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※「
27」の続編
遠野は空を睨み上げた。
しかし幾ら周囲がビビり、目をそらしたり、そそくさと遠野から距離をとるほどの眼力を持ったとしても、突然の夕立は止むことはない。
バケツをひっくり返したどころか、コックのイカれた強めのシャワーが延々と降ってる様な雨には息が詰まる。
(あんの、クソ教師っ!)
今度は現況にも恨みをぶつけた。
近頃サボらず学校へ来ている遠野に、化学教師は放課後に一枠、補講を命じた。それは今までサボりにサボっていた遠野への延命措置でもある。このままでは三年に上がるのも危ういので、化学に限らず教師陣は真面目に登校しだした遠野に首を傾げるが、ここぞとばかりに宿題を多くだしたり提出プリントを渡したり、とにかく少しでも単位を稼げるように努めてくれているのだ。
「ありがたい話だよね」
と言ったのは、そのプリントを必死で解くのを手伝いもせず、ただただ傍観していた宮沢だった。
この宮沢こそが、遠野が学校へ通う理由であり、進学もしたいと思うようになった原因である。
今日も放課後に補講があると嘆けば、けろりと「自業自得じゃん」と笑いながらひらひら手を振った宮沢は、今じゃ遠野を怖がらないし、特別扱いもしない。普通の友人として遠野を扱うのは、喜んでいいべきか。
今のところプラスマイナスゼロの立ち位置に、遠野は焦れる日々である。
化学の補講内容は、今までの補講の総浚い、つまりテストだった。確かに今までに見た内容だったが、当然苦戦する遠野に教師は「毎日真面目に授業を受けていたらこんなに苦労はしない」だの「テストを受けれるだけありがたいと思え」だの、必死にシャーペンを走らす最中に言うものだから、宮沢と同じ事を言ってるにも関わらず軽く殺意が沸いたのは必死に胸の内に留めておいた。シャーペンの芯は何度も折ったが。
生徒用の玄関から、溜め息と共に空から視線を地面に落とすと、降り始めて僅かにも関わらず大きな水溜まりが出来ていた。テスト後に何故か準備室の整理整頓を手伝わされたのも、雨に巻き込まれた理由を担っている。
予期せぬ夕立に傘がなく立ち往生していた遠野は全ての原因を教師にぶつけていたが、そもそもは遠野の素行の悪さが因果となっている事に指摘するものは今この場に居なかった。
雨に濡れて帰るのも普段なら気にもしないが、この土砂降りの最上級とも言える集中豪雨はさすがに躊躇する。置き傘をパクってもいいが(否、全くよくないが)、車を持ってる奴をパシろうとスマホを取り出し適当にコールしていると、後ろから肩を軽く叩かれた。
「入ってく?」
「っ!?」
雨の音とコール音に気をとられていた為、遠野はダサくも派手に驚いた。大声を出さなかっただけまだマシだが、スマホは落としかけたのを慌てて掬い、両肩は跳ねて背は丸まった。
「補講お疲れーぃ」
そして何より、振り返った先に傘を持った宮沢がいた事に目を見張る。
放課後に補講へ向かった遠野を見送った姿と同じく、暢気にひらひら手を振っているのを見ると驚いたのが恥ずかしくなってくるではないか。
「え、何でいんの」
「部活に出てた」
「は?お前部活やってんの?見たことねぇぞ」
「写真部。活動は気まぐれに」
「幽霊かよ」
鼻で笑えば「補講受ける人より全うだろ」と返され、ぐうの音も出ない。
「てか遠野、傘ないんだろ?部室に置き傘してたから入る?入りなよ」
遠野越しに宮沢が雨を見る。
止む気配はなく、ここで立ちん坊になる理由も、ましてや降って湧いた美味しい状況を逃す理由もない。遠野は頷きながら『もしもし?遠野さん?何かあったんすか?もしもし?もしもーし』と聞こえるスマホの通話を無言で切った。
「天気予報見た?」
「見てねー」
「さっきまで晴れてたしね」
「あー」
ぼやきながら、パンっと広げた傘の中で宮沢が手招きしている。遠野の方が背は高いが、宮沢も低くはない。隣に並べば少し傾けられて、同じく少し肩を寄せてくる。
「・・・っ!」
「気が進まないけど、帰るしかないんだよなぁ」
その少しを、遠野だけがやたらと意識してしまうのが情けない。触れた肩から離れようと横にずれれば、怪訝そうにその距離を詰められる。
「何?狭いの我慢しろよ。濡れるぞ」
「お、おぉ・・・」
玄関から一歩踏み出せば、コンクリートの屋根の下よりも傘を叩く雨音の大きさが派手になる。歩くにつれてズボンの裾と靴下が濡れてまとわりつく感触が不快で仕方がない。
「補講って一時間分だろ?今終わったにしては遅くない?」
「ついでに準備室の雑用丸投げされた」
「あー、あの先生ね、そんなとこあるね。嫌いだわー」
「お前先公嫌いとか思うわけ?」
「え?普通に思うよ」
「いや、お前いつも真面目に授業受けてんじゃん」
「実は真面目にぼんやりしてる」
「はっ、マジかよ」
顔を見合わせて笑いながら、現金にも居残りが長引いた事に内心ガッツポーズだ。
「つか、いつも俺のこと見てんの?照れる」
は〜、とひとしきり笑い終えた宮沢が言うほど照れを見せずに吐いた台詞に、遠野の笑みが固まった。
墓穴。完璧なる墓穴。
いつも見ている事を、こんな形でバレるわけにはいかない。
「っ、ま、前の席だからだろーが」
「確かに」
少し吃ったが、宮沢は単純に頷いてくれた事にホッとする。
雨は強さを増す一方で、滝のような雨音が凄すぎて、途中何度もお互いに「今なんて言った?」と顔をしかめながら近付けて、目を合わせてケラケラ笑った。
あーだこーだ言いながらマンションのエントランスまで送って貰うと、宮沢は「じゃあ、確かに届けた」なんてふざけながら笑って、踵を返した。
来た道を戻っていく宮沢が普通に傘を持ちリードするから忘れていたが、そういえば使うバス停は校門を出てから逆方向だったと思い出す。自分の髪や制服の外側が濡れているが、傘の持ち主である宮沢の後ろ姿だって自分と同じだ。
(なんだ、あいつ)
遠回りして、自分が濡れるのも構わず俺に傘を向けてくれたのか。
そう考えたら知らずに口元がにやけていた。
(かっこいー奴)
ふっ、と笑みが零れた側からくしゃみがひとつ。宮沢も自分の事を思っていてくれたらいいのに──。
なんて浮かれた自分を殴ってやりたい。
翌日、宮沢が風邪で学校を休んだのだ。いつも遠野より早く登校している宮沢の席が空いている事を変だと思ったが、担任が出席をとり終わった際に宮沢の欠席を告げたと同時に、遠野は自責の念に駆られた。
(ぜってー俺のせいじゃんっ)
あんな寒い土砂降りの中、わざわざ回り道して自分を送ってくれた宮沢は、半身濡れて冷えたたまま帰路についたのだ。それ以外原因は考えられない。
(あークソッ!昨日引き止めて家に上がって貰えば良かったんじゃねーの!?タオル貸すなり、温かいの飲ますなり、暖とりゃせりゃ良かったんじゃねーの!?いや、俺が途中でコンビニでビニ傘かえば良かったんじゃ──)
後悔ばかりが湧いて出て、苛立った舌打ちをつけば隣の生徒がぎょっとして振り返る。
(お前のことなんか考えてねーよっ)
最早八つ当たりだ。
その日、もう学校に用はないと遠野が早退と言うなのエスケープをしたのをクラスメイトは「何しに来たんだ」とこぞってハテナマークを頭に浮かべて見送った。
「宮沢」
「おー、おはよー、遠野ー」
二日休んで、宮沢は遠野より早く登校していた。
この学校で遠野に笑みを向けながら「おはよう」なんて言うのは宮沢くらいだ。久しぶりのそれのせいか、今日の宮沢はやたらと眩しい。
「お前すげーヘラヘラしてんな。まだ熱あんのか」
「し、失礼な奴だな、快調だよ」
休んでいた間に机の中に溜まっていたプリントを確認していた宮沢は、すっかり元通り、元気なようだ。メールを送ってもよかったが、もし「遠野のせいで」と返されたら立ち直れそうになくて送れなかった。しかし今目の前の宮沢は、最後に見た日と何らかわりない。
「あー、そんで、その件、悪かったな。風邪ひかせちまって・・・お前あん時、だいぶ濡れたろ?」
「・・・何であやまんの?遠野、悪くないけど」
ばつの悪そうな謝罪に始めはキョトンとしていたが、遠野が歯切れ悪く「でも」と「けど」を繰り返すので、宮沢がムッと口を曲げた。
「まあ確かに濡れたけどさ、あれって俺のお節介だし、俺の善意を否定しないでくれる?」
「ん、おぅ・・・」
「むしろ俺が送り届けた遠野が風邪引かなくて、そっちのが良かったわ」
胸を張る宮沢に絆されて、遠野もようやく眉間の皺を解く。
「何だお前、かっこいいな」
「ひひっ、だろ?」
畏まった顔から一転して笑みを浮かべた宮沢を直に見た遠野は、思わずゴンッと机に突っ伏し今しがた述べた言葉を訂正した。
(クッソ、可愛い・・・っ)
こうして、遠野が再び真面目に登校する日々が続くのであった。
おわり
ただ遠野君が楽しく学校通えてる話。
小話 85:2018/03/01
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