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「は?宗さん、まだ飲むの?」

風呂上がりの宗彦が冷蔵庫から缶ビールを取り出したのを、ソファーの上で足を抱えてテレビを見ていた旭が見咎めた。
無理はない。彼は会社の飲み会から帰ってきたのだ。なのに再び飲み始めるのは幾ら明日が休みだからとて良くはない。それに未だ雫が滴っている髪の毛を拭けよと指摘して、旭は立ち上り首からかけてるだけのタオルに手を伸ばした。
旭より上背のある宗彦が頭を下げる。

「上が下に飲ませ過ぎないようにとか、帰りの手配とか、色々気ぃ配ってたから飲んだ気しねぇの」
「ふぅん?大変なんだな」

ワシワシと髪の根元から毛先に向かって水分を飛ばすように指を動かし、水滴が落ちなければ後は暖房の効いた部屋に放り込んでおけばいい。
完了の合図に頭を叩けば、顔を上げた宗彦が「サンキュ」とはにかんだ。

「宗さんが飲むなら俺も飲む」
「お前はコッチな」

再び開けた冷蔵庫から取り出したのは旭用のノンアルコールのレモンハイだ。ムッとするが、未成年の旭に「本当はノンアルすら飲ませたくないんだからな」と渋々譲歩した宗彦が用意してくれた物だから我慢するしかない。
戸棚から塩味のついたピスタチオの袋を取り出して、先にリビングへ向かう宗彦の後ろをつまらなそうについて行く。本当はここで何か一品チャチャッと作れたら良いのにと旭は常々思っているが、本物の酒を知らないので何が合うのかなんてさっぱり分からない。宗彦が毎回つまみの種類を変えているのもその原因だ。現に戸棚には乾物から缶詰までストックはたくさんある。飲む物によって変えてるようだし、何でも良さそうだし、拘りはないのかもしれない。

(宗さん、結構テキトー人間だし)

好き嫌いもないから、悪酔いしなけりゃ胃に落とすのは何でも良いのかも。
いつも自宅で楽しそうに飲む宗彦の姿を見るのが旭は好きだ。だから早く一緒に晩酌をしたいし、自分の作ったつまみに舌鼓を打って欲しい。たまに作る夕飯も、居酒屋メニューを真似たつまみも何でもバカみたいに美味しいと褒めてくれるが、旭は酒との相性が解らないのだから、やっぱりつまらないなと言うのが本音である。

「お疲れ様」
「ん、旭もお疲れ」

お互いの缶をぶつけて、一日を労い合う。
それでもやはりノンアルとアルコールの差は子供と大人の壁を感じて面白くない。今どき友人との飲み会でも宗彦の言いつけを守り、頑なに飲酒を拒み続ける旭が真面目かと笑われているのを、宗彦は知るよしもない。

「あと一ヶ月でハタチなのに」
「まだ一ヶ月もあんだろーが。それに初めての酒は親父さんとにしろよ」

つけっぱなしだったテレビを横目に見ながら言われれば、さすがに旭もかちんと来る。
そのハタチの節目を、自分はずっと宗彦の側で待っていると言うのに。

「はぁ?俺の誕生日、実家に帰れって言うわけ?」
「日付跨ぐ時はウチにいたら良いだろ。それに誕生日に絶対飲まなきゃいけない訳じゃねえし」
「一日でも早く宗さんと飲みてぇんだよ!」
「あ、あぁ、そう」

かぁっと、宗彦の顔が赤くなったのはアルコールのせいではない。理由は明白。旭はその顔を無遠慮にじぃっと見据える。

「・・・お前ね、こうもストレートに気持ちぶつけてくるんじゃないよ。はぁ、恐ろしいな、若さって」

宗彦は十の年の差をやたら気にしているのだ。
元は宗彦の勤める会社の下請け先でアルバイトをしていた当時高校三年生だった旭を見初め、やたらと下請け先に出向いては旭の先輩や上司に煙たがられ、それでもしどろもどろに旭に「バイト大変だね」「頑張ってね」と声を掛けて、わざわざバレバレな偶然を装って会いに来てたと言うのにだ。
旭もそこまでスキンシップを好むわけではないが、たまに顔を寄せれば赤くなって周囲を見渡し、ちょん、と唇に触れてくる。宗さんの部屋、盗撮でもされてんのかよとツッコみたい程だ。
こんなへたれた調子と、上京した大事な息子が年上男の家に転がり込んでいるという旭の親への後ろめたさを宗彦は負っている為、体の関係だってきっとハタチを迎えてからだと旭は踏んでいる。
どうせ後一ヶ月したら、全てを精算出来るのだ。もどかしいが、大事にされていると思えば悪くない。険悪になりたいわけでもないので、旭は不機嫌に歪めた顔をつねって引っ込めた。

「俺は旭が眩しいよ」
「宗さん、おじさんだもんな」
「まだ!にじゅうく!」
「アラサー」
「お前だって十年後はアラサーだぞ!」
「その頃宗さん、アラフォーかぁ・・・」
「おい、やめろ。しみじみ言うのやめろ」

こうして二人の夜は更けていく。





「宗さん?」

その日も、宗彦は飲んで帰ってきた。
事前に自宅に旭が来ている事を知っていたので、もちろんその旨を連絡したし、旭も快諾している。しかし帰宅を知らせるチャイムが鳴って、いざ玄関まで出迎えに行ったら抱き付かれたのだから、状況を飲み込めず、目を白黒させたのは仕方がないだろう。

「たぁだいまぁ、あさひぃ〜」
「・・・お、おかえり」

スーツ越しでも体温の高さが伝わるし、アルコールのにおいも鼻につく。何より顔は赤らんでいるうえ、やたらヘラヘラしているのは明らかに酔いの証拠だ。
今までもほのかに赤らむことはあったが、こうもハッキリと酔っている姿を、旭は見たことがなかった。

「えらくご機嫌だな」
「フッフッフ、こないだのアレが通ったんだよ〜。チーム組んだ奴らと飲んできた〜」

玄関の鍵を閉め、宗彦が脱ぎ散らかした黒の革靴を揃え直した旭は鼻唄を歌いながらクローゼットのある寝室に向かった宗彦の後を追う。
宗さん、酔うと陽気になるのか。
新たな発見を脳に刻む。普段から明るい人物ではあるが、明らかに浮かれているのはアルコールと仕事からの開放感だろう。

今度はベッドにジャケットとスラックスが脱ぎ捨ててあったので、両方ともハンガーに掛けてやる。床に落ちていたベルトは一旦おいといて、ネクタイに苦戦している本体を救うべく、旭はネイビーのそれに手を伸ばした。

こないだのアレとは、この数ヵ月ずっと根を詰めて取り掛かっていた企画の事だろう。残業も持ち帰りも休日出勤もしていたのだが、それがプレゼンも含めて少し前にようやく終わったらしく、その日はスーツを脱いだと同時にベッドへ沈み、死んだように眠ってしまったのを覚えている。無駄にガタイがいいので、今日とは違いスーツを引っ剥がすのに苦労したからだ。

「おめでとう」

特にどんな仕事で何がどうしたかなんて知りもしないが、頑張りだけは側で見ていた。なので素直にひと言そう告げれば、宗彦はつまらなさそうに顔をしかめた。それからようやくネクタイを解いた旭の手を掴み、自身の頭に乗せたのは何の意味か。

「違〜う、もっと褒めろ〜」
「・・・頑張ったな?」
「だろ〜〜」

不確かながらに頭を撫でれば、どうやら正解らしく抱擁と言う名のタックルをかまされた。一瞬息がつまって、後ろがベッドであることに救われる。

(いってぇ!!・・・くそっ、んっ!!?)

引き剥がそうと肩を押すが、まるで動く気配がない。それどころか酔った体は重力に従って旭に更なる負荷をかけてくるし、なぜか頭を抱き込むように頬を擦り付けてくる。なんだこれは。抱き枕か。いっそ抵抗するのが馬鹿らしいと、旭は脱力して一緒に寝そべることにした。唯一動く手で再びゆっくりと頭を撫でれば、宗彦の笑みも一層緩む。

「いやぁ、俺すげぇ頑張ったぁ・・・」
「あぁ、頑張ってたな」
「だぁってさー、上が臨時ボーナス出すっつーからさぁー、そしたらやるしかないじゃん?」
「・・・そうだな」
「旭のはたちのお祝いにさぁ、どっか行きたいじゃん?」
「・・・そ、なのか?」
「そりゃそぉだろぉ。こんなとこじゃなくてさぁ、泊まりで、いいもん食わせて」

思わず宗彦を撫でる手が止まってしまった。
ハタチの誕生日を特別に思っているのは自分だけかと思っていたが、どうやら宗彦はもっと深く考えてくれていたようだ。

(なんだよ、それ!)

カァッと顔に熱が集まるのが解った。
だって、そんなの知らないし聞いてない。いや、そりゃそうだろうと分かってはいるが、それをこんな、不意打ちのような形で知ってしまった俺の立場は。旭の動揺も気にもせず、今の今までそんな素振りを微塵も感じさせなかった宗彦は、酔いに任せてポロポロと自白しているものの、暢気に歯を見せて笑っている。

「あ〜、でもこれ、まだ旭に内緒なぁ?」
「お、おう」
「旭にはさぁ、ずぅっと頼れる?大人として?見られたいしぃ」
「へぇ・・・」
「俺さぁ旭がいてくれるだけで、もう充分・・・」

一体誰と話しているつもりなのか。
旭じゃなければ誰を抱き締めて、誰にそんな甘ったるい声で話し掛けているのか。酔いでとろりと微睡んでいる宗彦は、まだ喋りたそうにしながら睡魔と戦っているようだ。今が夢か現かも区別がついてないだろう宗彦だが、これ以上は聞いてはいけない気がするし、何より旭の心臓がもたない。

「宗さん、もう寝よう」
「んー?」
「このまま風呂はあぶねぇから、もう寝ような?」
「・・・旭は?」
「俺ももう寝るよ」

そう、と軽く頷いてから、宗彦が足元で団子になっている毛布と羽毛布団を引っ張りあげた。正直、宗彦が乗っかっている旭はすでに暑くて重いが、宗彦が酔いが冷めて風邪でも引いてしまえば幾ら仕事がうまくいってようが元も子もない。子供を寝かしつけるように布団の上から背中を撫でると、宗彦はやがて静かに眠ってくれた。良かった。これで旭の心臓も救われる。
仕事でもプライベートでも嗜む程度の酒しか飲まない宗彦と付き合って、もうすぐ二年。こんなに酔った姿は初めて見る旭は完璧に参ってしまった。

(あ〜、チクショウ・・・!)

あんなに仕事を頑張ったのも、羽目を外した量の酒を飲んだのも、こんなにも浮かれて楽しそうに酔って帰ってきたのも、全ては旭の誕生日に直結していた事にクラクラしてしまう。

『頼れる大人に見られたい』
呂律の怪しい話し方だが、確かに宗彦はそう言った。
俺より家族を大切にしろ。酒もタバコも絶対にハタチから。友達付き合いは大事にしろ。俺に無理して合わせなくていい。その他諸々、宗彦はよく旭に言い聞かせている。そして旭も堅苦しいなと思いつつ、渋々だが守っている。いつだって自分を思ってくれているのが分かるから、旭だって離れることが出来ないのを、この男は分かっていない。

「俺だって、もう充分だよ」

ふっと息を漏らすように笑った旭の呟きは、熟睡している宗彦の耳には入っていないだろう。




「解散してからタクシー拾って、旭が出迎えてくれたまでは覚えてる、けど・・・あれ?え、もしかして吐いたとかねぇよな?何か迷惑かけた?」
「スーツ脱ぎ散らかしたくらいだ。後はすぐに俺を枕にベッドにダイブ」
「は、良かった〜」
「良かねぇよ」

翌朝の朝食を囲むリビングで、いつの間にか朝を迎えていたと首を捻る宗彦にはアルコールの余韻なんてなく、どうやら旭の誕生日の企てをカミングアウトしたことは覚えてないらしい。
それなら旭も素知らぬ態度で話を合わせるだけだ。あんな形で知られてしまうのは不本意だろうし、旭とて誕生日までどんな態度をとればいいのか解らないので、これは正直有り難かった。朝起きた時に肩関節が痛かったのは、抱き枕にされた後遺症だ。わざとらしく肩を回せば、宗彦は「わりぃ」と詫びながら笑っている。

「・・・な、宗さんって酔うとどうなんの?」
「どうって?」
「えっと、だって酔って記憶なくすとかヤバくねぇか?」

昨日のヘラヘラ具合を自覚しているのか、そこは問い詰めなければならない案件だ。もしあれが無自覚なら、酒の席で一緒になった人にあんなにベタベタしたり、柔らかく話し掛けたりするのは面白くない、というか嫌なので、なんとか矯正させなければならない。
さも昨夜の痴態なんてなかったように然り気無く聞き出した旭に、宗彦は首を擦りながら苦く笑った。

「いや、俺酔った事ねぇんだわ。マジで。昨日は仕事が上手くいって羽目外しちまったけど、いつも外で飲む時は量抑えるし」
「何で抑えんの?宗さん、飲むの好きだろ?」

濃い目にいれたコーヒーを啜る宗彦は、考え事をするように目を瞑る。

「飲むのが好きって言うか・・・」
「うん」
「家帰ってお前と晩酌ごっこすんのが好きって言うか」

きょとんと、旭が言葉の意味を飲み込めずに固まった。そしてジワジワとむず痒さが身体中を駆け巡る。

「・・・ご、ごっことか言うなよ」
「ははは、そうだな。俺は旭の隣で飲むってのが好きなんだな、うん。だから俺は外じゃ量控えて帰ってくるし、旭がいない日はそもそも内でも外でもあんま飲まねぇよ」

楽しそうに飲んでるってのは分かってたけど、その楽しそうに飲んでる理由が自分で、自分も楽しそうに飲んでる宗彦が好きで。

(つまみも、俺と飲めりゃ何だって良かったって訳かよ)

そりゃ好みが掴めない訳だ。酒だ何だと一人不貞腐れていたのが途端にどうでもよくなってきた。
くっ、とテーブルの上で拳を握り、うつ向いた旭を何も知らない宗彦が覗き込む。

「どした、旭」
「・・・いや。俺も宗さん、好きだなあって」

はぁ、と悩ましげな溜め息と、苦しそうな表情で言われては好きだも何もあったもんじゃないが、結局旭にベタ惚れな宗彦は口に含んだコーヒーを噴き出す寸でで耐えていた。

「あ?あ、あ、そうなの?ふうん?あ、そう、へ〜〜」
「・・・」

こんな言葉でこの反応なら、この人俺をどうやって旅行に誘うのだろうか。
それもまた誕生日までの楽しみにしておこうと、旭は一人ひっそりと笑みを溢した。



おわり


小話 88:2018/03/19

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