28



端的に言って、恋人から貰った指輪を無くした。

永遠を誓いあったとか、記念日や誕生日に貰ったとかの指輪じゃない。一緒に買い物に行った時、大貴にくっついて、ふらっと入ったメンズアクセのテナント内で、ただ何となくはめたらピッタリだった指輪。すぐにケースに戻したそれを見ていた大貴が、香澄の知らない間に買っていたのを、のちにくれたのだ。
「似合ってたし、普段そういうのつけてないから、いいんじゃね?」
と平然と言った大貴に感動して、もう一生つけていようと決めたのに。

香澄は解りやすく肩を落としていた。
その日一日で「なで肩」とあだ名をつけられ「なんか憑いてんの?」と不審がられたくらいだ。
鞄の中も上着のポケットも、部屋も、バイト先も、大学内も、心当たりのある道すがらは全て探した。ごみの日に何を捨てたか記憶も探った。しかしてんで見当がつかない。風呂場や洗面台、シンクを使う時にはちゃんと所定の位置に外して置いていたし、貰った日から毎日、ふとした瞬間に意味なく眺めてはニヤニヤしていたくらい、大事にしていたのに。

気付いたら指輪がなかったのだ。
ふと指を見たらなかった。どうしよう。香澄の頭は真っ白になって、すぐに記憶を巻き戻した。せっかく大貴がくれたのに。どうしよう。怒られても殴られてもいいが、愛想をつかされたら。

(わ、わか、別れる、とか)

自分で出した行き着く先に、香澄は絶望した。
実際、今まで些細な喧嘩はあったものの仲直りはすぐに出来たし、手をあげられたことは一度もないが、今回ばかりは予想がつかない。

そもそも大貴は香澄のバイト先であるコンビニの常連だった。深夜近くにバイクで現れ、酒やつまみを適当に買っていく。いかにも不良上がりのような風貌で垢抜けたかっこよさはあるが、ひそかに怖い人認定していた香澄は営業スマイルを徹底し、お釣りも落とさないようにしっかりと渡し、ありがとうございましたと大きな声で伝え、クレームがないよう気を付けていたほどだ。
しかしある日、見るからに未成年がタバコを買いにきたのだ。年齢確認の為に香澄が身分証明を求めると、その客とも思えぬ客は案の定それを拒否して、あまつさえ「客に商品を売らないとかふざけんな」「客は神様だろうが」と騒ぎ始めたので呆れてしまう。立ち読みしていた客はさっと帰ってしまい、商品を並べていた女子店員はおろおろとしているのが目に入った。この程度、香澄にとって問題ではない。店長からも法律だから強気に出ていいと言われている。さて、どうしようかと顔を上げて気付いた。騒ぐ客、の、後ろ。あの常連客が缶ビールを二本、片手で簡単に掴んで立っていたのだ。

(やば!)

レジを待たせてしまっている。
女子店員の位置からは棚で死角となり、常連客が見えない。レジをあけてと言おうとしたが、先に“お待たせしてすみません”だろうか。“お騒がせしてすみません”だろうか。
香澄が急に顔色を変えると、何を勘違いしたのか未成年客は謝罪を要求し始めた。

(あぁもう、お前じゃなくて!てかもう帰ってよ)

目の前の客とその奥の客をおろおろと見比べていたら、後ろの常連客はスッと前に出たかと思えば手にしていた缶をレジ台にダンッと大きな音を立て、勢いよく叩き置いた。
香澄も驚いたが、未成年客も驚いた。
突然横入りしてきた人間が、自分を邪険にするような態度をとってきたのにも腹が立つ。睨むように横に立つ人物を見上げると、その顔はすぐに年相応の幼さを取り戻し、青くなった。
無理もない。相手の方が顔を作らなくても充分怖い。香澄も怖い。常連客はチラリと見下すような視線をくれてやり、

「ガキがいきがってんじゃねぇよ」

そう言った。更に独り言のように「ダセェ」とも呟いた。
悔しそうな顔をしながらも、反論どころか唇を噛んで退却した未成年がそれ以降コンビニには来ていないのは後日談だ。
慌ててレジのヘルプに入った女子店員がレジ打ちする傍ら、香澄は呆然としながら袋詰めを手伝った。

「だいじょーぶ?」
彼は香澄の手元を見ながら言う。
「へ、あ、はい。ありがとう、ございました」
「お疲れさん」
弾かれたように顔をあげれば、少し笑って労われた。

それを機会に少しずつ話すようになって知ったのは、実は同い年で相手は既に働いていること、あの日泣きそうにこっちを見てたから助けを求めたのかと思ったこと。実は前から気になっていたことを耳を赤くして伝えられたのは、それからしばらくしてからだった。

(まさか、ビビってしてた接客がきっかけとかびっくりだけど)

既に思い出が走馬灯の一部になっていることに自嘲する。


指輪を無くしてから初めての大貴とのデートに、香澄は心ここにあらず、ずっと上の空だった。
言うべきか、もう少し探すべきか。
念のため若干大きめなセーターで指もとを隠し、手袋は外せなかった。そんな香澄を大貴は不思議そうに見つめていたが、人にぶつかりそうになる香澄の肩をさりげなく抱いて回避させたりと特に突っ込んだりはしなかった。

「どっか入る?腹空かね?」
「え、あー、あのさ・・・」

地面をじっと見てから曖昧な返事をする香澄は、大貴の上着の裾をつかんで引っ張った。

「俺んち来ない?ゆっくりしたいし」
「香澄んち?」

覇気のない香澄に体調でも悪いのかと心配したが、自分の上着を小さく握って様子を伺う姿は正直ちょっと、かなりキた。それに恋人の部屋に誘われて、ノーという男はいないだろう。


「なんか部屋、すっきりしたな」
「うん、ちょっと・・・」

部屋は無駄に綺麗に片付いた。
元から一人暮らしの学生用で広くはない部屋だが、ラグも毛足の短いものに変えたし、大貴に組み立ててもらった三段ボックスの中身も揃えて並び替えた。どれも指輪を探しまくった結果にすぎない。
大貴は初めて見るラグを撫でて、その感触を楽しんでいた。

「大貴、あの、話が・・・」
「ん?」

ベッドを背にあぐらをかく大貴の隣に、香澄は正座した。

「なんつー顔してんの」

笑いながら、大貴の硬い手が香澄の頬をいたずらにつまんだ。それでも香澄は怒りも笑いもせず、顔を強張らせている。

「話ってなに、別れ話かよ」

空気を和らげようと大貴がふざければ、香澄がピクリと反応を示した。そこまで鈍感な大貴ではない。いつもとは違う淀んだ空気に眉をひそめて様子のおかしい香澄の顔を覗きこんでみると、その表情は何かを思い詰めて固まっていた。

「場合によっては、そうかもしれない」
「は?」

一度大貴の顔を見て、香澄は再びうつ向いた。

「香澄。お前それ、マジで言ってんの?」
「・・・っ」

答える代わりに、香澄の目からぼろっと涙がこぼれ落ち、服に大粒の染みが広がる。すぐに吸収され形なきものになるが、次々と溢れ出るそれは終わりを知らない。
カッと頭に血がのぼり、大貴は香澄の両肩を押してラグに強く倒した。香澄が痛みに顔を歪めたが、そんなことに構っていられない。

「泣いてちゃ分かんねぇだろ!おい!」

声を荒げる大貴に声がつまり、震えてしまう。しかし言わなければならないことが、香澄にはあるのだ。

「・・・わ、・・・し、ました」
「あ?」
「ゆ、指輪、無くし、ました・・・」
「指輪?」
「ごめんなさいぃ」

両目を押さえて泣く香澄の指には、確かに以前自分が贈った指輪がなかった。
しかしそれを聞いた大貴は、だからこいつ、今日服の袖長かったのかと思うくらいだった。加えて、やたら可愛い格好だなとも思っていた。

とりあえず香澄を引っ張り起こして、痛かったであろう肩や背中を撫でながら、涙を止める方法を考える。

「そんな泣くほどのもんじゃねぇだろ」
香澄が首を横に振る。

「そんなに大事か」
今度は縦に思いきり振る。

香澄には悪いが、大貴はにやけた。大貴としては、普段アクセサリーをつけない香澄への、ちょっとした独占欲の現れだった。自分の贈ったものを香澄が身に付けている。やたら感激していた香澄には言えなかったが、結構な下心の表れだ。

「それならまた同じの買ってやるよ」
「・・・そういう問題じゃないんだって」
「なら今度は首から下げるもんにでもするか?」
「俺はもう、大貴からものを貰う資格がない・・・」
「それは困る」

ぐずぐずと鼻をすする香澄に、大貴は笑った。

「お前本物、欲しくねぇの?」

ここに、と大貴の親指と人差し指が輪を作り、香澄の左手薬指をきゅっと握った。
止めたはずの涙が、またも溢れ出る。

「ほし、欲しいぃぃ」
「一回顔洗って落ち着いてこい。ひでぇ顔」

こくこくと頷いてから洗面台へ向かう香澄の背中を見送ると、ついに笑いをこらえきれずに大貴は上半身を背にしていたベッドに倒してから笑い続けた。
何事かと思えば、実にくだらない、いや、香澄にしたら大事らしいが、小さなことだった。
ごろっと体を横にして、しばし布団に顔を埋めていると、大貴はあることに気付いた。

「香澄」
「ん?」

洗面台から戻ってきた香澄の顔は幾分スッキリしているが、表情はまだ暗い。そんな姿に大貴が手招きすると、再び律儀に正座した香澄の指をすくった。
右手の薬指に冷たい感触がはまっていく。
香澄はこの感触を知っている。大貴の手が離れてから見えた、香澄の探し物。

「指輪!なんで!?」
「ベッドのマットんとこ、挟まってた」
「あぁ!ああぁ!」

手を上げて指輪を見つめる香澄の歓喜の声は、もはや意味をなさない。

「お前痩せたんじゃね?指輪微妙に隙間ある」
「うん、うん、うーん?」
「腹も減ったし、ピザでもとるか。ちょっとは太れ」
「うんー」

聞いてるのか聞いてないのか、香澄の返事は適当そのものだが、興奮から頬は紅潮し、目が輝いている。大貴は先程からの変わりように苦笑しているが、元気が出たなら何よりだ。

「大貴!」
「っ!」

突如、香澄が体の向きを変えて胸元に飛び込んできた。倒れるほど柔ではないが驚いた大貴に構うことなく、香澄はぎゅうぎゅうと筋肉質な体を抱き締める。

「ありがとう大貴ぃ!」
「お、おぅ」

抱き締め返すか否か、それで終われるか否か。理性と戦っている大貴の指先がわなわなと震えているのに、うっとりとした視線を指輪に向けて、すっかり心酔していた香澄は気付くことはなかった。




おわり


小話 28:2017/01/17

小話一覧


×
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -