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※暴力・無理矢理の性行為描写あり





三つ年下の幼馴染みは、いつもとろい割りに一生懸命に孝信の後ろをついて回るような奴だった。

「たかちゃん、たかちゃん」

名前を呼び、息を切らして、振り返った孝信に「足がはやいね」「かっこいいね」と額に汗しながらにこにこと笑うような奴で、孝信もそんな幼馴染み──岬を、歩幅を合わせることはなかったが、少なからず可愛がってはいたし、呼ばれると無意識に口角は上がった。

成長するにつれ、付き合う友達や好む環境のベクトルに差違は生じたが、顔を合わせれば話しはするし、お互いの家に遊びにいったりもする。それは高校を卒業した孝信が一人暮らしを始めても、変わることはなかった。


「彼氏ができた」

何事にも動じない孝信だったが、恥じらいながら言う岬にはさすがに面食らった。

「・・・は?」
「あのさ、」

聞けば、以前融通をきかせて連れて行ったクラブで孝信が目を離した隙に声をかけてきた男だそうな。
ドリンクを取りに行き、まとわりつく女を適当にあしらっている最中の出来事である。半ば強引に連絡先を交換させられて、ちまちまとやり取りを繰り返した結果、らしい。
孝信は必死に男の顔を思い出した。あの時は戻ってきた孝信を見ると、そそくさと去っていったが、何度か見かけたことのある顔だった。

お前そいつ好きなの?
何で言わなかった?
大丈夫かよ。

疑問は全て、孝信自身が自分には関係のない事だと飲み込んだ。
自分に女の影があろうとも、岬は何一つ孝信には聞かなかったのだから、第三者が口を挟むのは野暮だろう。それならこの年下幼馴染みが幸せになれるよう見守るのが、きっと自分の役目なんだと孝信は自分に言い聞かせた。

「ま、上手くやれよ」
「えへへ、うん、ありがとう」

顔を染めながら笑った岬の頭を撫でてやる。
この頭を撫でるのも、自分の部屋に来るのも、その笑顔を見せるのも、もう無くなるのかと思えば孝信の胸はつきんと痛んだ。

(あー・・・)

彼女という存在は両手ほどいたが、それは孝信にとって初めての失恋を知らせる痛みだった。




案の定、学生は春休みだと言うのにあの日以来孝信の部屋に岬が訪ねることはなくなった。
岬にとって出会いの場となるクラブにも行く気なんて到底なれず、そもそも進学した際に悪い事とは決別したのだから騒ぐつもりは既になかった。一ヶ月は経っただろうか。バイトも非番で適当に引っ掛ける女もいない。なので環境を同じとするかつての悪友達と適当に時間を潰していたのだが、その帰り、すっかり日の落ちた暗い最寄りの駅で見慣れた後ろ姿を見かけた。
見間違えるはずもない。

「岬?」

華奢な後ろ姿が震えた。
孝信が家を出たので双方の家に距離が出来たのだから、岬が孝信の家の最寄り駅にいる意味なんてひとつしかない。

「珍しいな、こんな時間に何──」

顔を覗き込んで、息を飲んだ。

「た、たか・・・」

泣いていた。

「おい、どうした」
「・・・っ」

ぼろぼろと涙が零れるのを慌てて孝信が両手を使って払っていくが、次々に流れるそれはいっこうにやむ気配がない。

「岬、うちくるか?」

こんな場所にいるのだから、自分を頼って来たのだろう。
しゃくりあげながら頷くのを確認するや否や、孝信はタクシーを捕まえた。



自宅に上げても岬は息苦しそうに泣くだけで、話の全容が見えてこない。

すっかり春の夜風に冷えた岬を思い、風呂の給湯スイッチを押してから、孝信は岬がいつも使っていたブランケットを掛けてやった。

「岬、何があった?」
「・・・あの・・・」
「・・・あの男と何かあったか?」
「・・・」
「そうなんだな?」
「・・・んぅ」
「話せるか?」
「・・・っ、」

ひどく怯え、時間をかけて、言葉をつまらせながら話すのを、孝信はその都度流れる涙を拭ってやりながらじっと聞いていた。


──それは酷く、孝信の心を揺るがす内容だった。

彼氏の家に呼ばれた今日、肉体関係を迫られ、まだ心の準備がなかったにも関わらず衣服を剥ぎ取り、無理矢理口淫を強要・・・つまり、相手のものを口に突っ込まれたらしい。
泣きながらはくはくと浅い息を繰り返すその唇を、孝信は思わず凝視した。
相手が達した際に顔にかけられたことに呆然としていると、顔が汚れたままにベッドへ倒され、嫌だと拒絶した手淫に耐えていると、涙でぼやける視界の中で、相手が手にしているものに気が付いた。
スマホだった。
ずっと岬に向けられて、撮影されていることにハッとしたが、自分は全裸で相手に自身をしごかれているというあられもない姿に絶望しかない。
泣きわめいて、やめてと叫んでも、相手はスマホ越しの岬にニヤニヤしているだけで、結局岬が達するまで全てを撮られていたらしい。

「お前、まさか最後まで──」

岬は弱々と首を横に振る。
岬が散々泣き叫ぶと相手は一度達したし、萎えたと言って開放してくれたそうだ。
しかし慌てて服を着て、逃げ帰ろうとした岬に「またね」と笑顔で一言言い放ち、男のその手にはしっかりとスマホが握られていた。


「どうしよう、たかちゃん・・・」

ネットに流出や、ゆすりのネタにでもするのだろうと岬は泣いた。
自分は高校生でお金もないし、受験だって控えている。親には言えるはずもない。こんな汚い自分をネットに流され、知り合いは勿論、誰かもわからない人の目につくなんて、死んでしまいたいと、声を上げて岬は泣いた。
岬の泣き顔は、小さい頃から今までにいくつも見たことがある。しかし、今みたいな悲しみのど真ん中で恐怖に怯えてるような泣き方を、孝信は知らない。

腹の底から煮えたぎった感情は、瞬時に頭へのぼり、何かがぷつりと切れた気がした。

「・・・岬、風呂行くぞ」
「・・・あ・・・うん、僕汚かったね、ごめん、なさい・・・」
「は?お前は汚くねぇだろ」

岬の手首を掴んで風呂場に向かった。脱衣所で服を脱ぐことにためらった岬だが、孝信が無理矢理「ばんざいしろ」と言えば両手をあげる素直さに、少なからず穏やかな気持ちになってしまう。
雑に扱われたにしては、岬の身体に鬱血痕や傷はなかった。
あの男が自分の性欲を第一に優先したということか。
面白くはないが、安堵した孝信は、岬に続いて服を脱いだ。二人で風呂にはいる事は、お互いに抵抗はない。


「綺麗になった気がしない」
「どれ」

湯船に一度頭まで沈んだ岬を引き上げた。
お湯で濡らした温かいタオルで顔の造形ひとつひとつを辿るように拭いていく。ついでに耳も中まで拭ってやると、気持ちいいのか岬はぼんやりと孝信を見つめてくるので笑えてしまう。

「ん。綺麗なった」
「そーかな」
「上等」

孝信が頬に噛みついてやると岬は驚いた声を発していたが、汚された箇所を直に触れられた事で、今日初めて笑顔を見せた。
それから攻防はあったものの、孝信に全身を洗われてぐったりしている岬に自身の部屋着を被せてベッドに放り投げると、水を取りに行くついでに岬の自宅へ連絡を入れた。岬が幼馴染みの家に泊まりに行くのはざらなので、すんなり許可が降りたのはありがたい。
もうひとつついでに、孝信は先程まで一緒にいた悪友へメールを打った。


孝信のベッドで並んで横になるのも二人には違和感のない習慣だが、さすがに今日は岬が距離を取ろうとしたのを強引に抱きしめた。

「たかちゃん?」
「お前綺麗だから、全然余裕で抱きしめれるわ」

グッと胸元に引き寄せると、岬の額が擦り付けられる。

「たかちゃん、僕どうしよう・・・」
「俺が何とかしてやっから心配すんな」
「でも」
「人の目とか親が気になんなら、春休み中は俺んちにいていいから」
「・・・ありがとう」

最後は少し涙声だったが、おずおずと回された手は、確かに孝信を信頼している証明だった。





バイトに行くから待ってろと、翌日の夕方に孝信は家を出た。
岬の親は「孝信君が迷惑じゃないなら」と長期滞在を難無く許す。岬は孝信の部屋着のまま、いってらっしゃいと手を振った。

バイトに行くと言うのは嘘だ。
バイクを走らせる孝信はオフィス街へと向かい、昨夜に連絡を入れた悪友二人と落ち合った。

「わお。鬼より怖い顔」
「ここでは騒ぎ起こさないでくださいよ」

孝信を茶化す二人に舌打ちをつくが、信用のおける人物だ。
過去に二人とよくつるみ、良いことも悪いことも体験してきた仲で、例のクラブの出入りも常連だった。この二人の人脈と口利きを頼りに岬の男と名乗る人物を洗ってもらっていたのだ。
大卒の社会人一年目。仕事になれた頃に遊びを始め、岬に目をつけたらしい。

「あ、ほら。来たよ。あいつだ」

大きなビルから出てきた細身のスーツをまとった男は、やはり見覚えがある顔だ。
スマホを弄りながら歩くさまに、孝信の中で昨晩の煮えたぎりが再燃する。

「だから顔!顔怖いって!」
「ちょっと行ってきますね。この人落ち着けといてください」
「俺の仕事でかすぎじゃね?タカ、どーどー」

冷静な方の連れが、ふらりと男に近寄った。
口火の切り方は不明だが、実にスマートな入り方で接触し会話をすると、ビルの狭間に待ち構えていた二人のもとに男を誘導してきた。途端に一発。

「・・・っっ!?」

孝信が男の鳩尾に拳を決めた。
あーあ、と悪友二人は顔を見合わせたが咎めはしない。咳き込みながら沈んだ男の手から、スマホが滑り落ちる。弄っていた最中の為ロックはない。ホームからアイコンを探し、適当に片っ端から模索して、見つけた。

「おい」

突然の事に理解と息継ぎが追い付かない男の前髪を掴み上げ、停止させた動画の画面を突き付ける。

「お前、これ誰かに見せた?ネットに流した?」
「は、あ?っつかお前、くそっ!なんだよ、離せよ!」

腹を押さえながら睨み付ける男は、スマホを取り返そうと手を伸ばすが叶わなかった。明るい方の連れが、その手を踏みつけたからだ。
冷めた目で地面に縫い付けられた男を一瞥し、動画を削除する。スマホは冷静な悪友に手渡した。

「んじゃ、俺達お兄さんのお家に行ってきまーす」
「連絡は追ってしますから」
「おー」
「ほらほら、立ちなよ、お兄さん。・・・痛いとか甘えたこと言ってんなよ、あぁ?」
「貴方、自分のしたこと解ってます?」

男を二人が取り囲んだのを尻目に、孝信は唾を吐いてバイクにまたがり岬の元へと帰宅した。




──二人から連絡があったのは朝方だった。

自宅にあったカメラやパソコン、メモリースティックやカード、閲覧履歴、登録サイト、SNS、他者とのメールのやり取り、外部へのバックアップ、パスワードが必要なものは自白させ、隅から隅まで調べあげた結果、岬の動画は流出していなかったそうだ。

孝信の連れいわく、二度と岬に変な気を持たせないようしっかりと体に言い聞かせてきたらしい。
孝信とて岬にした仕打ちを考えたら、昨夜の一発なんて全くもって物足りない。しかしあんな奴に時間を割くなら、岬の側にいた方がずっと有意義だという結果に至り、昨夜も岬と共に就寝したのだった。

ただ、男は暴力だなんだと叫び、警察に通報するとまで言ったそうだが、
「岬君はずっと泣いてる。今もね」
そう伝えると、意気消沈して、その場に脱力したらしい。その姿を見るに、男が岬に惚れていたには違いないようだった。
つまりはただの恋人のハメ撮り、ズリネタだ。

「関係ねぇよ。岬を泣かしたんなら、それが全てだ」
「はいはい。じゃあ俺らも帰って寝るわ〜」
「あぁ、サンキュ」
「・・・岬君、大丈夫?」
「あー。俺の横で寝てるけど?」
「うーわ。それ意味違うでしょ。ただの純粋な睡眠でしょ」
「うっせーよ」

鼻で笑ったところで通話を切ると、先日同様に隣でぴたりとくっついて眠っていた岬が身じろいだ。しばらく見ていれば、うっすらと目が開く。

「・・・たかちゃ」
「ん、わりぃ。やかましかったな」
「んーん」

孝信が布団にもぐると再び岬の目が閉じる。
どうやら眠いらしいが、まだ朝の五時だ。二度寝だって許される時間帯である。
耳をくすぐりながら、孝信は静かに囁いた。

「岬、安心しろ。俺が守ってやっから。ずっと」
「・・・ずっと?」
「外に出るのが怖けりゃ、俺んちにいて、飯でも作って俺の帰りを待ってればいい」
「・・・たかちゃん」
「な?俺の嫁になっちまえよ」

よめ。
夢うつつに岬が復唱して、ふわりと笑った。

「ほんとはずっと、たかちゃんのお嫁さんになりたかった」
「なんだそれ、可愛いな」
「でもたかちゃん、どんどん先に行って、色んな人と付き合うから、無理だなって」
「でも今、叶えてやれたろ?」
「・・・ほんとだね。たかちゃん、すごいや」

小さい頃と変わらない、純粋に自分を慕う笑みを浮かべ、もう一度岬は夢の中に落ちてしまった。

「・・・おやすみ、岬」


果たして、岬に真相はただの恋人の遊戯だったと教えるべきか。
動画は流出していないと、この世から消えてなくなったと教えるべきか。

いいや、教えない。
考えるまでもない。
もう誰の目にも岬を映させない。
岬の心も渡さない。

岬の不安要素はこの世に存在しないが、それに怯え、一人の男に震える姿からすぐにでも開放してやりたいが、そうはさせない。

孝信は笑った。


「俺が幸せにしてやるよ、岬」


果たして一番悪いのは──。




おわり


こんな夏真っ盛りに設定を春にしてるのは春に書き始めたからでした。

小話 55:2017/08/05

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