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葵には可愛いお姫様がいる。
馬になれと言われたら喜んでなるし、あれが欲しいと言われたらバイト代を喜んでつぎ込むほどに夢中で、正直世界一可愛いお姫様だと思っている。
そんなお姫様に「結婚したいな」とモジモジしながら言われた時には、これからの人生、彼女に全て捧げようと誓ったくらい、葵の全ては彼女ありきだ。

「シスコン」

しかし世間の目は冷たかった。
世間というかクラスメイトだが、友人の葵を見る目は実に冷ややかだ。

「うるせー」
「すみちゃんって四歳?五歳だっけ?」
「今月で五歳!」
「そんくらいの歳の子は大概可愛いよ」
「群を抜いて可愛いんだよ!」
「わー・・・」

葵のお姫様──もうじき五歳になる幼稚園年中の妹、菫(すみれ)。
歳の離れた妹を、葵はそれはもう溺愛していた。率先してオムツ替えも遊び相手も寝かしつけもしてくれるので親は大変有り難がったが、その親すら時に引くくらい、葵の溺愛っぷりはひどかった。
自他ともに認める親バカならぬ、兄バカである。



「ただいまー!」
「おかえりなさーい」

学校から帰ると、幼稚園の制服から上下フリースのピンク色した部屋着に着替えた菫が、両手を広げて葵に向かってきた。
抱っこのポーズだ。

「あー、待って待ってすみちゃん。手洗いとうがいしてくるから」
「早くよー」
「はーい」

最近は女の子ぶって、語尾におかしな言葉が付いてくる。妙にニュアンスが違うそれを聞くのも葵の楽しみだ。
洗面所から一度部屋に入って葵も部屋着に着替えると、リビングで子供用の低い椅子に座った菫はおやつを食べていた。葵に気付くと座ったまま手を伸ばすので、葵は喜んでぎゅうぅっとハグをする。
おやつのドーナツを食べながら、たまに菫にもちぎっては口に入れて分けてあげながら、葵は菫の今日一日の話を聞くのが日課だ。今日も今日とて一生懸命に小さい口を動かし、たどたどしく言葉を紡ぐ姿が愛らしい。

「今日ねぇ、王子さまに会ったの。ね、ママ」
「そうねー、会ったねー」
母はソファーの上で洗濯物を畳んでいる。

「かっこよかったの」

まるで秘密を打ち明けたように小さな手を口にあてて、くすくす笑う姿がとても可愛い。
とても可愛いが、今なんて?

「・・・うん?」
葵は笑顔のまま固まった。

家事が一段落して話に加わった母によると、幼稚園バスの降車場所の一つである近所の公園で、帰宅してきた子供たちを遊ばせながら保護者達で井戸端会議をしていたら、菫のスカートが木製のベンチに引っ掛かったそうだ。菫は母も話に夢中で、友達も走り回っていた為に気付いてもらえず、どうしようもなくて泣きそうになっていたところを、ベンチに座っていた“王子さま”が助けてくれたと、そういう話だった。
母は娘が若い男と何か話している姿に慌てて駆け寄ると、どこで覚えてきたのか「おなまえは?」「いつもここにいる?」と頬っぺたを赤くしながら積極的に聞いていたそうだ。母に気づいた彼は頭を下げて、苦笑したらしい。葵より年上っぽいけど二十歳前後のいまどきの若者のらしく、おまけにイケメンだったそうな。

「か、かっこよかったから、すみちゃんの王子さまになったの?」
「かっこよかったけど、王子さまのおなまえが、王子さまだったの」
「え、王子さまが自分のこと王子さまって言ったの?」

うん、と菫は頷いた。
何それやばいやつじゃん!
葵は戦慄した。

「ちょっと母さん!すみちゃんに変質者近づけないでよ!」
「やぁね。変質者じゃなくてちゃんとした人だったわよ」
「すみちゃんに色目使うやつは皆変質者だ!」
「え・・・?」
「俺を指さすな!」

息子を変態扱いする母に憤慨したが、大声を出した葵に菫が泣きそうになったので慌てて菫を抱き締めた。

しかし
(王子様許すまじ・・・っ!)
嫉妬心メラメラだった。

幼稚園内で園児からダントツ人気のケンタ君より、お母様方から人気の保育士アツシ先生より「お兄ちゃんが好き!」な菫が初めて他の男に興味を持った。
これはやばい、と戦々恐々しながら過ごした一週間。

とうとう菫は言った。

「すみちゃん、王子さまと結婚するー」
「あーっ!!!」
葵は頭を抱えた。

王子様と出会ってから丁度一週間。
今日も例の公園で王子様に出会った(母が言うには探していた)結果、思いが飛躍したそうだ。

「今までお兄ちゃんって言ってたのに!お兄ちゃんと結婚するって言ってたのに!すみちゃんっ!お兄ちゃんは!?」
「お兄ちゃんは、お兄ちゃん」
「ぎゃー!!!」

葵の密かな将来像は、菫が泣きながら「お兄ちゃんとは結婚出来ないのね」と理解した年頃に、優しく「それでもお兄ちゃんはずっとすみちゃんのお兄ちゃんだから」と慰めるまでの形があったのだ。菫の初恋と初失恋をあたたかくフォローしてあげたいと思っていたのに。

「すみちゃんに捨てられたー!」
「ちょっと葵。まだそのポジョン取ったことないお父さんの前でそれ以上言わないの」
「ハッ!」

母の台詞に恐る恐る父を見た。
眼鏡を静かに拭いている。物悲しい。

「・・・えぇっと、ごめん、父さん」
「いや、いいんだ。娘はいずれ巣立つものだから・・・」

母親からの突き刺さる非難の眼差しを背中にあびて、その日のこの話題はお開きとなった。


しかし葵が“王子さま”と対面する日は早く意外にも来た。
菫の誕生日プレゼントを選びに、日曜に大型のショッピングモールに来た時だ。

「あーっ、王子さまだー!」

今まで“すみちゃんは可愛いから変な人に誘拐されないようにお兄ちゃんとしっかり手を繋いでようね”という約束を守り、ちゃんと葵と繋いでいた手をあっさり離し、菫は駆けた。
ピンク色の小さいムートンブーツがぱたぱたと音をたてるのを聞いたのか、先に立つ人物は振り返る。

「王子さま、こんにちはー」

ゴールよろしく、ブラックジーンズをまとった二本の長い脚に菫はひしとしがみついた。脚の長い人物は、何か言ってから菫の頭を撫でている。

「すみちゃん!何やってるの!」
「王子さまよー」

急いで菫の両脇に手を入れて持ち上げると、ぶらんと足が浮いた状態でも菫は嬉しそうに葵を見上げながら彼に指を向ける。人に指をさしちゃいけませんと指導するのは後回しだ。

(こ、こ、こいつが・・・!)
キッと睨み付けた相手は、確かに母の言う通り自分より年上に見えるがせいぜい大学生辺りだろう。

(しかもマジでイケメン・・・)
菫がかっこいいと、母もイケメンだと言っていただけあって、あか抜けているが上品さがある顔立ちだ。全身黒のコーディネートのくせに、不審者ルックどころか、逆に肌の白さと整った顔立ちを引き立たせている。

「こんにちは。おーじです」
「お?」

こいつマジで自分のこと王子って言った!
そんな驚きが顔に出たのだろう、王子様は指で空中に文字を書く。

「大きいに、道路の路で、大路です」
「王子さま!」
「あぁ・・・なるほど」

おおじ。
確かに、おーじ、王子さまだ。四歳の菫が聞き間違えても無理はない。

「えーっと、妹がお世話になったみたいで」
「あ、菫ちゃんのお兄さん?」
「はい」
「可愛いね」
「そうなんです」

どこに出したって恥ずかしくない自慢の妹だ。即答する。すると大路は一瞬怪訝そうな顔をしたが、葵が細く傷み知らずな菫の髪の毛を撫でながら言うもので苦笑した。

「お名前は?」
聞かれて、葵は大路に名乗ってないのに気が付いた。

「・・・葵です」
「葵君、ね」

確かめるように笑顔で問い掛ける大路が気にくわない。
それは恋敵だからとか、イケメンだからとか、スタイルがいいとか、嫉妬心からでは決してない。断じてない。
葵は菫の隣にしゃがみこみ、大路に向かって小さく手を振りながら菫に真似するように促した。

「すみちゃん。ほら、お買い物するからバイバイして」
「えー」
「えーじゃなくて、王子さまも忙しいんだから」
「ぶー」
「ぶーはブタさんだよ。すみちゃんはお姫様だから、王子さまにちゃんとバイバイできるよね?」
「・・・王子さま、またね、バイバイ」

またねの機会はなくていい!
菫が寂しそうに大路に手を振る姿は哀愁漂い大変心苦しいが、葵は立ち上がって菫を縦抱きすると、いい兄としての笑顔を貼り付けて、大路に一礼してから足早に踵を返した。
早々におもちゃ売り場でプレゼントを選ばせて気を紛らわせたい。出来るなら大路とやらを忘れさせたい。
ぐりぐりとグズるように頭を顎に押し付ける菫の背中を優しく撫でる。

「すみちゃんのプレゼント買ったら、アイス食べようか」
「アイスー?」
「すみちゃんが苺でー、お兄ちゃんがチョコでー」
「はんぶんこ!」
「半分こしようねー」

きゃー!と葵の頬に自分の頬をくっ付けた菫がきゃっきゃと笑う。ちらりと振り返れば、いまだ大路は葵達を見ていて、葵と目が合えばふわりと笑った。

(あ?)

思わず眉間にしわが寄り、菫を強く抱き締める。

「なんだあいつ、ロリコンか」

周囲の人物に言わせたら「シスコンが何を言う」と揶揄されそうだが、葵は抱えた宝物を隠すように背中を向けておもちゃ売場へ急いで向かった。

「・・・かーわいー」

大路の言葉に気付くことなく。



──無事に五歳になった菫を迎えに、テスト週間で早めに帰った葵は幼稚園バス降車場所の公園に来ていた。時間にはまだ早いらしく、他の保護者はまだ見えない。
母からは勉強しなさいよと言われたが、エンジンがかかるのは夕方からだ。迎えに行く気満々の葵に、それならとスーパーでの買い出しも頼まれた。

「すみちゃんと好きなおやつ選んでいいから」
「よし分かった」
「ありがとう。お米もよろしく」
「いやあ!」
上手くやられた。

お米を抱えたら菫を抱っこできないのが不満だが、片手でしっかりと手を繋いでおこう。あの日、大路と会った日は簡単に手を離されたけど。

ぎりぃっと奥歯を噛むと、肩を叩かれた。

「葵君、こんにちは」

──大路だ。
そう言えば初めて菫が大路に会ったのも、二度めに会ったのも、確か今日と同じ水曜日だ。あれから菫は大路に会えていないようで、会えたとしても遠目に手を振るとすぐに急いでどこかに向かうらしくしょんぼりしているが、葵の内心はしめしめである。

「・・・こんにちは」
「今日はお母さんじゃないんだね、学校は?」
「午前までで・・・」

なぜ声をかけてくるのだ。
一歩遠退いても大路は構わず、にこにこと「へぇ〜」なんて相槌をうってくる。

「俺水曜は講義とバイトまでの時間が微妙に空くから、たまにここで時間潰してるんだ」
「え。王子様バイトしてんすか」

・・・素で言って、赤面した。
今、王子様と口が滑った。

「あ、すみませ、すみちゃ、妹のくせが」
「いや、いいけど、ふふっ」

顔を背け、握った手を口元にあてて笑いたいのを隠しているが、声が漏れているし肩が震えている。それに王子様は職業王子様じゃないんだから、バイトだってするだろう。
一方的に敵認定している相手の前での失態に、葵はたじろいだ。

「──はぁ、やっぱり可愛い」
小さく呟いて、
「王子様は向こうのコーヒーショップでバイトしてるよ。良かったら今度来て?カスタマイズ、サービスするから」

向こうのコーヒーショップとは、おそらくお洒落な大学生がこぞって集まる、葵が別名リア充カフェと呼んでいるカフェのことだ。
というか、今「可愛い」と言われた気がしたが?

「おっと」
公園の入り口に保護者達が集まりだしたのに大路が気付くと、鞄のポケットに手を突っ込んだ。

「これ、俺の」
紙を差し出された。
俺の、なに?
反射的に受け取る。
電話番号とアドレスに、LINEのID。

「え?」
葵は大路を見上げた。

「じゃあ俺行くね。連絡、待ってる」
「え?」
「菫ちゃんにも会いたいけど、葵君に嫌われたら元も子もないし」
「え?」

ひらひらと手を降って公園を出ていく大路に、葵は幼稚園バスが到着するまで呆然と立ち尽くしていた。

「・・・え?」


もしかして、お姫様は菫じゃなくて、自分だろうか?



おわり



最近の幼児はとてもませたことを言うから驚く。

小話 43:2017/04/10

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