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子役としてデビューしてから十数年の時を経て、個性派俳優として定着してきた矢野恭平。子役時代から共演してきた大御所には孫のように可愛がられ、同年代には一目置かれて、後輩には尊敬の眼差しで見られている。
スキャンダルもなく、静かに大学受験も卒業も終え、地味に長く続けている芸能生活だ。
彼は特別容姿に優れている訳ではない。流行りのイケメン俳優として持て囃されることはないが、スタッフへの対応の良さと廃ることのない腰の低さから業界内での評判はよく、また、世間からも芝居が上手、主役級じゃないけど脇にいると安心して見れる、など評価は高い。
華はないが、中身は詰まっている。
それが俳優、矢野恭平である。

そんな彼は今、思考が停止するほどに困惑していた。

「俺、ずっと前から矢野さんに憧れてて」

目の前の人物は3人掛けのソファーだと言うのにピタリと横について矢野の右手を両手で握り、パーソナルスペースを優に越えてくるほどに顔を近付けてくる。彼の熱っぽい瞳に自分が写っているのを、どこか他人事のように見てしまった。

「子供の頃からテレビで見てて、同い年なのにテレビ出て仕事してるってマジすげぇって思ってて」

手をさらに握り込まれ、鼻息荒く思いを伝えてくる。
熱狂的なファンにしては、色々おかしい。
矢野が腰をずらして横にずれれば、彼もずいっと移動してくる。肘掛けに腰があたったことが、矢野に行き詰まりを知らせた。

「俺、マジで矢野さんが好きです」

ついに思いを告げた彼の名は紺野翼。
本業は歌手だが、この度バンドを組んだ若者が、歌を通じて夢や未来に向き合っていくというのがテーマの青春映画で見事主役のボーカルに抜擢された人物だ。
芝居経験はドラマでゲスト出演程度と浅いものの、下手に作り込まず自然な演技とその甘いマスクが中々にいい。映画は十代、二十代の女性からは公開前にも関わらず、すでに話題になっている。ちなみに矢野は寡黙なベース役だ。一応五人形成のバンドメンバーの一員だが、表立つ役割ではない。
今日は二人でバラエティー番組に映画の番宣出演の為、局が用意した控え室に二人でいたのだが、スタッフが呼びに来るまで寛いでいたら、いきなり紺野が口を開いたのだ。

「・・・ありがとう?」

年齢のわりに芸歴が長い矢野に対し、憧れを抱く者は多かった。
近すぎる紺野に顔を強張らせながらも矢野は当たり障りのない返事をしたが、どうやら希望する返答ではなかったらしい。紺野は唇を尖らせた。

「あ、信じてない感じ。ライクじゃなくてラブな方なんだけどな」
「ラ・・・」

ライク、ラブ、好き、愛してる。
英単語と日本語訳が海馬を泳ぐ。

「ちょっと、ちょっと待とうか」

紺野の手から自分の手を抜いて、矢野は頭を抱えた。
彼は顔合わせの時から嫌みなく人懐っこい笑顔で自分になつき、同い年だけど可愛い弟のような存在だった。歌唱シーンはさすが本業だと感心したほどで、最近発売したというシングルCDを渡されたときは地味にテンションが上がり、その場でサインを要求したものだ。その時のはにかんだ笑顔はまだ覚えている。
あんな可愛いかった彼が、なぜ。

「あの、えーっと、あのぉー、えーっとぉ」
「俺じゃダメですか?男だから無理ですか?」

矢野の後ろの肘掛けと背もたれに両手をつくと、簡単に紺野に囚われた。
しかし頭を抱えている矢野は気付かない。

「えーっと、男がどうとかは関係なくて、えーっとえーっと」
「今回矢野さんと共演出来るってことで、すげぇ頑張りました。足引っ張らないように台本も完璧に覚えました」
「あ、うん、うわぁっ!」

仕事に対する姿勢は確かに真面目だった。
パッと顔をあげれば、今そこで初めて自分達の体勢に気が付いた。なんだこれは。後ろ、横、前。色んな方向を確認している矢野に気にすることなく、紺野は腕を曲げてますます距離をつめてくる。

「俺秘密に出来ます。マスコミやファンにバレないよう、矢野さんのこと守れます」
「そ、それは頼りがいがある・・・じゃなくて」
「どうっすか、俺・・・」
「ど、どうもなにも・・・」
「彼氏になれそうですか?」

ぐっと紺野の体が倒れてきたので、矢野の体も後ろにのけ反る。逃げ場がない。
ど、どう、どうする?どうなる?
頭の中がぐるぐるしていると、突如開いたドアからどやどやとカメラマンやスタッフ達が入ってきた。
目を丸くしている矢野の上から紺野が退いた際についた舌打ちは、突然の騒音で矢野に聞こえることはなかったようだ。
ライトアップされたぽけっとした顔の矢野にカメラが近付き、後ろに立つスタッフが言う。

「矢野さん、ドッキリです」

その言葉にようやく我にかえった矢野は辺りを見渡した。紺野は苦笑していて、スタッフの後ろに紛れているマネージャーはニコニコしながら喋ろと口を動かしている。

「ドッキリ?え?ドッキリ?」

スタッフからイヤモニを渡されて、急かされるままに装着すると、耳にはいるのはこれから出演予定の番組の芸人司会者の声だ。もしもーし?矢野くーん?なんて気楽に呼び掛けられている。ADからのカンペには、カメラ見て会話を、と書かれている。

「あ、はい、こ、こんにちは?」

こんにちはー!とやたら元気で大きな声が返ってくる。
あぁ、やられたなと思った瞬間に笑ってしまった。

「ドッキリって、え、僕、今日これからそっちのスタジオに──行かなくていいんですか?僕の仕事今日これですか?翼君グルなの?あーマネージャーすごいニヤニヤしてる。え、顔?そりゃあ赤くもなりますよ。だってほら、翼君すごいイケメンじゃないですか」

スタジオからワッと出演者や観客やらの笑いが聞こえた。周囲のスタッフも笑っている。バラエティーはゲストとして何度か出ているので、求められるコメントもどことなく理解しているつもりだ。
ここで、司会者は側に立つ紺野に話しかける。イヤモニを耳にはめながら、紺野は矢野の隣に腰かけて、カメラにヒラヒラと手をふった。

「はいはーい!あ、はい。だって矢野さんのリアクションすごい可愛かったんで、調子のって迫っちゃいましたね。え、アウト?自分的にはセーフです。あははは!」

矢野のイヤモニにも流れる司会者の声と紺野との会話によると、どうやら紺野は途中から番組の用意した台本やリハーサルを越えた演技をしたようだ。
司会者からはやり過ぎだと笑われ、若い女性タレントはドキドキしちゃったとはしゃいでいる。
あれよあれよと流されるままに立ち位置を指示され、渡された映画の番専用プラカードを二人で持って、カメラ目線で笑みを浮かべる。

「俺と矢野さんが仲良く共演している映画は、いよいよ今月25日から公開です!バンドシーンは皆ガチ演奏です!みにきてねー!」
「映画はドッキリと無関係の爽やか青春映画です。騙されましたーびっくりしましたー」
「やったぜ、いぇーい」

矢野は小さく手を降り、紺野はピースサインをカメラに決めると数秒後、スタッフからのオーケーでゆっくりと手を下ろした。
マイクを返し、ふぅっと一息つく。プロデューサーが改めて企画の趣旨の説明と謝罪を告げて、今日は本当にお開きとなった。
机に置かれた紙袋の中、ロッカーの中、観葉植物の中、カーテンの中。
スタッフが控え室に忍ばせていたカメラを撤収し始めるのを、矢野は感心しながら見ていた。ドッキリ番組をゲストとしてスタジオで見ていた事はあるが、仕掛けられるのは長い芸歴で初めてだった。

「矢野さん、すみませんでした」

振り向くと、紺野がばつの悪そうな顔をして頭をかいていた。彼のマネージャーは自分のマネージャーに頭を下げている。同年代とはいえ、矢野は芸能界の先輩だ。

「翼君、すごい真剣な顔してたから本当にびっくりしたよ。役者が板についたねぇ」
「だってあれ、演技じゃねぇっすもん」

じゃあ、お疲れ様でした。
そう言って紺野はマネージャーに誘導され、慌ただしく控え室を後にした。映画の挿入歌やエンディングも手掛けている為、本業としても歌番組や音楽雑誌にと忙しいらしい。

(演技じゃない?ん?)
ということは素ということか?紺野の自分に好意を寄せている演技はまだ続いてるのだろうか。
再びカメラを探してキョロキョロしていた矢野の背中を、マネージャーがお疲れ様と軽く叩いた。

「どしたの。お疲れ。次移動だけど時間あるからご飯行こうか」
「え。終わり?ドッキリ終わり?」
「あはは、さすがに職業俳優には何度もないよ」

うちの芸人には一週間張り付くらしいけど、と笑いながら荷物を抱えて先を行く彼に、矢野は慌ててかけより自分の鞄と荷物をひとつ分けてもらった。そういうところが、彼の好かれる所以である。

(一週間。一週間はドッキリが続くのか?)
リアクション芸人があまりに連日ドッキリに仕掛けられる為、人間不信になるわと告げてスタジオから笑いをとっていたのを思い出す。

(ははあ、じゃあまだ続いてるのかな?)
しかし勘違いした矢野が以降紺野とスケジュールが被ることなく言葉の真意を疑問視するのは、再び番組で共演する数ヵ月後、一週間眠れぬ夜を過ごしてからだった。




おわり



年末年始にドッキリ番組が多くて、つい。

小話 26:2017/01/03

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