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※当サイト比で暗い内容です。




「逃げたら楽になるのかな」

薄暗い世界で手を握る相手を見上げながら言ったら、更に強く握り返された。
怒ってるのか冷めてるのか、よく分からない無表情だけど、なまじ綺麗な顔のせいで威圧感や嫌悪感は微塵もない。

「逃げるって、例えばどこに?」

綺麗な顔の男──蛍は、真っ直ぐに俺を見る。

「俺達のこと誰も知らない場所、とか」
「それは無理だよ。どこで生活したって、第三者と関われば、そこはもう“俺達のことを知ってる人がいる場所”になっちゃうよ」

言葉につまって、うつ向いた。
確かにそうだ。生きる為には働かなくてはならない。買い物にも行かなくてはならない。家を借りるなら手続きを、宅配を受けとるならやり取りを、生きる上では人と話を、コミュニケーションをとるのは絶対だ。
どこへ行ったって、俺達は二人だけにはなれなくて、だからと言って生涯引きこもり、もしくは無人島で自給自足なんて不可能で。

「居場所がないなぁ」

溜め息のように吐いた言葉は、思いの外、心に響く。そして鉛のように重く、腹の底に沈んでいった。

「正人は僕を嫌いになった?」
「? まさか」

当然のように返せば、ほっとして無表情を崩した蛍が泣きそうに笑った。
それでようやく、今までの蛍は俺との仲を危惧した緊張から、表情が強張っていたのかと理解した。自分の中には無い選択肢だったから、気付くのに遅れてしまったことを反省する。

「嫌いになるなんて心配は、しなくていいよ」
「・・・良かった」

普段は物事を難なく流す澄まし顔だけど、本当の蛍は一度気を許した相手の前では柔和になる。それを知ってるのは、どれくらいだろう。一番は俺がいいなってコツンと蛍の肩に頭を預けたら、蛍が俺の頭に頬を寄せた。

「帰ろう、正人」
「帰る?」
側に寄り添ってるのに、ひゅうっと冷たい風に吹かれたように体が強張る。

「俺達は二人だから、大丈夫だよ」
「・・・そうかな」
自分が思ってるよりも遥かに小さな声が出た。

「正人が俺のこと好きなのは、間違ったこと?」
「・・・違う」
声が震える。

「俺が正人を好きなのは、おかしなこと?」
「・・・違うっ!間違ってない!おかしくない!」
頭を振って叫べば、涙がわずかに飛び散った。

肩で息をすると、手を繋いだまま前に回った蛍の指が目尻を拭う。

「大丈夫。一人なら辛いけど、二人一緒なら、大丈夫」

涙で揺れる視界の中で、蛍が綺麗に微笑んだ。
蛍が大丈夫と言うなら大丈夫なんだろうと、素直に言葉を受け取った。途端に腹の底が軽くなった気がした。

「帰ろうか」
「・・・うん」

望んでいたはずの逃避行先である前を見据えば闇。
振り返えれば、戻るべき現実という場所からは光が射していた。
ひとつ頷いて、蛍と手を繋いだまま踵を返し俺達は光に向かって足を踏み入れた。




──それはただ本当に、視界の悪い土砂降りの山道でスリップした結果だった。

頂上は夜景が一望できる隠れスポットで、晴れた日の夜は蛍の運転する車でよく訪れていた場所である。満天の星空の下、誰もいない闇夜の中、蛍とこっそり寄り添えば、まるで世界に二人だけのような錯覚に陶酔できたのだ。
理解されず、認められず、隠れるような俺達の関係に心が痛んで泣き出したくなりそうな時に、現実逃避として使う時もあった。

あの日も俺が、星が見たいと言ったのだ。
こんな土砂降りの夜に星なんて見えるわけもない。ただ、あの場所に行けば、蛍と二人だけの世界に浸れれば、この物悲しい気持ちが晴れるのではないかと、すがる様に蛍にお願いをした。
それを察してくれた蛍も、静かに車を出してくれた。いつにも増して、互いに無言だったと思う。ワイパーがフロントガラスに被さる雨を拭い取っていくのをただただ目で追っていた、その時だ。ハンドルを回して左折すると、車体がそれにつられて勢いよく回転した。ガードレールにぶつかるも、止まることなく飛び出して、シートベルトをしてたのに体が浮いた。言葉もでなかった。

「正人!」

車体が転落していく最中、隣の蛍が泣きそうな顔で俺の名を呼び、手を掴まれたところで意識は消えた。





「心中騒ぎだよ」
「心外だよね」
「むしろ長生きしたいのに」
「二人でね」

顔を見合わせて、ふふっと笑った。
お互いの頭には包帯がグルグル、顔にはガーゼがペッタリ。俺は左手に、蛍は右足にギブス。他に見えないところにも傷はできているし、正直笑うとあばらが痛い。

「蛍、外車ダメにしちゃったね」
「いいよ。どうせ父のお古だ。父だって・・・車より僕の命だって泣いてたよ」

どちらかの病室に入ることは看護師の視線から察するに禁止されているようで、陽当たりのいい談話室でつけっぱなしのテレビを見ながらだらだらとしているのが最近の日課だ。
たまに看護師が雑誌を整頓しに来たり、他の患者を探しに来たりもするけど、偶然を装って監視しているのはバレバレだ。この院内で俺達は「同性心中カップル」として囁かれている。若い看護師達の囁き声はでかかった。
二人して同じ病院に運ばれたのは、搬送先の空きのせいか、双方の親の計らいか解らないけど、目が覚めた時に母親は俺の無事に安堵し泣いて、そして詫びた。その後に蛍から話を聞くに、蛍も俺とほぼ同じ時に目覚めたようで、親も同じ反応だったらしい。

「退院、どっちが早いかな」
「同じくらいじゃない?骨は折れたけど、頭にも臓器にも異常はなかったんだから、奇跡だよね」
「奇跡・・・ね」

俺は昏睡状態の時に見ていた夢を思い出す。
あの時、蛍が俺を諭さなければ、俺はずっと目を覚ますことはなかったはずだ。いくら体が無事でも、それなら何の意味もない。
奇跡じゃない。蛍がいたから、俺は。

「二人なら、大丈夫だよね?」

隠れてこっそり、重ねるように蛍の手を握る。

「大丈夫」

下になっていた手を引っくり返して、蛍が指を絡めて強く握った。あの夢と同じく綺麗に微笑んで、やっぱりあの時の夢みたく、その言葉は俺のお腹にすとんと落ちて、暖かくなる。

「退院したら、どこに行こうか」

窓から射す日の眩しさに、蛍が目を細める。
どこだなんて、今までの俺達には選ぶ余地も少なかったけど。

「今まで二人で、行ったことない所」
「いっぱいあるね」
「いっぱい行こう。これからたくさん、二人で」

言葉にすると、不思議なことに涙が出てきた。悲しいことは何もないのに。これから楽しいことが待っているのに。泣きながら笑えば、それを拭ってくれた蛍も珍しく涙を流して笑っていた。
近付いてきてたはずの看護師の足音が止まり、部屋に入ることなく遠ざかって行くのが解った。
その気配に顔を見合わせて小さく笑うと、俺達は暖かな日差しを浴びながら、そっと唇を寄せあった。



おわり



普段の反動からたまに鬱々したのを書きたくなるんだけど(だって世の中楽しいことばかりじゃないから)、最後はやっぱりハッピーがいいです。

小話 76:2018/01/22

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