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※いじめ描写あり



陰湿な、けれど堂々と大きな声と態度で露骨に悪意を自分に向けてくるなと思っていた。誰とは言わないが悪口を教室の中で言ったり、通りすがりに肩をぶつけてきたくせに舌打ちをついたり。大人や第三者からしたらしょうもないことかもしれない。けれどそれを流せるほど今の自分は大人でもなく、その大人を頼りにするのを躊躇うくらいには子供でもなく、つまり一人で悲しみやら怖さやらを抱え込み、果ては身に覚えのない自分自身のいたらなさを呪ったり、鬱々とした毎日を送っていたところだ。

「マジうぜえ」
「死ねよ、マジで」
「消えろって、なあ」

それでも学校には毎日気丈に通っていたのが気にくわなかったらしく、クラスを裏で牛耳っている男子三人組にぐるりと囲まれた。肩をどつかれた反動で壁に背中をぶつけて痛い。思わず背中を丸めてうつむくと、彼らの爪先がもうそこまで来ているのが視界に入った。自発的な性格ではないし、口数も友達も多くない。それでも誰かを不快にさせたり、傷付けることはしてこなかったつもりだったのになぁ。
じわっと目尻に涙が浮かぶ。泣くなんてダサい。でもこの状況は怖いし惨めだ。相手の次の挙動を予測して、心臓がキュウッと痛くなる。

「何してんの?」

しかし次に湧いて出た言葉は、この三人でもなく、間延びした第三者からだった。あ、と三人の内の誰かが呟く。視界から一歩二歩と爪先が遠退いたから、思わず顔を上げてしまった。

「ねえ。何してんのってば」

そこにいたのはニコニコ笑ってる芝君だった。
クラス委員で、彼らが裏なら堂々と表舞台で活躍し、皆からの人気を博している眩しい人だ。多分、皆が彼のことを好きで、彼らだって教室でよく芝君とふざけて笑いあっている。仲間が増えたと、サアッと血の気が引いた。自分とはあまり話したことはないけれど、悪印象は抱いていなかったのに、やはり自分は知らない間に誰かに嫌われる要素があったんだろうか。

「いや、こいついい加減ウザいから、ちょっと」
「一発かまそうかと思って。へへ──」



パァン──ッ。
俺を指してへらりと笑った一人の頬を、芝君が、笑顔のまま、激しい音を立ててはたいた。余りの速さとその音と、何より普段の芝君から想像もつかない行動に、俺も俺を取り囲む彼らもはたかれた彼も、事態が飲み込めずに目を丸くして信じられないと言ったように芝君を見遣る。

「今のは朝山君をどついた分ね」

どこから見ていたのか、スッと笑みを消した芝君が頬をはたいた──みるみるその頬が赤くなっていく奴に冷たく言いはなった。そういえば、俺をついたのは彼だったか。もう誰が何をして何を言ったか何て覚えてないし、今の状況に理解が追いつかなくて、背中の痛みも忘れてしまった。なんかもう、それどころじゃないのでは。仲間割れを起こしたとしても、俺がおろおろするのはお門違いだろうに。

「朝山君に絡むのやめろって、俺言ったじゃん。ねえ」
「や、それは・・・」
「気に入らないなら関わらなきゃいいのに、何自分から絡みにいってんの。馬鹿なの?」

三人の中の主犯らしき人の緩いネクタイをグッと引っ張り激しく前後に揺らす。頭が揺れ喉がつまり苦しそうに一瞬呻いたのを聞くと、つい、止めるように芝君に手を伸ばしてしまった。
俺に絡むのをやめろって、しょうもないから相手にするなって意味だろうか。それとも庇ってくれていたのだろうか。今だ芝君の立場と発言の真意は解らないし、自分のことを苛めてきた人達を庇うような真似は馬鹿らしいかもしれないけれど、これが性分なのだから仕方がない。
芝君の目が鋭く前を向いていたのに、俺の方を向いた途端にいつも通りの優しい笑みを浮かべるものだから、逆にゾクッと怖さが勝った。

「あ、えっと」
咄嗟に手を引っ込めようとしたら、それよりも早くその手を芝君に掴まれる。

「俺は、朝山君が好きだから絡みに来たんだよ」
そして力強く手の平を合わせ、指と指を絡めるようにギュウウッと握られた。

芝君の笑顔と、その力強さと、今まで以上に理解できない発言に、俺は固まるしかなかった。
好きとは?嫌われていなかった?助けに入ってくれた?いい人なのか?
疑問は浮かぶのに言葉にも態度にも取れやしない。

「つか、俺らが気にくわないっつってんじゃん」

その声にハッとした。
忘れていた訳じゃないけど、そうだ、苛められていた最中だった。とか言うのも変な気がするけど、芝君が現れてからの存在感が圧倒的過ぎて、自分も自分を囲んでいた人達も霞と同等だ。頬をはたかれた人なんて、もう早く保健室に行かせてあげたいと思うほどに腫れ上がっていた。
芝君がスルリと俺の手を解いて、今しがた俺のことを気にくわないと言った主犯格の人に向き合った。握られていた手が、じわっと血流を良くしていく。その手と芝君達を交互に見比べて、一体今の俺の立場とはと戸惑うしかない。

「君こそ何なの?何で君が気にくわないものを一緒に嫌わなきゃなんないの?俺達別にオトモダチじゃないのにね?」

──は?
そう言わんばかりに、彼らの口がぽかんと開いて固まった。俺も、多分そうなってる。え、だって芝君は、よく彼らと楽しそうに、喋っていたけど──いや、そもそも芝君は誰とでも仲良くしていたけども、逆に言えば誰とでも友達なんだと思っていた。

「例えば俺がこいつ嫌いって言ったら、君、こいつのこと、どうすんの?」

口も挟まずもう一人を介抱することもせず、主犯格の後ろに小判鮫のように立っていた奴が芝君に指されてギクリと強張った。主犯格の人と目があって、青ざめながら首を横に振っている。

「あははっ。うそうそ。あんたの事嫌いじゃないよ。だからって好きでもないし、あんたらのことどうとか思ったこと一回もないや」

心底愉快そうに笑う芝君がちょっと狂気的だ。それは俺を苛めていた人達も感じたようで、顔を強張らせながら動けないでいる。

「あ、でも」

そして何かを思い出したように、俺以外の彼らに対し、実に朗らかに言い放った。

「気持ち悪いよね、お前ら」






「大丈夫?肩痛くない?保健室行く?」

俺の手を引いて、芝君は昼休みの校舎を歩いていく。どこに行くのとか、あの人達置いてきて大丈夫かとか、あんなことして良かったのとか聞きたいことは沢山あるのに、さっきの芝君を目の当たりにすると余計な口が挟めない。

「今日の午後はもう、一緒にサボっちゃおうか。俺も朝山君、出席日数も授業態度もいいし、言い訳次第でどうとでもなるよ」

階段の踊り場で、ニコッと笑う芝君が提案したが首を横にする。行き来する生徒達が芝君をチラチラ見ていく。そうだ、今はもういつもの皆の知っている芝君だ。さっきの違和感は、俺を助け出す為の演技だったのかもしれない。

「・・・芝君。助けてくれてありがとう」

ようやく話せた言葉は今さらだろう。でもあの状況から救ってくれたのは確かで、芝君から強烈な言葉を浴びせられ、あの場に置き去りにしてきた彼らはもう俺に興味も意識も失ったようだった。

・・・芝君からの反応がない。
おかしなことを言ったつもりはないけれど、もしかして彼らみたいに不快感を知らずに与えてしまったのかもしれない。どうしようと次の言葉を探す内に、芝君がらしくもなくあ〜だのう〜だの唸ったかと思うと、赤い顔をして視線を泳がせていた。

「例えば俺は、朝山君以外が苛められたりしてても、多分何とも思わないんだけど」

頭をかきながら芝君がギョッとする事を言う。

「やぁ・・・自分でも初めてなんだけど、朝山君だけなんだよね、こんなに俺が執着しちゃうの」
「しゅ・・・」
「大丈夫。朝山君だけは俺がずうっと守ってあげるからね」

掬い上げた俺の両手をぎゅうぎゅうに握り締め、恍惚気味に告げる芝君は俺の知らない芝君だ。
昼休み終了のチャイムが聞こえた。校内には静けさが戻る。辺りに人はもういない。

「ね、一緒にいようね、ずっと」

もしかして一番ヤバイ人に目をつけられたんではと、ホラー映画を彷彿とさせるがごとく、全身の身の毛がよだった麗らかな春の昼下がりだった。



おわり

小話 182:2023/05/07

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