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緑豊かな田舎に住む祖母が病に倒れたと両親から聞いて、斗真は二つ返事で手伝いに向かった。
病と言っても命に別状はないし、手伝いと言っても祖母は入院するので着替えや必要なものをその都度運ぶだけである。院内にはランドリーも売店もあるので、実質、斗真は顔見せ要員──つまり祖母に早く元気になるよう度々見舞い、両親に祖母の容態を逐一知らせる係りである。

共働きな両親に代わり、長期休暇中の大学生は暇である。授業時間とシフトの都合が合わずにバイトを辞めたばかりなので尚更だ。
とりあえず今日は中古で購入した斗真の車で母と向かい、必要な荷物をまとめて病院に届け、再び母を最寄り駅まで送り、駅近くのスーパーで食料を買い込んでから、しばらく宿泊する祖母宅に戻ってきたところだ。

車を裏に止め、好きに使って良いと言われた冷蔵庫の中から麦茶を取り出す。
さすがに疲れた。
祖母は思いの外元気で、早速病院食が意外に美味しいわとチャーミングに笑っていた。遠くからわざわざ申し訳ないと斗真と母親に頭を下げていたが、その顔は久々に会えて嬉しいと喜色満面だったのでもっと会いに行く機会を増やすべきだったと反省もした。


(ばあちゃんの麦茶、久しぶり・・・)
メーカーが違うのか、作り方が違うのか、はたまた環境がそう感じさせるのか。少し独特な渋みのそれを飲みながら、縁側に腰を下ろす。
小学生の頃はここでスイカを食べ、昼寝をし、夜には花火という絵に描いたような子供の夏の過ごし方をした思い出がある。
中学に上がると部活があったというのもあるが、街で友人と遊ぶ方が楽しくて、疎遠になってしまった祖母の田舎。数度訪ねる機会はあったが、遊び場もなく居間でテレビばかりを見ている斗真を、祖母は大人になったねと笑って言った。

縁側から、出されたままのサンダルをつっかけて庭に出る。
家から離れた場所に畑があるが、庭にもトマトやキュウリなど、手近な野菜も植えられてある。これらの世話と収穫も頼まれているので、都会育ちで小学校低学年の時にミニトマトとあさがおを育てたきりの斗真には責任重大である。

ふと、背後から視線を感じた。
弾けるように振り向けば、一匹の狐が庭の門からこちらを覗くように顔を出して斗真を見ていた。

(うわ、野生の狐とか初めて見た!)
目が合うと、てててっと駆けてきた狐に少しビビりつつ、冷蔵庫に餌になるものあったかな、と縁側の奥に目をやったほんの一瞬。

「おい」
金髪と呼ぶには少し茶色い、まさに狐色をした腰まである長い髪に、頭には狐の耳が、後ろには立派な尻尾が見える、どこか人間離れした美形の男がいつの間にか間近に迫っていた。ラフに羽織って帯で結んだように着崩した着物からは、線香のような香りがする。
ここらの田舎の人間は用事があればチャイムも押さずにドアノブをひく、あるいは敷地に入り中を覗いたりと、良く言えば村全体が家族、悪く言えば無遠慮なところがあるが、これはそれらと違った異色な訪問者だ。
理解が追い付かない斗真は、男をただ呆然と見上げた。

「お主は誰だ」
「お前が誰だよ」

つい突っ込み返したのは性だから仕方ない。


ふん、と男は不愉快そうに鼻をならして辺りを見渡す。どう見ても農協や村の人ではない。たまに耳と尻尾が動いている。

「千代子はどうした。もう三日と姿を見ておらぬ」
「千代子?ばあちゃんのこと?」
「・・・あぁ、お前、孫のトーマか」

首筋に顔を近づけて匂いを嗅がれる。
変態的行為にぎょっとして肩を押せば簡単に男は退いてくれたが、斗真は気が動転した。祖母を呼び捨てし、自分にこんなことをするこいつは何だ、誰だ。

「え、なにっ、あ、え?名前っ?」
「千代子がよく口にしている。我に手を合わせながら、昨日はトーマと電話したとか、今日はトーマの受験の日だとか」

まさかばあちゃん、話を聞いてくれるホストまがいに騙されて・・・!と動揺していると、ある言葉がひっかかる。
手を合わせながら、とは?

「もしかして、どこかの宗教団体の方ですか?」

それなら速攻両親に連絡をいれ、手を引くように祖母を説得しなくては。多くはない年金は大事だ。とても。
すると胡散臭さが顔に出たのだろう、心外と言わんばかりに男は鼻にシワを寄せた。

「む。都会から来たのなら、あの山道を通ったであろう」
「山道?まさか。車で来たからトンネル抜けたよ」
「・・・」

ものすごく忌々しそうに舌打ちをつかれ、男は縁側にどかりと座った。勝手に家に上げるわけにはいかないので、斗真は慌てて家に上がり、男より家の中で腰を下ろす。

「・・・警戒せずとも、我は怪しい宗教家でも、物取りでもない」
「はぁ」

曰く、彼は山の麓の小さな祠を社とする神様見習いらしい。
神ではないという理由は、神力のある者により作られた祠ではなく、昔の農民達が自分達の手で祠を建て、気休め程度に五穀豊穣を祈り始めたからだそうだ。そして当時その山で一番の人格者であり(狐だけど)山を愛していた彼が、落命後に魂をそこに宿したそうだ。
また、徐々に信仰する人間が衰退し、今や斗真の祖母くらいしか毎日の散歩で手を合わせ、たまにいなり寿司を供える事しかないらしい。寂しい話だ。

どこか信じがたい話だが、確かに祖母は昔からいなり寿司を大皿いっぱいに作りもてなすくらいには得意としていたし、老人の朝は早いと散歩に一人で出掛けていた。子供の斗真は寝ていた為に付いていった事もないが。

「して、千代子はどうした」

斗真の背後を覗くように、男──正体は狐が問い掛ける。
唯一の祖母が姿を見せないのを心配して来たようだ。

「ばあちゃんは入院してるよ。ちょっと体調崩してんだ」
「なに?」
耳がピクンと動いた。

「大事には至らないから。退院日も大体目処はついてるよ。俺はそれまでの留守を預かるんだけど」
「そうか・・・」

眉を下げつつも明らかにほっとした狐に、斗真は親しみを覚える。祖母を心配している人がいると言うのは身内として純粋に嬉しいものだし、斗真とて祖母は好きなので尚更だ。
そんな斗真の自分を見る目の変化に狐は気付くと、ばつが悪そうに目尻を上げた。

「とにかく!千代子は毎日我に手を合わせ三日に一度は我に供物をくれたぞ!」
「だから俺にも何か寄越せってか?お前は山賊か」
「神見習いだ!」
「・・・」

しかし祖母のようにいなり寿司なんて作れない。
斗真は先程の買い物の購入品と、元からの冷蔵庫の中身を思い出す。今から米を炊くのも時間がかかるし。気のきいたものなんて作れない。

「あ、じゃあうどん。うどんにしよう。食べれる?」
「好き嫌いはない」

それならと、斗真は台所に向かった。
深い鍋に湯を沸かし、冷凍うどんを二玉投入してしばし待つ。その間に冷蔵庫から祖母が作り置きしていたものを頂戴し、小鍋に煮汁ごとあけて、出汁粉末と水を加えて弱火で煮立つまでこちらも放置。
狐がやって来て、少し離れた位置からこちらを見ている。

「かまぼこは?」
「かまぼこ?」
冷蔵庫から取り出した、まわりがピンク色のそれを見せる。
「これ、魚の擂り身」
「魚は食べれる」

魚、というには原型を無くしているかまぼこを適度な厚さに切って、一切れ狐に食べてみろと促した。
「魚にしては加工され過ぎておるが、食べやすい。これは山葵醤油と酒が欲しくなる」
「どこのグルメ評論家だよ」

うどんを菜箸でほぐして硬さを確かめてから、丼ぶりに移す。小鍋もいい感じに煮立ったので、中のものと汁を均等に分けて、かまぼこを乗せて完成。

そういえばと気付く。
斗真にとっては少し早い夕食になるが、狐にとってはお供え物だ。湯気がたつ器を見つめて、斗真はそっと両手を合わせた。

(えーっと。いつもばあちゃんの話し相手になってくれてありがとうございます。心配してくれてありがとうございます。美味しく食べてください)

信じてしまうのもおかしな話だが、あの耳と尻尾に、祖母を知るあの素振りなら神様(仮)だって何だっていいやと開き直ってしまう。
いつの間にか茶の間の卓につき、古い掛け時計の振り子をぼんやりと見ていた狐はひくりと鼻を動かした。振り返れば斗真が盆にのせた食事を運び、配膳を始める。
器の中身に、狐の耳はピンと立った。

「千代子の揚げか!」
「うん。ばあちゃんの揚げを使ったきつねうどん。いただきます」

狐は意外にも箸の使い方もうまく、麺も落とさず綺麗に食べる。おそらくいなり寿司を作るつもりで置いていた味のついた油揚げ。こんな形で狐に提供するなんて祖母も思いもしないだろう。
即席にしては美味く出来たと斗真が自画自賛していると、狐は器をじっと見つめながら何かを考えているように押し黙っていた。

「どした?美味しくなかった?」

人間的には合格点だが、人外的にはアウトだろうか。
顔をあげた狐は斗真を見つめてから、ふっと目を細め、今日初めて笑顔を見せた。

「・・・いや、美味いぞ。ありがとう」
「ん?うん。あ、お茶これね」

とぷとぷとコップに麦茶を注ぐ斗真は、狐が柔らかな笑みを自分に終始向けて、尻尾を揺らしていることに気付かなかった。

食休みがてら、洗い物を済ませた斗真は狐と茶の間で寛いでいた。何だかんだで慣れてしまっている。

「狐はさ、今は見習いだけど、神様になったらどうするの」
「神になったら、我は・・・」

ぽやっと天井を見つめ、まるで何かを夢見るような恍惚した表情を狐は浮かべた。

「賽銭生活がしたい。良いものを着て良いものを食べて良い生活を送りたい。みなに有り難い存在として奉られたい」
「お前業が深すぎだろ」

神になれねー理由絶対それだわ。
斗真は畳に倒れた。
天井板の模様を眺める。コチコチと時計の音がする。もうじき七時の鐘が鳴る。昔はそれらが怖くて、特に眠れない暗い夜は夜鳥や虫の声、風の音すら子供の斗真の恐怖を煽ったものだ。

狐が四つん這いで近付いて、斗真の片手を拾うとぺたりと自分の頬に手のひらを当てた。

「トーマはいい匂いがする」
「? 今まで台所にいたからかな」
「そうではなくて、心が落ち着く匂いだ」
「ばあちゃんの匂い?」
「近いけど、違う。トーマの匂い」

目を瞑って言う狐の耳は心なしか垂れていた。
狐も祖母がいなくて心細いのかもしれない。そう思うと斗真はのっそりと起き上がり、狐を正面から抱き締めて背中を撫でた。昔、眠れない斗真に祖母は大丈夫だと言いながらそうしてくれたのだ。すると不思議に、恐怖心は和らいで安心して眠りにつく事が出来、翌朝は気持ちよく目覚めたものだ。

「大丈夫、大丈夫」
「・・・」

狐の手が斗真の背にも回る。服をぎゅっと掴まれた。斗真は七時の鐘が鳴るまでずっと狐の背中を撫で続けた。
あぁ、そうだ。狐からする線香の匂いは、祖母が祖父の仏壇にあげるのと同じ、親しみのある懐かしい匂いだ。



風呂は狐を獣の姿に戻してもらい、無理矢理洗った。不服そうに目を閉じて泡まみれの狐なんて珍しくて笑ってしまうと、濡れた尻尾を思いきりぶつけられたので、こちらも思いきり洗面器からお湯をかけてやった。
無言のにらみ合いは狐がくしゃみをしたので慌ててタオルに包んで上がったことで終わってしまったが、なぜか双方とも口元は緩んでいる。

(戸締まり、ガスの元栓、うん、よし)
母にこちらは心配ないとメールして、布団のなかで寝返りを打つ。狐は人型にならずに辺りをうろうろとしていたが、とことこと歩み寄り、鼻で斗真の掛け布団を押し上げた。

「なに、入るの?」
捲ってやれば当然とばかりに枕の横に顔を置き、だらりと体を横たえる。
これがさっきまでの人の姿なら蹴ってでも追い出すが、動物となれば可愛く思える。頭をそっと撫でると耳がピクピクと揺れ、布団のなかで尻尾も動いたのが伝わった。

「お前って、ばあちゃんの前でも変身?したことあんの?」
反応がない。
「ないの?」
ふん、と鼻をならした。ないようだ。
「俺がここから帰るまでにはさ、いなり寿司の作り方覚えて、こっちから供えに行ってやるよ」

一定の動作でゆっくりと撫でながら言えば、斗真も一日の疲れが押し寄せて、瞼がとろんと落ちてくる。
口元に狐の鼻先が当たった。その意味を考えるまでもなく、斗真は夢の中へと落ちていった。





朝起きると、斗真は一人だった。
狐に抓まれたとはまさにこの事だ。昨日のことは夢だったかと思ったが、 戸締まりしたはずの縁側の雨戸が開いて、日が入り込んでいる。

「物騒だろーが・・・」
歩み寄れば地面に獣の足跡が残っていて、口振りとは裏腹に顔はにやける。

今日のやることは決まった。
祖母に顔を見せに行き、祠の場所といなり寿司の作り方を聞きに行こう。
きっと、狐は自分を待っているから。




おわり



ノスタルジーに狐ときつねうどんを食べる話が書きたかった一作。

小話 34:2017/02/21

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