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※不良受け
「あーあ。明日から一週間の出張かぁ。行きたくないなぁ」
──棗(ナツメ)の呟きに恋人の道弥は言った。
「うん。俺も離れたくないし、寂しいけど・・・仕事だし、頑張って?一週間なんてすぐだよ。俺、この家で棗のこと待ってるから」
「そう?一人ぼっちで泣かない?俺いなくて大丈夫?」
「ばか、大丈夫だし、泣かないよ・・・」
「もう目が潤んでる」
「そんなこと・・・」
「道弥・・・」
「・・・棗!寂しい!今夜は朝まで抱いて!」
「道弥っ!」
そして二人の熱い夜はふけるのであった──
「お前マジで頭イカれてんな」
クッションを抱きしめ顔を埋める棗に降った、冷たく、けれど的確な言葉は一瞬にして彼を現実に呼び起こす。
今、名前を出された当の本人である道弥は顔を青くして、わりかし本気で引いていた。気が付けば当初より二人の位置に距離がある。
「ハッ、白昼夢!?」
「妄想駄々漏れ。つか人の事変に改編すんなし」
夢(妄想)の道弥は潤んだ瞳に桃色の頬で自分に迫ってきたと言うのに、鼻息荒く棗が距離を詰めれば現実の道弥は嫌そうな顔をして背を向けた。この差よ。
寂しくクッションを抱きしめ直す棗に構わず、道弥はバイク雑誌を眺めてばかりだ。
高校三年生で、背格好は標準より上回っている道弥の耳にはいくつものピアスが光る。黒で目にかかる前髪をときおり分けながら雑誌に視線を落とす横顔を、カッコいいよなぁと棗は眺めた。
一見だと相対する、上品で優美な容姿の会社員の棗は、それでもと、内心で舌舐めずりした。
「大体、付き合って三日目で一週間いなくなっても、前と何ら変わんねえから別に何とも思わねえし」
「俺は片思いが長かった!」
「しつこかったな」
「情熱的なの!」
ガソリンスタンドで無愛想ながら、セルフに並んだ中年女性にテキパキ教授していたアルバイト店員の道弥という天使に心臓を射抜かれたのは夏の夜のこと。
いつも使っていたスタンドが潰れてしまい、普段は使わないひとつ先の場所で出会ったのも運命だろう。
灰皿の中身を破棄して返しに来たところ、その手を握って棗は言った。
「一目惚れしました。付き合ってください」
握られた手からぞわわっと鳥肌をたてた道弥は返事をすることなく手を引き抜いて、さっさと代金を請求した。後方に車が一台並んでいるのに気付き、仕方ないとこの日は名残惜しく帰ったが、やはり忘れることは出来ず、自宅と会社の間にあるのも幸いし、とにかく通った。
ガソリンが高値の時代など関係なく、道弥が遠目からナンバーを確認すると顔を嫌悪に歪めるくらいには通った。
不況の煽りか、夜だと店頭に立つ人員が道弥一人になるのに気付き、それを狙ってピンポイントに通った。
時には併設するカフェの窓際に座り、ただひたすら道弥を眺め、ガラス越しに中指を立てられたが手を振り返せば次は立てた親指を下に向けられ、コミュニケーションばっちりになるくらいに通った。
季節は冬になり、道弥はとうとう
「で、俺にどうしろって?」
棗を受け入れた、というか、折れた。
「ストーカーをサツに通報しなかったことに感謝しろ」
と付け足した。
それが三日前。
「つか、一週間後の夜って俺バイト真っ最中」
「えーっ!裸エプロンでお出迎えは!?」
「死ねよ」
雑誌を投げ付けられたけど、顔面より先に手でキャッチする。
「じゃあお土産は何がいい?俺の身ひとつ無事だったらそれでいい?」
「食べもんに興味ないし、モノって邪魔だし、何もいらねー」
「俺は・・・?」
「いらねー」
「意地でも帰ってくるからね!!」
「飛行機が飛んだらな」
意地悪い顔で道弥がテレビを指さした。
天気予報によると、出張先は一週間後、大寒波に見舞われ、吹雪くらしい。
「あー、デレる道弥君が欲しいよう」
「あのスタンドの子だろ?ありゃまず無理だ」
何しろ顔がこえーと笑ったのは、同じ工業高校出身で同じ職場に就職した棗の悪友だ。
二人は滞在先のホテルでまずは景気付けにと、コンビニで買い込んだ酒やつまみで調子よく酒盛りを開いていた。
「道弥君、前からバイトの無い日はお友達とどっか消えちゃうし、ほんと困った子猫だよ」
「あれを子猫って言えるって、さすがだわ〜」
缶の残りを一気にあおり、ぷはっと息をはく。
「あんなん、まだまだ可愛い子供じゃん。分かってねーなぁ」
ペロリと唇を舐めた棗は、行儀悪く椅子の上に片足を乗せた。道弥の前では決して見せないその姿は、悪友の前と酒によって気がほぐれた証である。
「そんな道弥君を、大人の俺は優し〜く抱擁してやりてぇの!やっと付き合えたんだから俺は二人の時間を楽しみてぇの!」
「ま、十代は十代の内にしか出来ないことってあるし?そうやって大人になってくんだって。俺らみたいにさ」
悪友がニヤリと笑うと、棗は顔半分を片手で覆った。
「あー、マジ黒歴史・・・」
「意外とそうでもないみたいよ?」
「確かに若い時に鬱憤晴らしたおかげで?俺らもそれなりに社会人になれたわけだけどさぁ」
「それなー、特にアイツとお前なー」
けらけらと愉快そうに笑う悪友も、酒が回ってきたのだろう。明日は支社の視察に向かうので、お互いに二日酔いは社会人としてアウトだ。
「そ!俺は大人の男として道弥君とよろしくしたいの!だからバレるわけにもいかねぇし、いつまでも昔のまんまじゃいらんねぇの!」
パンっと手を叩いて立ち上がると、飲み干した缶を小さなテーブルの隅に寄せ、棗は明日のスケジュールを口頭で確認してから隣室に帰っていった。
ふっ、と悪友の口が弛む。
「そりゃハイエナの前じゃ、アレも子猫同然か」
──案の定、帰りの飛行機は猛雪の為に棗を道弥の元に帰してくれなかった。支社側の配慮で単身寮にて一晩を明かすことになった棗は、その件を道弥の携帯に送信するが、もちろん返信はない。この一週間で道弥からきた返信と言えば、
──道弥君が恋しすぎて仕事に手がつかないよ。
に対し、
──働け
のみである。
「くうぅっ、早くデレが!デレが欲しい!」
「・・・」
報告文書を作成する為にノートパソコンのキーを叩きながら嘆く棗に、悪友はすっかり引いていた。
翌日。
羽田から一度帰社して、本来なら前日は自宅で体を休めていたのを前提とした予定を済ませ、上司と昨夜メールした報告文書を議題にかける為の内容を簡単に打ち合わせして、やっとの帰宅だ。
タクシーで自宅のマンションまで乗りつけると、時刻は午後七時ジャスト。
さすがに疲労が溜まり、ストックしていたカップ麺を食べたら熱い風呂に入ってさっさと寝たい。明日は日曜で休みだから昼まで寝てたい。でも寝る前に道弥君にメールをと、つらつら考えながらエレベーターから降りれば、棗の部屋のドアの前に、ダウンジャケットを着て白い息をはく道弥が座り込んでいた。
また夢(妄想)かと目を見張ったが、キャリーを引く音に顔を上げた道弥はまさに本物。なぜなら頬を染め、潤んだ瞳でこちらを見ていないからだ。
「・・・おかえり」
「道弥君!」
立ち上がった道弥に慌てて駆け寄る。
「どうしたの!?いつからいたの!?寒かったでしょ!?連絡くれたら良かったのに!だからうちの合鍵持っててって言ったでしょ!そして道弥君ちの合鍵ちょーだい!」
言いながら、道弥を部屋に上げ、風呂の給湯スイッチを入れ、暖房とヒーターをつけ、冷えた道弥の頬をさすって、最後にサッと出した手は叩き下ろされた。鍵はもらえないようだ。
「・・・あのさ」
「うん?」
電気ケトルで沸かした湯で温かいコーヒーを二人分いれて、コートとジャケットのみをハンガーにかけ、ネクタイを緩めながらやっとソファーに落ち着いた。床に胡座をかく道弥と棗の手にはマグカップ。
「お前、クレイズの元副総長ってマジ?」
ピクッと、棗の肩が揺れた。
クレイズ──地元の若い奴らには有名な、不良集団の名前である。
「こないだ、外でダチが俺とあんたが話してるの見かけたらしくて、あれ元クレイズのナツメじゃねぇかって。十年前の。何でお前お近づきになってんのって」
道弥の問いに、棗は答えない。いつもの軽口が嘘のように、口が重くて動かなかった。
それでも瞬きを繰り返しながら、じっとマグの中の液体を見つめている。
「・・・マジ、なんだ」
無言は肯定とみたが、棗は否定しない。というより、突然尻尾を掴まれて、身動きができなかったのだ。
そんな、らしくもない棗に、道弥は更に続ける。
「・・・俺、今のクレイズの頭やってる」
「ひえーーっ!!?」
衝撃発言。
ようやく棗は体が動いた。おまけに変な声も出た。歳のわりに背格好は良いとは思っていたが、下心フィルターがかかっていた為に対喧嘩なんて、思いもしなかった。
(あ。お友達って、あぁ・・・)
夜な夜なチームの連中とつるんでいたのかと、合点がいった。
「すんません、俺、ナツメって聞いたことはあったけど、それが名前か名字か・・・。顔も知らないし、あんたシルエット細いし、そういう風には・・・生意気きいて失礼しました」
「いや、いや、いや・・・てか、改まらないでよぉ」
十年前だし、校長室の歴代校長じゃあるまいし、写真なんてそうないだろうし、何より昔と今の自分は見た目も性格もかなり違う人物であることは棗自身も自覚している。
「十年前って確か、ここら一帯のチーム潰してクレイズがトップになったって伝説の時期・・・」
「えっ、あれ伝説になってんの!?」
当時の総長と暴れに暴れた時のことだ。
血気盛んな時期に次から次に喧嘩に明け暮れ、気付いたらラスボスならぬ島を統べるチームを頭から血を流しはしたものの攻略し、トップに立ったのだ。
「女の入れ食いもすごかったって」
「あわわわわっ!」
昔は気分によってカラコンを変え、肩まで伸ばした髪をグレージュに染めて、インナーカラーに紫やピンクを様変わりに入れたりと、とにかくチャラかった。口が上手いのは現在仕事上で役に立っているが、当時は女を引っ掛ける為に尽力していたものだ。
現在は道弥一筋の棗だが、過去の事であっても当時の浮き名なんて恋人に知られたくない。
「ハイエナのナツメ・・・」
「イヤーッ!その通り名ヤメテー!!」
今でこそスーツを着こなし、企画書片手に上司や取引先相手に本来の明るい性格と口の上手さで仕事をやり込め、同僚や事務の女性社員からは羨望の眼差しで見られている棗。
しかし好戦的で無敗を誇る総長が暴れまわる百獣の王なら、副総長の棗は手負いで息も絶え絶えな獅子の残骸を、唇を舐めながら余すことなく潰しにかかる無慈悲なハイエナだった。
そういえば、出張先での夜、悪友は道弥の顔を知るような口ぶりで悪い顔で笑い、棗が黒歴史と嘆く過去を「そうでもないみたい」と言っていた。
(あいつ!道弥君が今のトップって知ってたな!言えよクソッ!)
悪友は、過去のクレイズの情報屋だった。
ひとしきり暴れた若かりし頃、そのお陰か憑き物が落ちたみたいに変わった棗達はその後各々世間に溶け込んでいる。
当時の総長ともたまに飲みに行くも、恋人が待ってるからとさっさと切り上げるのを「つまらない」「誰だお前」とからかいつつも、羨ましく思ってはいたが、今となってはアイツの気持ちが棗にはよく分かる。
恋人との時間は大切にしたいものだ。
「あ、あれ?道弥君、スタンドでバイトとかして大丈夫?むしろ格好の餌食じゃない?」
「夜って時給いいし、来たら一人ずつ狩ってくから問題ない」
話を逸らすも、道弥はただまっすぐに棗を見る。逃げ場はないと悟った棗は、盛大に落胆の溜め息をはいた。
「もー、道弥君には知られたくなかったー・・・」
「なんで。いいじゃん」
「だって昔の話だし、今も鍛えてるとは言え、やっぱ若い道弥君には大人の魅力を存分に──」
初回から変態だったけど、という台詞を道弥は飲み込んだ。身体は若い道弥のが魅力的だと言うように自分の腹筋を撫でたその肌に、目がいったのだ。
シャツの間から見える割れた腹筋。どうやら棗は着痩せするようで、その意外な身体に道弥はごくりと喉を鳴らした。
「筋肉すげぇ・・・」
「んー、まあ弛んだおじさんにはなりたくないし」
「カッコいい・・・」
(カッコいい・・・?)
出会ってから初めての、自分に対する褒め言葉だ。棗が聞き逃すわけがない。
「こういうの好き?」
「好きっていうか、憧れる」
「今度一緒にジム行く?会員制だけど、体験として」
「行く!」
僅かだが、道弥の表情が明るくなった。
「次の休み、バイク後ろ乗っけるから、遠出する?」
「す、する!!」
(・・・お?)
棗を見る道弥の目は、偉大な人物に対し爛々と輝き、顔は興奮から頬を染めている。
(こ、これは・・・!)
イケるんじゃないかと、高揚を隠しながら棗は微笑んだ。
「一緒にお風呂入る?」
「それはいい」
即答だった。ダメだった。
「何で!筋肉見放題!触り放題だよ!」
「・・・」
「ほらもー!すぐそうやって冷たい目をするぅー!」
「変態は好きじゃない」
ムッとしながら(否定はしない)棗は、道弥の腕をとり、抱き寄せた。現役に比べると力は劣るかもしれないが、不意討ちなら十分だ。
「大人舐めてっと、痛い目見るぞ」
「っ!」
耳元で言えば、道弥の体が強張ったがいつもの暴言や鉄拳は飛んでこず、大人しくの腕の中にいる。耳が赤い。
(な〜んか違うんだけどなぁ〜)
もっと年上らしく、優しく温かく、出来る男の自分が道弥を包み込むのが理想だったのに。
それでも無遠慮に背筋を撫で回せばようやく道弥の頭突きを食らったのだった。
「ちなみに道弥君、通り名ある?」
「ダセーから全部撤回させてる」
「・・・そぉ」
おわり
作中に出てくるアイツの話は
コチラ(小話 31)
小話 41:2017/03/31
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