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「慶吾さん、貴方ね、あんな得たいの知れない宗教団体に多額の寄付金を与えようとしないでくださいよ」
「うん?でも困ってると言っていたし、あれは僕のお金なんだから」
「資金運用の宛が明確でないのは怪しすぎです!それに慶吾さんのお金だと言うのなら尚更大事に使ってください!」
「そうか。それなら経済を回しに行こうか」
「お買い物ですか?えぇ、その方が余程まともで利口です」
「よし、決めた。徹君の新しいスーツを買いに行こう」
「こらぁっ!」

徹が慶吾に向かって拳を上げるが、それがポーズのみと解っているから慶吾はどこ吹く風と飄々としている。

「買い物の前に、まずは食事にしよ?実は予約をいれてるんだ」

いかにも上等なコートを羽織り、冬空の冷たい空気の中でも凛としている慶吾という名の男は徹の主人だ。
更に言えば徹の雇い主は慶吾の父親なので、正しくはその父が主人なのだが、彼が徹に下した仕事内容は『息子の慶吾に纏わる家政と事務の監督』だった。つまり執事だ。先代から大きな事業を受け継いできただけに、父親にとって一人息子の慶吾は大事な跡継ぎ。しかし持って生れた性格と決められた将来への反抗心が合間って、慶吾は大学進学を視野にいれる時期に入っても、常にふらふらと遊び歩いたり、登校しても寝ていたりサボったり、常に単位ギリギリの生活を送っていたのだ。

「今日から慶吾君の家庭教師としてお世話になります」

実際はお世話する立場だが、そこで召喚されたのが徹だった。
たまたま徹の父親が慶吾の父親の会社の社員で、徹が慶吾の進学先と見込んでいる大学の在校生で、父親の会社の社長の頼みと高賃金を目の前にぶら下げられては断る方が無理だった。
絵に描いたような金持ちの家で、坊っちゃんの勉強をみるなんて。
(絶対我が儘に育って金にものを言わせてる奴だよな。連日不良達と遊び歩いてんだよ、きっと)
一体どんな荒くれ坊っちゃんなんだと慣れないきらびやかな内装の一室で徹が萎縮していれば、現れた慶吾は憮然とするよりも、一瞬驚いてはいたものの、すぐに「どちら様でしょうか?」と友好的な笑みを徹に向けた。
自分よりも背が高く、顔立ちも大人っぽい。一見するとどっちが大学生と高校生か見紛うが、笑った顔は年相応。どこか漂う清潔感には想像していた荒くれ者なんて微塵も感じさせず、むしろ育ちよく躾けられた、いいイメージのお金持ちのお坊っちゃまだ。
少し安堵して自己紹介をすると、家庭教師というワードに慶吾は眉をひそめて首を傾げた。父親曰く、先方には話をつけていると聞いていたが。

「あれ?聞いてなかった、のかな?」
「・・・ああ、いや、確か父がそんな事言ってたような・・・今日は早く帰るようにとしか耳にいれてなくて、うん、聞いてた、聞いてなかったけど」

一人首を捻りながら記憶を引っ張り出すようにしている慶吾に、やっと徹の体から力が抜けた。

「まあ知らなかったならビックリしたよな。ごめんな。とりあえず今日は顔合わせだけで、明日からって話だけど」
「ふーん?」
「気が乗らなかったら勉強しなくてもいいよ。知らない人といきなり密室でマンツーマンとかきついだろうし、まずは」

すっと右手を差し出した。

「仲良くなろう」

まずはコミュニケーション。
警戒心や不満を抱かれたままの勉強だと、話を聞くのはおろか、詰め込むものも入らない。なんならエスケープだってされかねない。
しばらく呆然と見ていた徹の手の平から視線をあげて、慶吾は家庭教師と名乗る男を見た。
それからぎゅっと手を握り、ふにゃりと笑う。

「徹君」
「・・・徹君?俺年上ですけど?」
「だって徹君、僕より小さいし、年上って感じしないもん。それに徹さんより徹君の方が、仲良しっぽい」
「なんだそれ」

話しながら手を上下に降る慶吾に呆れながら、お返しとばかりに握り返す。

「ま、何でもいいよ」
「明日から、よろしくお願いします」
「こちらこそ」





意外に人懐っこい性格らしい慶吾は徹の言った「仲良く」を気に入ったようで、すぐに徹に溶け込んだ。徹の話し方が砕けてようとも、それも気を許している証だと捉えたようで、特に何かを言われることはなかった。

家庭教師として、まずは現在のレベルを把握せねばならない。そこで学校で使用している教科書とノートを見せてもらって、落胆した。ノートが白い。教科書はほぼ新品だ。折り目すらない。両方にあるのは犬や猫のイラストがちらほらと。小学生の方が懸命に書き込むだろう。

「お前は〜!」
「だって授業つまんないし」
「明日から毎日ノートチェックするからな!毎日ノート書き込めよ!」
「え、毎日?」
「毎日だ。毎日学校行けよ?」
「じゃあ毎日ウチ来るの?」
「来るよ。そういう契約だし」

実際は大学生活に支障がない程度だ。色々締め切りに追われるものや、試験日は勿論そっちを優先するように慶吾の父親に言われているし、徹とてそのつもりだ。しかし行かない日もあると告げれば、きっと気を抜いて授業をまともに受けないだろう。

「だから覚悟しろよ」
「うんうん。解った。毎日ノート書く」

素直に頷いた慶吾に良心は痛むが、手綱は常に握っていなければやってられない仕事である。
そして慶吾に書写の癖がついた頃に、徹お手製の基本と応用を混ぜた数学の問題を解かせてみると、それは全て丸印で埋まってしまった。

「なんだ、出来るじゃん」
「勉強は嫌いじゃないよ」
「へ?」

話を聞けば、普段遊び歩いてると言っても予想していたような悪い友人とつるんでるわけじゃなく、一人で図書館や動植物園に行ったり、祖父母の家に遊びに行ったりしていたらしい。電車によく乗るので、はじめは券売機でキップを買うのすら戸惑ったが、今じゃICカードが常に満額だと誇らしげに笑っていた。学校での態度も、出席日数が少ないから席は窓際の後ろに追いやられてる為に、日差しが睡魔を呼び寄せると悪びれもなく語っていたが、教室は息苦しくて長くいられないとも苦笑していた。

「あの雰囲気って言うの?友達ってのもいいと思うんだけど、組織みたいな、ギスギスした感じがねぇ。あと女の子がすごい見てくるし。だから学校あんまり好きじゃないんだよね」

女の子がすごい見てくるのは、間違いなくそのルックスと背景にある次期社長の肩書きだろう。そして他のクラスメイトはそれに対する妬み、敬遠、恐縮か。徹もはじめは似たような感情を持っていたが、今となって慶吾に感じるのは孤高だ。
満点をとった慶吾の頭をご褒美とばかりに撫でてやると、サラサラの髪の下でくしゃりと笑った。





「僕が社長になる頃には、徹君は社員になってるの?」

徹が採点中は、慶吾は手持無沙汰で暇である。
今日も今日とて丸印ばかりを紙面に浮かべながら、徹は赤ペンを走らせていた。

「どうかなぁ。父さんが働いてるからって、同じ会社で働く理由にはならないし」
「えー。うちの会社入りなよ」
「じゃあお前が社長になったら雇ってくれ」

会話のキャッチボールの中で生れた言葉だ。

「うん」

それよりも今日も満点であることに気を良くしていた徹は、慶吾がどれほど優しい顔をしていたか知るよしもなかった。





「ねぇ、卒業式来てくれる?」
「俺が?慶吾の母さんが行くんだろ?」
「だって僕が高校卒業出来るのは徹君のおかげだし、うちの両親だって徹君には感謝してるもん」
「・・・ああ、うん」

思い返すのは慶吾の成績よりも、まずは生活態度が向上した頃だ。決して両親の慶吾に対する愛が欠落していたわけではないが、両親の説得も聞かずにのらくらとしていた慶吾が毎日学校に通い、授業を聞いて、放課後はきちんと帰宅して徹と勉強している姿に泣きながら感謝されてハグと握手を何度も強要されたのだ。あれは慶吾が引き剥がしてくれなかったら終わりが見えない儀式だったと、今になっても笑みが引き攣ってしまう。


年月を重ね、慶吾が卒業間近になり、徹も大学の四年を終わろうとしていた。家庭教師と平行しながら就職活動をしていたが、これといって手応えがない。いわゆる就職難民になっていたのだ。情けないなぁと、慶吾の自室にて彼の帰宅を待ちながら肩を落としていた徹を手招きするのは、その彼の父親だった。

「君さえよければ任せたい仕事がある」
勿論、給料や保険は我が社の社員と同様の扱いだといきなりの厚待遇に徹は目を丸くした。
そして仕事内容を聞き、時は冒頭に戻る。

話し方は一応、主と執事と言う形なので改めてはいるがたまにボロが出る。はじめは徹が慶吾のことを「慶吾さん」と呼び、敬語になったことを不満としていたが、たまに出るボロを慶吾は楽しみにしているようだ。

「だって僕の前でしかボロが出ない」
と愉快そうに笑う慶吾を疎ましげに睨んだのは最近の話だ。
寝食も慶吾宅で共にするようになり、これからは徹底して慶吾の大学生活中のサポートをしなければならい。それは慶吾が先代の会社に就職するまでだ。これまで以上に勉学に励むように指導して、社会人としてのスタートに立てるまで見届けなければ。それに学生と言えど、社交界というものにも出なければならないそうで、今まで以上にエスケープ癖を矯正させないといけないので責任重大である。

「徹君、このお守りを買うと幸運になれるって。お揃いで買う?」
「待て待て待て待て!」

カラフルなストーンを両手にしている老人から慶吾の腕をつかんで引き離す。思いの外すんなりついてきたので始めから購入意欲はなかったようだが、こうも歩く度に掴まるのはやめてほしい。

「も〜、お前は本当に!」
「徹君、僕がこんなんだから目が離せないでしょ」
「自覚してんなら改善しろよ!」
「徹君、言葉遣い」

指摘されてハッと口をつぐむがもう遅い。
けらけら笑いながら、今度は逆に腕を引いて先を歩く慶吾は数メートル先の小さな洋食店の看板を指さした。

「徹君、徹君。予約してたお店あそこだよ。僕がふらふらしてた時によく行ってたお店。おじちゃん元気かな〜」
「意外に普通・・・良かった」
「徹君、いいところだとガッチガチだもんね」
「うるさい」

ばちんと肩を叩くが、慶吾はまたも愉快そうに笑うだけだ。白い息が大きく浮かんではすぐに消える。

「徹君、今度僕の試験が終わったらさ、電車で動物園に行こう。象が見たい」
「はいはい。でも試験の結果次第だからな」
「うん。だからまた勉強見てね」

ニッコリと笑って言う慶吾は、小さな洋食店のドアを開いた。懐かしいカウベルがカロンと鳴ったのを聞きながら、徹は思う。
目が離せないのは昔っからだが、どうやら勉強熱心になったらしいのは喜ばしいことだ。
店主に挨拶している慶吾を見ながらのどかな気持ちになっていた徹が、慶吾の両親が次期社長の秘書枠を既に用意していることを知るのは、また数年後の話である。



おわり


小話 71:2017/12/28

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