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ふいに頭の中にメロディーが流れて、あれこれ何だっけって、何かのCMだったようなって、メロディーにぼんやりと浮かぶ歌詞を乗せながら、直純はうんうん考え込んでいた。
瞼を閉じて、(あ、これは、あれだ、チョコレートの、CMの)とまで手掛かりを掴んだ時だ。
チュって音と、唇に柔らかいものが触れた感触がした。ハッとして目を開けると、鼻先に見知った男の顔が。

「え?」
「え?」
「え?って、え?何してんの?今何した?」
「え?何って、キス?」
「えっ!何で!」
「え?だってずっと目を閉じてたから、据え膳かなって」
「馬鹿なの?え、馬鹿なの??」
「馬鹿じゃないよ〜、あ、でも直純君馬鹿かも?」
「ド阿呆ォッ!!」

テヘッと照れ笑いをする男を殴り、直純は服の袖口で思いきり口を拭った。摩擦で痛くて熱くなろうが、この男が「あ〜」なんて落胆の声を漏らそうが関係ない。一刻も早くこの不快感を拭い去らねば気がすまない。
ギッと睨み付けた相手は殴られた頬をさすっていたが、然して痛がる様子も見せず、むしろ直純と目があった途端に気の抜けた人好きそうな笑顔を向ける。普段から緩い顔をしている櫻庭は、直純の友人と言うか単なるクラスメイトで、それ以下はあってもそれ以上はない。有り得ない。

「そんなに照れなくてもいいのに」

ツンと頬を突いてきた指をはたき落とす。
この男、とてつもなくイラァッとする。
ぶっちゃけ唇のキスは今が人生初だったが、それをも含めて指摘すれば、それはただ櫻庭を喜ばすだけなので絶対に言わないし、直純自身も悲しくなるので絶対に言わない。

「そう言えば、直純君が口ずさんでた歌って、紺野翼の新曲だね?」
「それを早く言えよ」
「だって直純君が他の男のこと考えてるなんて面白くないんだもん」
「もん、とか言うな。可愛くない。気色わりぃ」
「直純君が目を閉じてる顔は可愛かったよ、キス待ち顔みたいで」
「こんの、クソド阿呆ォ・・・っ!」

両の手の指がわなわな震える直純が激昂するが、櫻庭は一向に気にしない。弁明もしない。謝りもしない。まさに暖簾に腕押し。怒っている方が馬鹿らしいが、怒らずにはいられない。いつもそうだと、思い返した全てに怒りが追い焚きしてくる。


教室の窓際の席から外を見ていた五月初旬。
空は青く、若葉は芽吹き、色鮮やかな窓枠の向こうを何となしに眺めていた直純は、暖かくなり始めた気候と太陽の眩しさに目を閉じて、開いた窓から入るそよ風を静かに感じていた──ら。
ふに、と頬に何かが触れた。ビクッと反応して、咄嗟にその箇所を触って振り向いた。そこには平然として、この春に同じクラスになったばかりのキラキラ男子・櫻庭がプリント片手に立っていた。
同じクラスになった女子は「最高」と喚き、外れたクラスの女子は「最悪」と嘆く、いわば学年の、否、学校の花のような男である。そんな見た目の認識しかない櫻庭は、茫然としている直純ににこりと笑んだ。

「渡辺君。プリント集めてるんだけど、ある?」
「・・・うん」
「へー。渡辺君、下の名前、直純なんだ」
「・・・うん」
「直純君って呼んでいい?」
「・・・うん」
「ありがとう」

一際いい笑顔で礼を言い、提出プリントを預かり去ろうとした櫻庭を直純は引き止めた。いまだ頬を触りながら。

「今、俺になんかした?」
「うん。キスした」

じゃあ、と手を振りキラキラを振り撒きながら櫻庭は教室を出ていった。ピシャリと扉を閉めて、姿が見えなくなってから、普段通りの教室のざわめきに、ようやく直純の思考がゆっくりと理解しようと努めだす。
(・・・なんだって?)
あいつが、俺に、キスをした?
この頬に残る感触の正体と、それを何でもないように言う櫻庭という男に、直純の背筋はアラスカ並に寒気を感じた。

「はあぁぁぁあっっ!?」

室内に突如響いた直純の驚愕の叫びは聞かせたかった本人に届く事なく、ただただクラスメイトを驚かすだけだった。
目撃者がいなかったのは、不幸中の幸いか。


「目を奪われるというものを初めて体験したよ」

だって今まで僕が奪っちゃう方だったからと、後日取っ捕まえた櫻庭は悪怯れる事なくさらりと言ったので、この日初めて直純は人を殴った。
殴った方も痛いと聞くが、確かに痛かった。心が。顔は怒って心で泣いた。

それからというもの、櫻庭は隙有らば直純に迫った。人目というのはさすがに配慮しているのか、いないのか。大勢いる中で気を抜いていたほんの一瞬だったり、逆に人が少ないから気を張っていたけど杞憂に終わったと安堵した瞬間だったり。
不意をつかれて頬やこめかみ、指先や手の甲に唇を寄せられ、逆に阻止したパターンも数知れず。やられたらやり返す。目には目を、歯に歯を。ハンムラビ法典だ。直純は主に殴り返しだが。

「なぁ。迷惑だって。やめて。マジで」

勿論、ちゃんと諭したことはある。暴力が解決する事はないと理解している年齢だ。しかし櫻庭はその気持ちをきちんと聞き入れた上で、こう述べた。

「いや、でもさ、ここまでされると逆に好きになってこない?」
「・・・はあ?」
「僕に好かれてるって事に、クラっとこない?」

キラキラしながらニコニコと言う櫻庭に、直純は常識という固い壁の崩壊を見た。

「くるわけねぇだろ、ド阿呆」
「じゃあもう少し頑張らないとだな」
「お前の頑張りが報われる事なんて一生こねぇよ」

そして逆に知る。
己の身は己で守るしかないのだと。

櫻庭はいつだってキラキラしている男だ。
だからクラスメイトは櫻庭が影ながら熱心に直純に迫っている事なんて知らないし、直純とて自ら男にキスをされているなんて周囲に言えたもんじゃない。男のプライドと、世間の櫻庭への信頼度、言ったところでの信憑性。それに悔しいかな、キラキラ男はやはり花形なので、彼を貶す行為は悪事に等しい事になる。

しかし今日。ついに唇を奪われた。
初めてのシチュエーションを夢見たり、大事にとっていたわけでもないが、さすがにぶちギレる。大型犬にでもなつかれたと自分を誤魔化すこともあったが、やはり櫻庭は人間で、悪質な苛めにもセクハラにも強姦罪にもとれる行為だ。

「マジで!マジで何なの!?俺こんなんされてもお前の事好きになんねぇし!むしろすげぇ嫌いなんですけど!」
「人の気持ちなんて変わるものだよ?明日には僕の事好きになってるかも」
「な・ら・ね・え・よっ!このスーパーポジティブクソ野郎!」
「え?ありがとう!」
「褒めてねぇ〜〜っ!!」

暖簾に腕押し。常識の崩壊。
忘れていなかったが、つくづく言葉が通じず話にならない櫻庭に、直純はその場で株価暴落の被害者のようにうなだれた。

「何なの、お前何考えてんの」

グッタリしながら直純が問えば、キラキラ櫻庭はやたらキリリとしながらこう言った。

「最終的には身を固めたいので結婚したいと思ってる」
「お前は何を言っている」



おわり



作中に芸能人の名前を出したい時のクロスオーバーとっても便利。(※紺野翼=26参照)

小話 81:2018/02/10

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