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男同士の行為がうしろを使うというのは知識として知っていた。
どういうものかってのは、身をもって知ってしまった。
自身がその才能を持っているという悲しき性も知ってしまった。

(何が一番悲しいって、それを悪くないって思ってる自分がいることだ)

枕に顔を埋めながら、馨は事後の余韻に項垂れていた。汗をかいた肌にシーツがまとわりついて気持ち悪い。さっきまではそんなこと気にならなかったのに、やることやったら急に思考が開けてくる。どうしてこんなことになっちゃったのかと、諦めと落胆混じりの吐息をついた。

「おう、飲むだろ」

冷水の入ったコップを持ってベッドに戻ってきた忍が、横たわったままの馨の隣へ座ると、上半身を起こすのを手伝いながら背中に手をあててゆっくりと水を飲ませてくれる。

「っは、ありがと」
「まだいるか?」
「ん」
「じゃあ待ってろ」

馨の髪を撫でながら再びキッチンへ向かうむき出しの背中には、馨がつけてしまった引っ掻き傷があった。やってしまったことに心の中で詫びを入れる。忍はその傷について咎めるどころかデレデレしながら「しょうがねえなぁ」と言うものだから、直接謝罪を入れるのは早々にやめたのだ。

(爪切ってんだけどな)

自分の両手の指先を曲げて、爪をじっと見る。切ってはいるけど、力が入って食い込んでしまうんだろうか。忍は自分の体を色々と弄くりまわすけど、傷をつけたり乱暴なことをされたことは一度もない。キスマークはえぐいけれど。

「どーした?」

戻ってきた忍がへにゃりと笑う。
整ってはいるが、どちらかと言えば強面の忍がしまりのない顔をするのは馨の前だけだ。再び馨の隣へ腰を下ろし、コップを受け取り水を飲む馨を可愛くてしかたがないという目で優しく見つめてくるので恥ずかしくなってくる。

「忍の手が綺麗だなって思ってた」
「手?」

握っては開いてを繰り返し、自分の手を不思議そうに見ている忍の手は大きく筋張っていて男らしい。

「手って言うか、指、って言うか、爪、の形」
「爪?・・・ああ」

空になったコップを馨から取り上げて床に置くと、そのままぎゅうっと抱き締める。手が空いたので、馨も忍の背中に恐る恐る手を回す。

「馨に触るんだから、当然だろ」

耳元でそう囁かれると、静まったはずの熱がまたぶり返しそうになる。

「あー。俺もうダメだ」
「何が?」

クスクス笑いながら問いかけてくる忍に、ゆっくりと押し倒されていく。

「もう、友達には戻れないなぁって」

これから再び来るであろう快感を期待して、馨はゆっくりと目を閉じた。が、忍がなかなか触れてこない。そっと目を開けると、馨の体の両側に手をつき覆い被さった体勢だが、笑みをひきつらせ目をギラつかせたブチ切れ寸前の忍がいた。

「は?もしかしてまだトモダチに戻りたいとか思ってた?」

違う、と言う言葉を飲み込んでしまうほどに、先程の優しい恋人ではない極悪面の忍に馨がすくむ。
これは完璧に、出会った当初の忍だと、ありし日がフラッシュバックしてしまう。




「友達になってくんない」

そう言ったのは、忍だった。
高校時代、忍はまさに一匹狼だった。
彼をボスだと慕う連中もいたが、忍はとくに人とつるむこともなく、孤立を貫いていた。人より優れた体格と前述した顔つきのせいで近寄るのは素行の悪そうな人達で、普段は教師ですら遠巻きにする。馨も後者だった。廊下の向こうから忍の姿が見えたら回れ右をしたこともある。
忍自身に悪い噂はないが、彼に近づく連中にはたくさんあった。類は友を呼ぶと、自然と、しかし当然とばかりに忍にも悪いイメージがいつの間にか固着していたのだ。

そんな忍になぜ「友達になって」と言われたのか。
自販機で購入したジュースを取り出そうとしゃがんでいた最中、隣に立った脚の長い人物に「なあ」と声をかけられ、顔をあげたら忍がいて馨は石になった。その脚を折って、忍も馨と同じ目線になるようにしゃがみ込む。

「聞こえた?」
「と、とも、ともだちに?」

そう、と頷いた忍がスッと手を差し出すので、呆然としたままの馨はつられてその手を掴んでしまった。意図しない握手は友情の証となって、なぜか馨は忍と友達になったのだった。

なぜ、とその理由を聞けたのは一ヶ月後。
友達といっても終始ベッタリではない。校内で顔を合わせば挨拶をするレベルで、一緒に帰ったり遊んだりはなく、身構えてしまった緊張が解けてきた頃だ。あの日と同じ自販機の前で、ようと声をかけられたので、思いきって尋ねてみたのだ。

「お前が、無害そうだから」
「無害て」

逆に有害ってなんだ、と続けようとして、馨はハッとした。
いつも馨に付きまとってる人達だ。そういう人達に話し掛けられている姿は何度か見たことがある。いつもはそこで目をそらしていたが、友達になって以来、もう少し先を見てみれば、忍は煩わしそうに軽くいなしてその場を離れる。そういう時、忍は馨と目があっても、声をかけたり知り合いだと思わせるような素振りは見せない。逆に馨が自身の友達といる時にも、忍は馨に挨拶をすることはない。

「そっちも、無害だと思うけど・・・」
「周りがそうは思ってねえだろ」

そんなことはないと、言えなかった。
馨だって、忍が悪事に手をつけないのだと知ったのはつい最近だ。知ろうと思わなければ、知ることはなかった。

「無害ってだけなら、俺よりも真面目な人とか、たくさんいるけど」
「は?つまらないイイコちゃんに興味があるわけでもねぇよ」
「興味?」
「アラ?忍君じゃーん」

陽気な声が聞こえた。
忍の後ろから沸いて出たのは何度か見かけたことのある、忍に近付いている──別の高校の人達と集っては良くない遊びを繰り返している人物だ。
すっ、と忍が馨を視界から隠すように体を入れた。

「ねぇねぇ、今日こそ遊び行こうよ。忍君のことイイナーって言ってる子、たくさん知ってるんだよね」
「興味ねえし行かねえよ」
「ウソー。朝までブッ飛んで遊ぶの、超楽しいって〜」
「ウゼェ」

馴れ馴れしく忍の肩に腕を回したその人が、ようやく馨を見つけた。あれ、と目を丸くする。

「もしかしてお話し中だった?忍君の友達?」

忍と馨を交互に見遣って、互いに無言なのにニィっと笑う。

「だよね〜!違うよね〜!だって忍君友達いないもんね〜!じゃあ異色も新鮮ってことで君が来ちゃう?可愛がってくれるオネエサンたくさんいるよ〜」

するりと忍から離れて馨の肩に触れようと手を伸ばす、その途中でその手を忍が掴んで捻りあげた。骨の軋む音が聞こえた。

「コイツは関係ねえだろ」
「いででででっ」
「つかお前マジでウゼェんだわ」
「お、折れる、折れるって!」

ミシミシと彼の腕が悲鳴をあげている。
静かな怒気を含んだ鋭い目で、じぃっと男を見る目が怖い。目だけで人を殺せそうだと馨は身震いをしたが、忍のその行動は、今自分を助けてくれたのだ。
そっと、忍の制服を掴んだ。ギロリとこちらに目を向けられたが、馨が首を左右に振ると、一瞬視線を泳がせて、ため息を疲れた。

「お前めんどくせえから二度と絡むな」

手を離されると、男は痛む腕をさすりつつ取り繕うようにヘラヘラ笑いながら退散していった。残されたのは気まずい空気だけだ。

「・・・巻き込んで悪かったな」
「や、逆にありがとう・・・」

はぁ、と忍が再びため息をつく。

「あいつが言ったように、俺はここで友達がいねぇよ。卒業前にして友達がいないってのは、人としてさすがにキツイ気がして」

小銭をチャリチャリと自販機の投入口に入れて、ピ、とボタンを押した忍が屈む。
その時の台詞と横顔があまりにも物悲しくて、馨は忍に手を差し出した。あの日とは逆だ。

「卒業までには、ちゃんとした友達になろう」

ちゃんと忍を知りたい。本当の忍を知りたい。嘘じゃない。少し震えているその手を見た忍は、へえ、と少し笑って強く握った。

「卒業したら、どうなんの?」




──どうなるもこうなるも、友達の枠をぶち破って落ち着くところに落ち着き今になる。

「悪かった!!」

ベッドの上で土下座する忍に、屍と化した馨は声も上げれずに視線だけで不満を伝えた。全身の力が入らない。息も整わず言葉にならない。言いたい言葉がとろとろに溶かされた思考からは生み出すこともできない。精魂尽き果てたとは、この事だ。
叱られた子犬みたいにしょぼんとしている忍の手を、それでもなんとか伸ばした手で握る。
何も掴めずもがいた手だ。けれど今は自分を大事に扱ってくれる手だ。この手が好きだ。友達に戻れない理由なんて、それだけで十分だ。

「もうあとに引けないんだから、一生をかけて責任をとってもらうしかない」

目尻に涙を溜めながら精一杯の苦情をぶつければ、忍の顔が泣きそうに笑って歪んだ。




おわり

小話 170:2022/12/23

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