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※中編「恋する5題」の続編
※魔力のある国家騎士団団長×魔力のない普通の村医者




それは満月の夜だった。
聞きなれた嘶きに、アランの帰還かとリトは整理していた薬瓶を棚にしまってからドアの方に視線を向けた。普段ならここで彼の方が先にドアを開けるはずだが、今日はずっと彼の愛馬の方が鳴き続け、そのドアを蹴るような乱暴な音がする。一瞬怯むが嫌な予感に急かされてドアを開けると、瞳を閉じて今にも愛馬からずり落ちそうなアランが、その背にだらりと身を預けていた。

息を飲んだリトの体が震え上がった。

月明かりでも分かる程の立派な軍服が土汚れ、顔には無数の傷が見える。
アランの愛馬はそれを知らせたかったのだろう、リトが出てくるとすぐさま彼を任せるように身を渡し、主人を心配するように側に寄り添った。

「アラン、アラン!しっかり!」

取り敢えず家の中に運ぶべく、だいぶ重いがアランの腕を自身の肩にまわして立ち上がらせ、他の傷に障らないようゆっくりと歩みを進めた。伊達に村の荒くれ者を相手していない。貧弱に見られるが、患者を前にしたら馬鹿力だって沸いてくる。それが愛しい人、アランなら殊更だ。

(気を失っている・・・?)

なんとか患者用のベッドに横たわらせて、脈拍と呼吸を確かめる。どちらも異常がないことに一旦安堵して、リトは開けたままのドアへ向かった。

「アランは大丈夫だよ。お前もこんな遅くまでお疲れ様。頑張ったな。ありがとう」

アランの愛馬の首に抱きつき、今は美しさを失っているたてがみを撫で付ける。すると愛馬も顔をリトに擦り付けて、ゆっくりと自ら馬小屋のある裏に回った。

(四十と、五日ぶりだ・・・)

静かにドアを閉めて、足音少なくアランに近付く。
小さなかすり傷に加えて薄汚れてはいるが、瞳はいまだ閉じたままでも端整な顔立ちは健在である。

今回、王都の騎士団は国の命により、西の地に現れた魔獣討伐と被害地域の復興支援に向かったのだ。新種の魔獣らしく、対応出来ずに負傷者が続出し、森林や田畑、町や人家等は荒らされて、幸い死者はいないが住む所に食べるものが無ければそれも時間の問題。西国は壊滅に追われているようだ。

「いつ帰るとは安易に言えねぇ」

魔獣同士の交配は種族を問わず行われ、年々その数や種族が増えていくのが悩みだと聞いたことがある。魔獣の息の根を確実に止めるには魔法しかない。
今回の遠征は根絶やしにするまで終わらない、じゃないと被害地域はいつまでたっても平穏無事な生活を得ることが出来ない。
アランが言わずとも、リトは全てを理解し頷いた。

「いいか。俺のいない間にリトに危害を及ぼす奴がいたら、頭から毒薬ぶちまけろ」
「そんな事したらアランが帰ってくる頃には僕、牢獄だよ」
「あー・・・」

真剣に悩みだしたアランに苦笑いをしながら送り出したのが四十と五日前。そして今日、たった今、彼らはその任務を全うし帰還してきたのであった。


尽力してくれた愛馬に水と食事を与えると、今度はアランの番だ。裏口から部屋に入り、白手袋を外し、ブーツを脱がせ、身ぐるみを剥ぐ。これだけでもアランはリトよりだいぶ体格がいいので一苦労だが、見えた素肌には傷がなかった。その事に再び安堵する。外傷も少ない。呼吸も脈拍も正常。熱もなければ、あえぎ苦しむ様子も見えない。骨も内蔵もやられてはいないようだ。

「・・・肉体的な疲労、もしくは心労」

リトは沸いたお湯を使ってアランの体を拭い、診断結果を呟いた。だが普段のアランは肉体労働なんてものともしない。自身の任務後にも関わらず、若い騎士団が遠慮を申し出るほど連日の稽古で自ら剣を抜き指揮をとる。それに幾ら新種の魔獣とは言え、アランはそれに屈しない。むしろ今日はどんな魔獣を仕留めたか、リトに誉めてもらいたい一心で鼻高々に語るのだから、魔獣に対してはむしろ好戦的である。被災地支援も今回は魔法の力を借りる為、数々の賢者が出向いていったと言うのは国中に広がった拍手喝采の事実である。最悪の事態には至らなかったと一月前の新聞で読んだのだから、アランが心を痛める要因はないだろう。

「どうしたのかなぁ」

目を覚まさないアランは顔立ちが整っている分、静かに目を閉じていると仮死しているようでヒヤリとしてしまう。かぶりを振って、リトはアランの髪を撫でた。彼も愛馬同様に艷がない。思えば、衣服をまとっていた部分に傷はなく、代わりに素顔にはかすり傷、軍服や髪には泥や草が付着していた。

「あの子から何度か落ちたんだな」

騎乗の姿勢すら保てず落馬して、わずかな力で愛馬へ這い上がり、それを繰り返してやっと辿り着いたのだろう。

「・・・おかえりなさい」

頬から顎をするりと撫で、薬品棚から二つの瓶を取り出した。一つは一般的な傷薬。もう一つは、以前リトが死の森で見つけた花をゲル状にしたものだ。
あれから調べた結果、死の花の効能は調合した薬草と混ぜ合わせれば効果を倍に促す事だと解った。城に仕える医師やリト憧れの軍医と共に出した結論なので、間違いはない。さすがに万能薬は存在しないのかと落胆はしたが、その為に医師が存在するのだ。

(僕は僕のやれることを精一杯)

吐きそうになった溜め息を深呼吸に変える。
乳鉢の中で傷薬と花の薬の二つを均等に混ぜ、アランの顔の傷に塗っていくと、わずかにアランが身動いだ。長いまつげがふるりと震える。

「・・・ん」

そして久しぶりに見えた蒼い瞳がリトを捉えると、柔らかく弧を描いた。

「・・・おう、リト。ただいま」
「おかえり・・・」
「なに?くすぐってぇ」
「顔、擦りむいてるから薬塗ってる」

聞きたかった声は掠れていたが、咳き込む様子はみられない。
傷薬を薄く伸ばしていた人差し指をそっと離して、ベッド脇に乗り上げた。それを目で追っていたアランがピクリと指先を動かすが、腕が持ち上がることはなかった。そんな自身に舌打ちをつく。

「くそ、疲れた。さすがに魔力使いすぎて、指一本動かすのも億劫だ」
「・・・魔力」

魔法が使えないリトは、魔力を使うという感覚がわからない。使えば体力も減るというが、体力が回復したら魔力も戻るという訳でもないらしい。気性が荒ぶれば暴発することもあると言うし、目の前の敵に怯んだり心が弱まれば上手く発動しないとも聞く。だからこそ鍛えた器に揺るがない精神、国家を裏切らず忠誠を誓う、心身ともに国に認められたトップクラスの者でないと王から魔力を分け与えてもらえないのだ。

「アラン、お城に行こうよ。ちゃんとした医師の所で、魔力が回復するまで看てもらおう?」
「俺は看てもらうならリトがいいって、言ったよな」
「言ったけど、あれは・・・」

確かに以前、死の森の茨で傷を負ったアランは、看てもらうのは軍医よりリトがいいと明言はした。しかしそれは今と違い、リトが原因と治療の方法を知っていたから対処が出来た話であって、分野が魔力となった今は全く自分は使えない医師だ。
出会った当初みたく、単なる村医者の自分と国に認められた魔力を持つ医師を比べて謙っているリトにアランは苦笑する。

「外傷はそんなになかっただろ?さすがに疲れはあるが、別に魔獣にやられちゃいねぇしピンピンしてるよ。うちの軍医にもお前はお抱えの医師に治してもらえって言われたし」
「・・・魔力の回復方法なんて、僕、解らないよ」

指一本も動かせないというアランの指先をきゅっと握る。

「深く考えるな。人形に心を与えるようなもんだと思え」
「うん?」
「魔力は心身ともに食っていくから、まずは体力の回復。それで体が使えるまでに戻ると、あとは気を満たすだけ。俺も直に体は並みには動く」

ふぅん、とリトは脳にメモを取る。
つまり今のアランは魔力の消費によって体力も人並み以下──並み以下だと言ってもアランの言う並みは一端の軍人かそれ以上だと言うことだろうけど。

「気を満たすって、どういうこと?」
「あー。例えば、戦場で見るも無惨な現状を目の当たり、ひどい怪我や病気で気が滅入って英気が養えない奴もいる。そういう奴は有り余る体力とは裏腹に魔力が上がらず、魔法使いとしては使いもんになんねぇんだ」
「・・・それはつまり、心の傷が癒えたり、負の感情が払拭出来て、元気になればいいって事?」
「平たく言えばな」

握っていたアランの指先がクンと曲がった。
逆に握られた感触に視線を移せば、リトより大きな手が指先全てを交差して絡めるようにさらっていく。

「アラン、手が動いた──」
「うちの団員にもな、既婚者はいるんだ。どんなに疲れてても“俺は家に帰る”って宿舎で休まず真っ直ぐ帰るから、休む場所なんてどこも同じだろって、わかんねぇなって、思ってたんだけど・・・」

持ち上がった空いた手でリトの頬をするりと撫でながら、アランは苦しそうに微笑んだ。

「わかるなぁ・・・」

堪らないと訴えるように噛み締めて言うアランの指が、慈しみを込めて頬から頭へ移動し髪を梳く。
その慈愛に満ちた優しくて熱い眼差しに耐えきれず、リトは顔を赤くして目線をそらすが手は払い除けないし、距離をとらない。

「ア、アランの言う気を満たすって・・・あの」
「俺の場合はリト不足の解消」
「・・・っ!」

けろりと当然の事のように言うアランに顔から火が出そうになった。
しかし確かに、先程はピクリとも動かなかった指先や肩が、今はリトが指を握った事により──否、薬を塗る為に顔に触れた時から反応があった。

(な、なにそれ!)

過酷な現場でも強大な魔物相手でも気丈に振る舞うアランが、ただ一人、自分がいないことだけで、何を、そんな。

「・・・はっ!アランがよく僕に今日はどんな魔獣をやっつけたとか、どこを救ったとか話すのって、まさか」
「リトが俺を褒めれば褒めるほどやる気が出てくるから」

子供か!褒めたらのびる子供か!
はくはくと口を開くがリトの気持ちは言葉にならない。アランが面白そうに自分を見てくる視線にいよいよ参って、足元まで下げていた厚手の毛布を引っ張りあげるとアランの隣に顔を隠すように引っ付いた。

「・・・四十五日。僕も寂しかったから、今日は一緒に寝る」
「そうか。何もしてやれねぇのが心苦しいな」
「何もしなくていいからっ!」
「夜中だぞ、静かにしろ」
「〜〜もうっ!」

思い出したようにベッドの側に置いていたランプを消すと、室内は夜本来の暗さに戻る。再びベッドに横になると、アランの指がリトの耳をくすぐった。

「俺はリトがいたら充分なんだって」

リトに魔力はないけれど、胸の内からじんわりと何か温かいものが込み上げて、身体中が一気に幸福に満ちる気がした。
気を満たすとは、こういう事だろうか。
そうだと良いなとアランにくっつき、温もりを与えるように寄り添った。



おわり



本編中で魔法がなんたるかを書けなかったので。そして白い愛馬ちゃんの名前を考えなくては。

小話 73:2017/12/30

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