下ろしたが、誠一はソファーの上で正座をすると強く握った拳を膝に置いた。真っ直ぐに、変わらず偽りのない目で見つめられては、これ以上問い詰めるのも無用だろう。
修吾も誠一と正面から向き合うように足を上げて正座をすると、頭を下げた。

「疑ってごめん」
「俺も不安にさせてごめんなさい」
「いや、俺がもっと早く聞けば良かったんだ」
「でも、修吾が気持ちを落ち着けるのに必要な時間だったんだろ?」

頬に手を添えられて顔を上げると、誠一は困ったように笑っていた。その顔をさせたのは自分だ。勝手に疑って、距離をとって、相手を責めて。
もし、これから先、誠一が誰か、自分ではない誰かを選んだら、自分は──。

「・・・何かもう、疲れた」

ぼうっと、力のない目を誠一に向けた修吾は、そのまま続ける。

「一々疑って、喧嘩して、和解しても繰り返すの、もうしんどい・・・」
「ずっと、思ってた事があるんだけど・・・」
「こんな歳までずるずる付き合って、もうお互いの三十で、引き際とかが解んなくなってんのかなって・・・」

「修吾、待って、何の話を──」
「俺は」

ホロリと、涙が落ちた。
泣くつもりも無いのに、一度流れた涙はハラハラと勝手に落ちていく。

「俺は誠一が本当に好きだから、今さら振られたりしたら、どうしたら良いか分からなくなるし、辛い・・・」
「他に好きな奴が出来たって言われても、離れられない・・・」
「だから、ずっと俺のこと、好きでいてくれなきゃ、困る・・・」

目を擦っても擦っても涙が止まらず、鼻も出ている気がして顔を覆ってうつ向いた。
滲む視界に映った誠一は、呆然としていた。当然だろう。こんな話、こんな空気、今まで出したこともないのに、いきなり泣いて縋り付くような真似、引いて飽きられても仕方がない。
なんつーこっ恥ずかしくてウザくて幼稚な発言だと、今さら己の言葉に耳まで赤くなるのが解る。
そして無反応な誠一が怖い。と思っていると、赤い雫がボタッと誠一の拳に落ちたのが指の隙間から目に入った。
・・・赤?
恐る恐る顔を上げれば、一気に涙も引っ込んだ。

「誠一!鼻血!鼻血出てる!」
「いや、ちょっと・・・ふ、ふふふふっ」
「ティッシュ、あ、タオル!お前なに笑ってんの!こわっ!」

誠一が風呂上がりから首に掛けていたタオルを鼻に宛がった。大量に出血してないことに安堵して適当に拭っていくと誠一の両手が腰に回ったが、もう身を捩る理由もない。

「だって修吾が可愛くて熱烈なこと言うから、正直興奮した」
「こ・・・っ、いや、俺今お前に引いてるんだけど」
「今の流れ、別れ話かと思った」
「しねぇよ。・・・俺からは」

至近距離で見つめられるが、気不味くてうつ向いた視界が誠一の指に覆われた。目尻の涙のあとを拭われる。

「つまり修吾は、俺がいなくちゃ生きてけないんだ」
「っ!」
「もしかして、最近レス気味だったのって、今のが原因?」

話を蒸し返され赤面するが、もはや強がり意地をはる逃げ道もない。無言を肯定と受け取った誠一は、パッと表情を明るくした。

「そっか。じゃあ誤解もとけたことだし」

ソファーに押し倒された。

「え?」
「いっぱいして、いっぱい満たしてあげるね」

額にかかる前髪を優しく撫で上げられた。

「あ?」
「俺も寂しかったから、たくさん慰めてね?」

そこに音をたててキスされた。

「ちょ、」
「修吾だけが好きだから」

ペロリと舌舐めずりをする。

「あの」
「ずっと一緒にいようね」

近づいてきた顔に息を飲むが、誠一の顎を触れる程度に押して、最後の抵抗をみせた。

「っ、ちょっと、待って」
「なに?」
「・・・今日、事務から転居届け、もらってきた」
「っ!!」

会社から噂されるぞと皮肉に笑った唇に、同じく笑みを作った誠一のそれが重なった。
修吾が覚えているのはそこまでだった。




おわり



別れ・・・ない!って話がとってもすき。


小話 90:2018/04/03

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