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バチン!と目の覚めるような音がして、周囲には一瞬の静けさが生まれた。

「マジ最低!大嫌い!」

その音が人の頬を打った音だと解ったのは、彼女の前に立つ男がうつ向きがちに頬を押えていたからだ。皆の視線の中心で、風紀に厳しい先生にいつも叱られている女生徒が肩を怒らせ声を張り上げている。明らかに近寄りがたい雰囲気に、廊下で現場に居合わせた人達は視線を落としながらそそくさと通り過ぎるか、好奇心旺盛な静かな野次馬だ。
トイレ帰りに大きなその声に振り返ってしまった友也も例外なく、ギョッとして固まってしまった。何より、その彼女が大きな音で頬を叩き罵声を浴びせたであろう相手は、見間うわけもなく、友也の友人だ。背が高く、うつ向いてしまっているので顔はよく見えないが、そういえばあの子は彼の彼女だと思い出す。あいつ何してんだと呆れながらその二人を離れて見ていると、友人を置いて踵を返した女生徒がモーゼのごとく避けた人波の間を通って、その場を去っていく。去り際、バチリと友也と目があった。泣き腫らした赤い目が、瞬時にギロリと鋭くつり上がる。

「見てんじゃねぇし!死ねクソ!」

とんでもない言葉を投げ付けられて、今度は友也に視線が集まった。だが彼女の八つ当たりだとも思える行動に、周囲はすぐに残された友也の友人の方へと視線をそらしたが、友也は知っている。他の誰でもなく確実に、友也自身へぶつけた言葉だと。
その友人は静かにゆっくり辺りを見渡した。睨み付けてはいないが冷たい視線に顔をそらしながら散っていく周囲の中、残された友也を見つけると、殺伐とした空気が一変、ふにゃ、と情けない顔をして履き潰した上履きの踵をペタペタ鳴らしながら近寄ってくる。左の頬に、大きな紅葉。

「ねー見てたー?ビンタされちゃったー。超いたーい」
「いや俺、死ねクソって言われたんですけど」
「えー、生きてー」
「言われんでも生きるし」

友也を慰めるように髪を両手でなで回し、馴れ馴れしく肩に腕を回してくる友人──謙之助に苦い顔をして、回された腕を叩いて落とす。すると余計にベタリとおんぶおばけのごとく引っ付いてくるのだから本当に厄介だ。友也に比べて身体はでかいし重いし、この節度ない行動は友也的にはあまり好きじゃない。

「毎回謙之助君のいざこざに巻き込まれるの、ホント勘弁して欲しい」
「いつもごめんね?」

背中に張り付きながらの顔を覗き込んでの謝罪を貰うけど、友也はそんなものに重みも価値も感じない。
例えば一人前の謙之助の彼女には「なんでいつも私達の邪魔をするの」と泣かれ、二人前の彼女には「ホモなの?」と嫌悪感たっぷりに言われたものだ。言っておくと、友也は謙之助と歴代の彼女の仲を引き裂くような邪魔なんて一切してないし、ホモだと言われるほど謙之助に激しく構ったりしていない。逆だ。謙之助が彼女と居ても視界に友也が入れば必ずそっちに行くし、ボディタッチ含めて激しく構う。構い倒すのだ。その都度彼女達は謙之助には嫌われたくないが為に友也の方に文句を言うが、言われたところでそもそも友也は何もしていないので対策のしようがないし、謙之助から逃げたところでいつも捕まる。今回だって、あの彼女は謙之助も憎ければ自分より大事にされている友也も憎かったからこその暴言違いない。
諸悪の根源であるゆるく笑う謙之助をジロリと睨むが、頬を腫らした姿を見ると素っ気なくしてしまうこっちに罪悪感が生まれてしまうのは友也の損な性格だ。

「・・・保健室行けば?」
「一緒行こ」
「一人でどうぞ」

と言うのに、謙之助は友也の手を引いて足取り軽く先を歩く。
周りの人達は謙之助が怒るでも悲しむでもなく、もういつも通りに振る舞っているので興味は失せたらしく散らばるのは早かった。誰ももう自分達に興味を持っていないのを確認した友也は溜め息をついて声を潜め、楽しそうに鼻歌をうたっている謙之助の背中に声をかけた。

「あのさぁ」
「うん?」
「俺への当て付けに好きでもない人と付き合うの、やめなよ」
・・・無言で謙之助が振り返る。
「俺はそんなのされても何とも思わないし、てか迷惑だし、女の子可哀想じゃん」
ジッ、と謙之助が自分の瞳の中に友也を閉じ込めるように見つめてくる。いたたまれない。手を引き抜こうにも力を込められてさっきみたいにあしらう事が出来ない。

「じゃあいい加減俺と付き合お?」

こてんと小首を傾げた謙之助に問われるのは、もう何度目だろう。その都度友也は首を横に振る。

「俺は三次元に興味無しなんだって」

友也と謙之助は、元々ゲーム友達だ。教室で謙之助にスマホ画面を見られたのがきっかけである。少しマニアックな、際どい格好をした女の子がたくさん出てくるRPG。それをつい、「何してるの?」と覗かれて、ヤバイと思ったのも束の間で、謙之助はすぐに「それ俺もやってる」とログイン画面を見せてくれたのだ。しかもなかなかのレベルの持ち主、上級者、ガチ目である。それからはアイテムのやり取りをしたりイベントの協力戦を共にしたり、ゲームを始めた理由は元々オタク気質な友也は「好きな声優の出演と好きなイラストレーターがキャラデザに加わってたから」、謙之助は「ただ女の子ばっかで面白そうだったから」と別々なものだが、内容そのものにのめり込み二人で遊ぶ機会はうんと増えた。
そしていつからか、謙之助から告白されて最初は冗談だと思い断ったが、何度か繰り返され、時に友也の気を引く為に別の女性との付き合いを匂わせたり見せつけたり、それでも友也に告白したりともうめちゃくちゃだ。ゲームなんて楽しんでいる場合じゃない。

「二次元の恋人は何人いてもいいからさ。三次元は俺だけにしてよ。こんな寛大な男いる?いないよね?」
「俺は推しに課金したいし時間も使いたいし、作るなら彼女の方が──」

ドッ、と重い音が耳の隣で鈍く響いた。
友也の顔面スレスレで、謙之助の拳が友也の横を通り過ぎて背後の壁を殴る。横目でそっちに気を取られていると、ズイと謙之助の顔が鼻先にまで近付いてきてギョッとする。所謂壁ドンのインパクトに驚きから小さくドキドキしていると、突然の謙之助の顔面アップにさらにドキッと大きく心臓が跳ね上がった。

「ごちゃごちゃ言ってないで、早く俺のものになれって」

ボソッと耳元に吹き込まれた台詞と、いつもとは違う真剣そのものな表情に、心臓は多分一瞬止まった。
瞬きも反論も忘れて固まってしまった友也を冷たく見下ろした謙之助は、けれどすぐに愛嬌のある笑みを浮かべる。

「あはは。友也君、ホントにベタなのと俺の顔は好きだよね」
「はっ!ち、ちが・・・っ」
「もうちょい押せばイケる感じ?なら俺頑張っちゃおー」

笑えば腫れた頬は痛むらしく、すぐにイテテとぼやきながら紅葉を撫でる。保健室へ向かうのも忘れてないようで、階段を先に下りていく自分より大きい背中を見ながら友也は呆然と立ち尽くす。
確かに王道でベタな展開は好きだ。整ったビジュアルも好きだ。でもそれは二次元の話であって、三次元の話ではない。ましてや相手が男で謙之助のわけがない。

「あ〜、もう」

項垂れるように顔面を覆ったものの、それは友也の顔の熱さを確かめるだけにすぎなかった。



おわり



謙之助君は友也君が早口ヲタトークしながらキラキラしてるのが好きで自分にもそれをしてほしいんだよ。

小話 177:2022/12/31

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