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俺は欲張りだったんだ。
慶史郎が男女ともに人気なのは、出会った頃から知っていた。
高校二年生の時、話した事も、同じクラスになった事もない慶史郎がブリキの兵隊みたいにぎこちない動きで俺の目の前まで来たかと思えば、白い肌を真っ赤にして「好きなんだ」とハッキリ言った。
今でも覚えてるよ。


「なんだか久しぶりだね。会いたかったよ、昌也」

あれから付き合いだして、今年で丁度十年だ。
父親の会社の一部を任された慶史郎は、日々忙しく過ごしている。久しぶり。本当に久しぶりだ。俺はお前が髪を切った事も知らなかったよ。あぁ、うん。出来る男、ビジネスマンって感じで似合ってる。

何とか都合をつけて呼び出した喫茶店。
ウェイトレスに頼んだコーヒーが運ばれてから、慶史郎は微笑みながら首をかしげた。

「それで、話って何かな」

きた、と唾液を飲んだ。
俺は視線を落とし、膝の上の拳をさらに握る。

「・・・別れたいんだ。別れてほしい・・・」

言葉を発した途端に、自分の鼓動だけしか聞こえなくなった。
店内のBGMも、客の話し声も、食器とカトラリーが当たる音も、何もかも聞こえなくなった。それほどまでに、自分の鼓動がバカでかく体内で響いているんだ。

「・・・理由は?」

間を空けて、慶史郎が静かに尋ねた。
こんな時でも慶史郎の声だけは、俺の耳にすんなり入る。

「け、慶史郎が悪いとか、心移りしたとかじゃないんだ。俺が、悪くて・・・」
「悪い?」

俺を責める音色ではなく、ごく自然に復唱される。
顔をあげると、少し目を細めて苦しげな表情の慶史郎が目に入り、俺は再び視線を落とした。決心が揺らぎそうになる。

「・・・慶史郎は俺とは違うって、ずっと分かってたんだけど、年々はっきり格差が開いたのを実感したって言うか。やっぱり取り巻く環境が違うって言うか」

一息ついて、
「住む世界が違うから、疲れたんだ」

顔を見て、はっきり言った。

「今日だっていつぶりだろう?こんな身近に住んでるし、連絡だっていつでもとれるのに、お互いのやり取りにタイムラグがあるし、実際、慶史郎は今日も三十分しか時間がないだろ」

横目に捉えたのは、窓の向こうの高級車。あれの後部座席から慶史郎が降りてきたにも関わらず、発車する気配はまるでない。
どうしても会って話したいことがあると言って、やっとの事取り付けた、この三十分間。
慶史郎はこのあとまた更に仕事に戻り、地方や海外に飛ぶのだろう。

「慶史郎の家で待ってても帰ってこないし、確実に会うなら会社で約束を取り付けなきゃいけないし」

それって取引とか業務連絡みたいだよなって、自嘲気味に笑った声が震えてしまった。

「そう言うの、恋人なのに、どうなのかなって」

メールをしても、着信を残しても、折り返しはいつも日付の変わった深夜や早朝、数日後なんてザラにある。

「慶史郎の仕事が忙しいのはいい事だ。慶史郎は社会から必要とされてるし、親御さんの期待もあるし、応援してるよ。本当に」

先に頼んでいたコーヒーで喉を潤すが、すっかり冷めて渋味が増していた。でももう味なんてどうでもよくて。

「世間の女性だって、慶史郎の事ほっとかないし、親御さんにも認めてもらえないし、俺の存在って、あれ?って思う事が多くなってきて・・・」

慶史郎がこんなにも忙しいのは、父親が仕事を無理に割り当てたってのもある。俺との時間を割けば、関係も自ずと消滅して、自慢の息子の目も覚めるだろうと言う策略込みで。
それに恐れ多くも、慶史郎は言い寄ってきた相手に男性のパートナーがいると公言している。それでも、慶史郎の唯一の女の枠を狙う人は多い。男が好きでもいい、愛がなくてもいい、それでも本妻の枠は自分に欲しいと。
将来有望株の慶史郎が俺に固執するから、両親も女性達も躍起になっているところがあるのは、もうずっと前からだ。

「俺、慶史郎のなんだろうって考えたら、止まらなくなっちゃって・・・」

俺の存在を無視して、慶史郎の世界は忙しなく動いていく。
俺の両親や一部の友達は理解してくれている。それでも、それだけじゃダメなんだ。
俺が欲張りなんだ。

「好きだけじゃ、どうにもならない事ってあるんだよな」

俺が、慶史郎の世界を変えても慶史郎が欲しいと思えば思うほど、俺達は上手くいかなくなるんだ。

「昌也・・・」
「慶史郎には感謝してる。こんな俺に好意を持ってくれてありがとう。高校生の時からずっと、楽しかったよ」

告白された時、何の冗談って笑い飛ばして、逃げて、追われて、捕まって。
戸惑う事のが多かったけど、好きでもなけりゃ十年なんて月日は経たない。
慶史郎の実家で門前払いをくらった時すら、二人でいずれ必ずと、笑いあえたのに。

「だから、自分の事も、慶史郎の事も、嫌いになる前に、別れたい」

俺の心が折れたのだ。

合鍵をテーブルの上に差し出した。
お揃いのキーホルダーを外した、無機質な銀色の鍵。貰った当初より、だいぶメッキが剥がれているのが歴史を感じる。

「・・・君は一度言ったら聞かないものね。そう言う頑固だけど、意思が強いところが大好きだよ」

諭すように、許すように、慶史郎が口を開いた。

「辛い思いをさせてごめん」

泣きそうになったが、グッと堪える。
今泣いてしまえば、感情がこぼれて俺はきっと慶史郎を諦めきれなくなってしまう。

「分かった・・・僕達、別れよう」

テーブルの上の合鍵を、慶史郎がスッと引き受けた。

ああ、これで終わったんだ、俺達。
終わらせたんだ、俺が。

待ち望んでいたはずの終幕は、やはり気分のいいものではなかった。
目を閉じてから深く肺に空気を入れて、気持ちを切り替える。
次に視界に入る目の前の慶史郎は、今はもうただの友人で、元彼だ。

「じゃあ、また付き合おうか」

あっけらかんと、その元彼が言った。

「は?」
俺は目を剥いた。当然だろう。

「だって話を聞くに、昌也は僕を嫌いになったんじゃなくて、置かれてる環境と立場に問題があるんでしょう?うん、辛い思いをさせて本当にすまなかった。でも僕も辛かったんだ。君に転居届けを頻繁に出させるのもどうかと同棲に踏みとどまってしまったが、やっぱりあの部屋は売り払って、しばらくは一緒にホテル暮らしかな。荷物や家具はレンタル倉庫に突っ込んでさ、仕事が落ち着いたら二人で住める部屋を探そう?」
「・・・え?」
「あ、いけないいけない。まずはスイートをとって、一から昌也を口説き落とすところからだね」
「あの、ちょ・・・」
「うちの親や女性の事なんか気にしないでいいからね。戸籍で並ぶのは昌也だけ、僕は昌也だけがいいんだ。仮に昌也と別れても、僕は一生誰も選ばない、生涯独り身さ。それは昌也と離れる意味ってある?ないよね」

ペラペラと饒舌に話す慶史郎が、身を乗り出して、俺の手を両手で握った。
いや、待て、ここ店の中・・・。
俺の泳ぐ視線なんてお構いなしに、慶史郎は笑顔で語りかけてくる。

「昌也の気持ちは受け入れたよ。僕達は一度別れたね。そして過去に決別して、新しく関係を築くんだ」
「な、に?」
「次に付き合う僕は、以前より改善されて、とっても素敵な僕だよ?」

十年前と違い、大人の余裕と魅力を充分に引き立てる、自信ある笑みだ。

(こいつ、今まで神妙な顔付きでしおらしく話を聞いていたくせに・・・!)

唇を噛んで震える俺に、慶史郎は更に手を握りこんできた。

「だって君は、一度言ったら聞かないからね」

ばちん、とウィンクされれば、俺は降参とばかりにあっけなく落城してしまう。

「あぁもう!そう言う奴だよ、お前って!」
「だてに十年の付き合いじゃないよね」

本末転倒ながら、慶史郎がとても清々しく笑うから、俺は泣きながら笑ってしまった。



おわり

小話 44:2017/04/19

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